凡凡「趣味の玉手箱」

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出藍の誉れ

2006-03-08 07:01:11 | 中国のことわざ
中国のことわざ-152 出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)
教えを受けた元の先生よりも、弟子や生徒が優れる,師を越えることのたとえ。

この成句は「荀子」の勧学篇の冒頭にある「青は藍より出でて、藍より青し」が敷衍(ふえん)して生まれた。

同じ勧学篇にある「氷は水より出でて水よりも寒し」も「出藍の誉れ」と同じ意味である。

単に出藍とも言う。

出典:広辞苑、田川純三著 中国名言・故事 人生編 日本放送出版協会 1990年6月20日


党人派次々と殺される

2006-03-08 06:56:34 | 十八史略を読む Ⅲ
十八史略を読む-Ⅲ-44 党人派次々と殺される

「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から

桓帝が没して、霊帝が12歳で即位した。政治の実権は竇太后が掌握し、竇武が大将軍となり、陳蕃が侍従長になった。

天下の賢臣が登用され、李膺、杜密らも禁錮を解かれて朝廷に出仕することになった。これで天下は太平になるだろうと期待された。

陳蕃と竇武は、これまで宦官が国権を操って国中を混乱に陥れたのだとして、曹節、王甫ら宦官を誅殺するように上奏することにした。

ところがこの計画が漏れてしまった。

宦官は仲間を集めて、血をすすり合って団結を誓った。

それから、幼帝を前殿に連れ出して、詔勅をでっちあげた。竇武らに反逆の罪をかぶせ、まず陳蕃を逮捕して殺した。竇武は自殺したため、その首を洛陽の盛り場にさらした。竇太后は南宮に移された。

李膺は仕官の道をふさがれ、のち宦官の曹節の策謀にあって獄に入れられ、拷問を受けて死んだ。

范滂も逮捕された。

当時、党人派として殺されたものは百人、このほか死んだり、流刑にあったり、官途をたたれたり、禁錮されたりしたものは、6,7百人に及んだ。