楽しくデジカメで記録を.......

時々の季節の先取り、また過ぎ去った季節をデジカメで記録して歩く事を楽しむ!

薩埵峠 (サッタ峠)

2021-02-12 22:42:58 | 東海道五十三次
随分前に行ってきた  薩埵峠(サッタ峠)

静岡県のJR興津駅と由比駅の間にあるサッタ峠。
その昔に朝鮮通信使一行も通った道 東海道である。

東海道五十三次で、日本橋から出立して16番目の宿が 由比宿。
昔の旅人たちは東海道の上り下りの時には波打ち際を大急ぎで抜けて行ったと言う。
まさに命懸けの難所だったらしい。
  東海道三大難所の一つ.........富山の親知らずのような........
その後サッタ峠が整備されて峠越えをしたのだが、そこもまた大変だったらしい

海岸線は海が荒れた時には今も高速道路等が波しぶきが洗って危険な時もある。
            某年2月 観光バスで行ってきた。


観光バスは峠を越えたところまで回送するので道路上で降ろされた





薩埵峠の上り口 由比の反対側


2月の初めころだったが梅の花がほぼ満開に近かった
やはり温暖な静岡














ミカン処なので売店も設置されている











薩埵峠








ここが景色の一番見どころな場所
ここから見たところを 歌川広重が浮世絵にしている有名な景色


歌川広重の浮世絵(版画)東海道五十三次の油井薩埵(由比)
左上の人物3人が難儀をして歩いているのが描かれている


展望から眺めたところ この狭い場所を 高速道路、東海道一号線 JRと大動脈が走っている








由比の町に下りてきた


由比漁港はサクラエビで有名な漁港





時期なので吊り雛が飾ってあった


エビの吊り雛  さすがサクラエビの産地


網にもサクラエビ


脇本陣


由比正雪生家
   由比正雪=1600年代 幕府転覆を企てたが失敗して自刃した事件


由比正雪生家は 紺屋で(昔の染物屋)今も染め瓶がそのまま保存してある


さて!サクラエビで昼飯を.........

掛川・日坂宿

2012-07-04 00:55:56 | 東海道五十三次
東海道五十三次.........
これは誰でも知っていますね。

その五十三宿の浮世絵木版画を作ったのは歌川広重ですが、
基点の日本橋から京都までは何枚の画かご存知でしょうか?
五十三次だから53枚の絵?.......
正解は55枚です。他に京都特別版数枚あるが......

今回は江戸から25宿目の掛川・日坂宿を撮ってきたのでご覧ください。


東海道の三大難所(峠)の一つとされる小夜の中山の西麓に位置する。
広重の日坂宿を描いた浮世絵。絵を見ると相当難所に見えます。高さ250mの峠のようです。


日坂本陣跡(大名たちが江戸へ往来する時の宿舎)




脇本陣、黒田屋(脇本陣は、本陣のサブとしての位置)


問屋場(荷物の運送などの重要な役目の役所)
今は跡形もないとのこと。


日坂宿の街道


日坂宿最後の問屋場を努めた伊藤邸


旅籠屋。当時の建物は日坂大火(1852)で焼失。その後に再建されたもの


秋葉常夜灯。日坂宿は多くの火災にあっているので火伏せの秋葉信仰が盛んであったと言う


高札場。新しい法令等を民衆に公示するため板面に記して往来などに掲示した。


治安維持のため、宿場には木戸が設けられていたが、
日坂宿は規模が小さいので川がその役目を果たしたという


小夜の中山には、遠州七不思議の一つで、赤ん坊の泣き声を発したとの伝説を持つ夜泣き石がある。
それがこの石である