旅行2日目は、
ホテルでゆっくりと起き、バイキングの朝食を済ませ、
原爆資料館と、その周辺、平和公園と浦上天主堂に行くことにしました。

沢山の折り鶴に平和の祈りが込められています。
長崎は坂の町と言われますが、
資料館から下り平和公園に向かいます。
降り切って、また、
平和公園へはエスカレーターで山を登ります。


水を求めてなくなった方達への鎮魂を込めた噴水、
この噴水を過ぎ、
平和祈念像が見えてきました。


新しい花が手向けられていました。
両サイドには

折鶴の塔がありました。
さて、そう遠くはないはずだけど、と、
スマホ片手に浦上天主堂への道を探します。
(人に聞こうかしらと言ったら、孫にスマホがあるでしょうと、孫が先導で向かいます。)

今度は階段を下り、遠くに見える天主堂まで雨の中を歩きます。

浦上天主堂です。
爆心地だったので、倒壊し、
後年信者によって再建されたものです。
原爆資料館でも崩れ落ちた天主堂の一部や焼けたロザリオが展示されていました。


これを読むと、浦上のキリシタンの苦悩が伺えます。
こうして下ったり登ったりして、目的の三箇所を雨の中歩いて巡りました。
最初の目的地へはタクシーで行きましたが、
ここからは、長崎も路面電車が走っていますので、
電車にも乗らなくてはということで、
一日乗車券を買って、いざ路面電車に。

路面電車は目的地別に色分け(青、赤、黄、緑)されていて分かりやすく、これも孫の先導で乗り、私はついて行きます。
「観光通」まで行って、よっそう(吉宗)で蒸し寿司を食べる予定が、店が閉まっていて残念、
また電車で長崎駅に戻ることにしました。
朝が遅かったので、時間がなくて観光はここまで。
帰りの電車を待つ間は、遅い昼食をとり、お土産を買ったりして過ごしました。
なんだかの〜んびりなスケジュールでしたが、
私には丁度良かったかも。
若い二人にはまたという日があるでしょうから。
「海上自衛隊佐世保史料館」と「原爆資料館」
孫が行きたいと計画した旅行でしたが、
目的は果たしました。
有意義な時間だったと思います。
私はこの歳までそのどちらにも行ったことがありませんでした。
「負うた子に教えられる」気分でしたが、
佐世保史料館にあった山本五十六の(書 手紙)文字の優しさに感銘を受けました。
ホテルでゆっくりと起き、バイキングの朝食を済ませ、
原爆資料館と、その周辺、平和公園と浦上天主堂に行くことにしました。

沢山の折り鶴に平和の祈りが込められています。
長崎は坂の町と言われますが、
資料館から下り平和公園に向かいます。
降り切って、また、
平和公園へはエスカレーターで山を登ります。


水を求めてなくなった方達への鎮魂を込めた噴水、
この噴水を過ぎ、
平和祈念像が見えてきました。


新しい花が手向けられていました。
両サイドには

折鶴の塔がありました。
さて、そう遠くはないはずだけど、と、
スマホ片手に浦上天主堂への道を探します。
(人に聞こうかしらと言ったら、孫にスマホがあるでしょうと、孫が先導で向かいます。)

今度は階段を下り、遠くに見える天主堂まで雨の中を歩きます。

浦上天主堂です。
爆心地だったので、倒壊し、
後年信者によって再建されたものです。
原爆資料館でも崩れ落ちた天主堂の一部や焼けたロザリオが展示されていました。


これを読むと、浦上のキリシタンの苦悩が伺えます。
こうして下ったり登ったりして、目的の三箇所を雨の中歩いて巡りました。
最初の目的地へはタクシーで行きましたが、
ここからは、長崎も路面電車が走っていますので、
電車にも乗らなくてはということで、
一日乗車券を買って、いざ路面電車に。

路面電車は目的地別に色分け(青、赤、黄、緑)されていて分かりやすく、これも孫の先導で乗り、私はついて行きます。
「観光通」まで行って、よっそう(吉宗)で蒸し寿司を食べる予定が、店が閉まっていて残念、
また電車で長崎駅に戻ることにしました。
朝が遅かったので、時間がなくて観光はここまで。
帰りの電車を待つ間は、遅い昼食をとり、お土産を買ったりして過ごしました。
なんだかの〜んびりなスケジュールでしたが、
私には丁度良かったかも。
若い二人にはまたという日があるでしょうから。
「海上自衛隊佐世保史料館」と「原爆資料館」
孫が行きたいと計画した旅行でしたが、
目的は果たしました。
有意義な時間だったと思います。
私はこの歳までそのどちらにも行ったことがありませんでした。
「負うた子に教えられる」気分でしたが、
佐世保史料館にあった山本五十六の(書 手紙)文字の優しさに感銘を受けました。