随分前に行ってきた 薩埵峠(サッタ峠)
静岡県のJR興津駅と由比駅の間にあるサッタ峠。
その昔に朝鮮通信使一行も通った道 東海道である。
東海道五十三次で、日本橋から出立して16番目の宿が 由比宿。
昔の旅人たちは東海道の上り下りの時には波打ち際を大急ぎで抜けて行ったと言う。
まさに命懸けの難所だったらしい。
東海道三大難所の一つ.........富山の親知らずのような........
その後サッタ峠が整備されて峠越えをしたのだが、そこもまた大変だったらしい
海岸線は海が荒れた時には今も高速道路等が波しぶきが洗って危険な時もある。
某年2月 観光バスで行ってきた。
観光バスは峠を越えたところまで回送するので道路上で降ろされた
薩埵峠の上り口 由比の反対側
2月の初めころだったが梅の花がほぼ満開に近かった
やはり温暖な静岡
ミカン処なので売店も設置されている
薩埵峠
ここが景色の一番見どころな場所
ここから見たところを 歌川広重が浮世絵にしている有名な景色
歌川広重の浮世絵(版画)東海道五十三次の油井薩埵(由比)
左上の人物3人が難儀をして歩いているのが描かれている
展望から眺めたところ この狭い場所を 高速道路、東海道一号線 JRと大動脈が走っている
由比の町に下りてきた
由比漁港はサクラエビで有名な漁港
時期なので吊り雛が飾ってあった
エビの吊り雛 さすがサクラエビの産地
網にもサクラエビ
脇本陣
由比正雪生家
由比正雪=1600年代 幕府転覆を企てたが失敗して自刃した事件
由比正雪生家は 紺屋で(昔の染物屋)今も染め瓶がそのまま保存してある
さて!サクラエビで昼飯を.........
静岡県のJR興津駅と由比駅の間にあるサッタ峠。
その昔に朝鮮通信使一行も通った道 東海道である。
東海道五十三次で、日本橋から出立して16番目の宿が 由比宿。
昔の旅人たちは東海道の上り下りの時には波打ち際を大急ぎで抜けて行ったと言う。
まさに命懸けの難所だったらしい。
東海道三大難所の一つ.........富山の親知らずのような........
その後サッタ峠が整備されて峠越えをしたのだが、そこもまた大変だったらしい
海岸線は海が荒れた時には今も高速道路等が波しぶきが洗って危険な時もある。
某年2月 観光バスで行ってきた。
観光バスは峠を越えたところまで回送するので道路上で降ろされた
薩埵峠の上り口 由比の反対側
2月の初めころだったが梅の花がほぼ満開に近かった
やはり温暖な静岡
ミカン処なので売店も設置されている
薩埵峠
ここが景色の一番見どころな場所
ここから見たところを 歌川広重が浮世絵にしている有名な景色
歌川広重の浮世絵(版画)東海道五十三次の油井薩埵(由比)
左上の人物3人が難儀をして歩いているのが描かれている
展望から眺めたところ この狭い場所を 高速道路、東海道一号線 JRと大動脈が走っている
由比の町に下りてきた
由比漁港はサクラエビで有名な漁港
時期なので吊り雛が飾ってあった
エビの吊り雛 さすがサクラエビの産地
網にもサクラエビ
脇本陣
由比正雪生家
由比正雪=1600年代 幕府転覆を企てたが失敗して自刃した事件
由比正雪生家は 紺屋で(昔の染物屋)今も染め瓶がそのまま保存してある
さて!サクラエビで昼飯を.........
見覚えのある服と後ろ姿。とんこ様とおりたんではありませんか。
観光バスでも行ってたんだ。記憶になかった。でも思い出した。
そういえば、熊野古道とかもよく歩いたよね。
ミカンや芋持って〰️
あの頃幸せだったね🎵
今よりは多少若かったので峠も難なく歩けたね!
最近はコロナで引き籠り気味なので体力も落ちたので山などはちょっと~
でも落ち着いたらまた何処かに行きたいが.........
さて!次の画像等は.........