明日を見つめて~備忘録~この笑顔いつまでも

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回顧(家族旅行二日目)

2018年05月05日 | 日記

家族旅行一日目はあいにくの雨でしたが、二日目は天気も晴れて良いお天気。

一日目の佐世保は昭和63年から平成2年まで2年間住んでおりました。

二日目は平成2年から6年までいた島原と6年から9年までいた諫早への旅。

途中、西海橋に立ち寄って海の上を渡る歩道を歩きました。(初めて行きました) 渦潮も小さいけど・・・

諫早に住んでいた社宅(今は社宅じゃないみたい)を中心に車でウロウロ・・・

子供たちが通った幼稚園や小学校。奥さんがパートしていたお店など懐かしい感じでした。

娘たちも子供の頃のことをほとんど記憶がないと前日の家族ミーティングて言っていましたが、風景や景色、建物など見ながら「覚えてる~」なんてはしゃいでいました。

息子が運転していたけどチャンと道路の経由も理解してて凄いことです。

土日のお休みによく行ってたパチンコ屋さん。店名が変わってたようだけどしっかりありました。

そしてメインの島原へ・・・ちょうどお昼どきだったので「姫松屋」さんの具雑煮食べたくて

僕は大盛り具雑煮。美味しいんです、これが 奥さん達は具雑煮・竹定食?

博務は・・・ここでも電車バージョンのお子様ランチ。とても嬉しそうでした。

腹ごしらえが終わったので・・・島原の街中をウロウロ

住んでいた社宅や会社も見てきました。こちらも社宅は既に民間のアパートになっているようでした。綺麗に塗り替えられてるけど周りの雰囲気とかすぐ前にあった建設屋さんはそのまま健在していました。

第5小学校と保育園と見て回っていよいよ旅の最終は「普賢岳」と「深江」「安中地区」

平成3年6月3日大火砕流で多くの方が亡くなられて、その後の土石流で島原の安中地区が埋まってしまった。痛ましいというか本当に悲惨な災害でした。

6月4日には家族は日田の実家に疎開して息子は一学期は僕の母校の光岡小学校に通学しました。その時僕はといえば、社宅が立ち入り禁止区域なので会社に寝泊りして毎日の仕事をしておりました。

2学期からは諫早の暫定社宅に入居して3学期から島原に戻ってきたように記憶しております。

自分たちも大変だったけど、子供達も変わる環境で色々と大変だったんだろうなと今更ながらに思います。

息子と娘がきっとそんな時代があったから今の家族があるんだろうと思うと言っておりました。

が、きっと大変な時をみんなで乗り越えたんですね。

最後に深江の方に行ってみずなし本陣へ

そう言えば土石流のあったのが「水無川」と言ったなぁ~と思い出したりしております。

帰りのフェリーのタイミングが悪く、陸路を福岡に戻りましたが長時間の運転をしてくれた息子くん。ご苦労さま・・・

と、思いきや、帰宅して早々(家にたどり着く前に)「ぎっくり腰」をやっちまったそうです。

これもまた長時間運転した影響かもね。

本当にありがとう。

いくつもあった色んな思いが家族旅行で島原に行けてスッキリとしたようにも感じています。


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