中央の坂を上ったところに家があった。
大家さんの家は、左手にあったはず。中央奥に建物があり、そこで1年ほど暮らした。
葬式饅頭をもらったお寺。
富山県立山町小見(おみ)に行ってきた。
おれは小見幼稚園に中途で入り、小見小学校に入学した。その小学校も、1年生の夏に長野の川中島小学校に転校。おやじの仕事の関係である。
富山地鉄の本宮駅近くの小さな集落。寂れていて、時間が止まったよう。当時より家が減っていたからね。
記憶を元に当時住んでいたところを探した。すぐわかったが、住んでいた建物も隣の大家さんの家も消えていた。跡形もなく、草ぼうぼう。60年の歳月を感じたね。
魚屋(友達の家)はなかったが、駄菓子屋だった建物はそのまま残っていた。
お寺も当時のまま。葬式の時は、並んで饅頭をもらったものだ。これが、嬉しくてね。今もよく覚えている。それから、小学校にも行ってみた。当時、給食用のパンを住民にも売っていて、体育館の横を通ると、いつもパンのいい匂いがしたものだ。とても懐かしい。
旅行の帰り、女房にいつもこう言う。
「もうここに来ることはないな」
「そうだね」
来月は、熊野詣でのついでに殿山ダム(和歌山県合川)に行くつもり。
富山に越す前、そこに1年ほど住んでいたからだ。当時の記憶は、断片的。たくさんいたカメ、毎日のように食べたテナガエビ、川を下る筏、飯場の建物、等々。
今行ってもなにもわからないだろうが、とにかく行ってみたい。それだけ。
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