牛込日乘

日々の雜記と備忘録

平成の二十年と「年越し派遣村」

2009-01-07 01:42:12 | Weblog

一九八九年の正月、昭和が終わった日は、大学二年生だった。正月休みで帰省し、東京に戻ろうとしていた日の朝、家族と「ああ、さっき亡くなったらしいよ」「あ、ホントに」などと会話をしたように思う(どちらかというと左翼的な家庭環境だったので、快復を願う<ご記帳>なんてのは何処の話? という感じで淡々としていた。まあ、もちろん喜びもしなかったが)。その日の午後に西武新宿線武蔵関のアパートに帰り、「新しい年号は“平成”だってさ」などとやや遅めの年賀状を書いていた記憶がある。

思えばこの頃はバブル経済の絶頂期で、<何でもあり>の躁状態と非日常的な<自粛>ムードが相俟って、日本社会全体に奇妙な(今から思えば、本当に奇妙な)興奮状態を発生させていた。就職も完全な売り手市場で、「内定拘束で旅行に連れていってもらった」「入社試験でもらえる交通費だけで二十万円稼いだ」などという話をそこかしこで聞いた。それから二十年が過ぎ、現在の若者の非正規雇用率は二十代前半で四三%、二十代後半で二八%、十代後半に至っては七二%にものぼるらしい。

今のところそんな話は聞かないが、いつ暴動が起きてもおかしくないだろう。

年末年始のニュースでは、しきりに「年越し派遣村」に関する報道が流れていた。しかし、いわゆる貧困問題に関する動きで私が気になったのは、むしろ天皇の一連の発言である。十日間くらいの間に、同じ問題をかなり執拗に取り上げている。

<天皇誕生日のコメント>
「厳しい経済情勢の中で厳しい年の瀬を迎えている人々も多いのではないかと案じています。来る年が少しでもよい年となるよう願っています」

<新年のコメント>
「厳しい経済情勢の中にあって、苦労多く新年を迎えている人々が多いのではないかと案じていますが、この年が国民にとり少しでもよい年になるよう願っています」


どうもこのあたりから政財界の人間たちの発言内容が少しずつ変わってきているような気がする(とってつけたように「セーフティーネットの整備が必要」などと言い出したりとか)。もちろん「派遣村」は実効的なインパクトを与えたが、実は、一連の天皇の発言も、かなり大きな影響を与えたのではないだろうか。天皇のコメントに(例えば宮内庁の役人などの)ライターがいるのかいないのか知らないが、この問題について発言することを選んだことだけでも、後世に残る仕事だったのかもしれない。



 *

ちなみに私は、時代区分として便宜的に使うことはあるが、必要とされない限り自ら元号を使うことはほとんどない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。