牛込日乘

日々の雜記と備忘録

文藝春秋…

2010-01-24 23:49:42 | Weblog

…で発行している「本の話」というPR誌の最新号が届いたのだが、中に月刊文藝春秋の定期購読申込用パンフレットが入っていた。文藝春秋は、二十代半ばくらいから、会社にあるのを読んだり購入したり立ち読みしたり図書館で読んだりと、ほぼ毎月目は通してはきた。良くも悪くもニッポンの古き良きエスタブリッシュメントの嗜みという感じで、私自身はそういうものを目指したことは一度もないとはいえ、世の中を見る際の一つの基準になるだろう程度の参考にはしていた。

もとよりここで想定されているエスタブリッシュメントというものはフィクションに過ぎない。それでも一定の力を持っていたのが、どうもここへ来て本格的に崩壊してきているような気がする。今年は一九五〇年生まれの人が定年退職を迎えるのだが、現役世代であるそれ以下の年齢の人々が読んでいるような気があまりしないのである。文藝春秋の定期購読者の平均年齢というのは、いったいどのくらいなのだろう。下手をすると七〇歳くらいか? 少なくとも私には、現在がホワイトカラー・サラリーマンが文藝春秋を読みながら世の中を語るような時代だとは、あまり思えない。

それでも文藝春秋は日本の雑誌ジャーナリズムの頂点に位置することには変わりはないと個人的には思っている。同誌で面白いのが巻末の「社中日記」という編集後記欄で、これを読むと文藝春秋というのは何て楽しそうないい会社なんだろうと思う。もちろんフィクションであることは分かっているが、こうした洒脱な嘘を書き続けるだけの人材が綿々と存在し続けているというだけで、何だかうらやましいような気がする。

小中高と一緒だったT子さんという人がいて、人柄というか雰囲気というか、とにかく鄙には稀な非凡なセンスを持っていた。といって孤高の存在でも何でもなく、適度に俗っぽくて誰からも人気があるというタイプで、彼女は文藝春秋に就職した(今でもいるかどうかは知らない)。よく分からないが、向田邦子というのもそんなタイプだったんじゃないかという気がする。



文藝春秋の二月の新刊で、水木しげると赤塚不二夫と手塚治虫の娘による座談会という本が出るそうなのだが、そのタイトルが

『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』

というもの。


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