止めどなく風の連れくる落ち葉かな 笑子
とめどなくかぜのつれくるおちばかな
足尾銅山の三大坑道のひとつ「小滝坑」があった地区へと
細い道に入っていきました
ここは、初めて通る道です
その道沿いには 朽ちた小滝坑の遺構が点在しています
足尾銅山・小滝橋
明治20年に銅山便道の軌道が敷かれ、その中で唯一残っている橋なのだとか・・・
小滝坑の操業時にはなんと1万人もの人がここの地域で生活していたそうですが
今は社宅も病院・学校・事務所や会館もすべての建物が基礎しか残っていませんでした
歴史が消された・・ふとそんな錯覚も覚えましたが
少し残る人の営みの欠片を見つける度に
当時の暮らしはどんなだったのだろうなどど思いを馳せてみたりして
今回はいつもと違って〈考える撮影・考える旅〉になりました
このときの撮影分のうち今回アップした数枚以外は
多分このブログに載せることはずっとないと思います
ここは 精錬所跡・・・
煉瓦造りの基礎が残っていました
この辺りが「小滝の里」という広場になっていて広い駐車場もあります
そこに車を停めて頭上の赤い実を写真に撮っていたとき
たくさんのサルの群れが甲高い鳴き声を発しながら山から下りてきて
びっくりして車に逃げ戻りました
怖かった~~(^_^;)ブレたけど証拠写真を!!
精錬所あとは 一見遺跡のようになっていたのですが
今は 猿たちの縄張りになっていたのですね・・・・
人の暮らしが壊滅した跡地に 逞しく野生の猿たちが暮らしていたのです
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足尾銅山・小滝橋
明治20年に銅山便道の軌道が敷かれ、その中で唯一残っている橋なのだとか・・・
小滝坑の操業時にはなんと1万人もの人がここの地域で生活していたそうですが
今は社宅も病院・学校・事務所や会館もすべての建物が基礎しか残っていませんでした
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ここは 精錬所跡・・・
煉瓦造りの基礎が残っていました
この辺りが「小滝の里」という広場になっていて広い駐車場もあります
そこに車を停めて頭上の赤い実を写真に撮っていたとき
たくさんのサルの群れが甲高い鳴き声を発しながら山から下りてきて
びっくりして車に逃げ戻りました
怖かった~~(^_^;)ブレたけど証拠写真を!!
精錬所あとは 一見遺跡のようになっていたのですが
今は 猿たちの縄張りになっていたのですね・・・・
人の暮らしが壊滅した跡地に 逞しく野生の猿たちが暮らしていたのです
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