凡凡「趣味の玉手箱」

キーワードは中国です。中国以外のテーマは”趣味の玉手箱にようこそ”で扱っております。

西安フォトログ-1

2005-08-31 22:10:37 | 写真で綴る中国旅行

写真は西門内にあるシルクを売っている土産物屋にて。
左のライターに注目、本物の絹は燃えないことを実証してくれた。

2004年10月10日(日)
11時20分に成田を飛び立ち約4時間強の飛行時間で現地時間14時38分(日本時間15時38分)に西安(X‘ian)到着。

2003年にできた新しい空港である西安空港は西安から40kmの地点に位置する咸陽 (シエンヤン)にある。

咸陽は陝西省(シャンシー省)中部のウェイ(渭)河北岸にある商工業都市。

前350~前207年まで秦の都として栄え、始皇帝が前221年、中国初の統一王朝を築いた古都。

茂陵(前漢武帝の陵墓)、楊貴妃の墓など450カ所の旧跡からなる観光都市でもある。

西安は夏の気温が40℃近くまで上がり暑く、冬は零下15℃近くまで冷える寒い内陸性気候の地である。ガイドさんからはこの地は雨が少なく乾燥しているので水分を良く取るようにとの注意があった。

かつて長安とよばれたこの街は、紀元前1134年にはじめて西周が都と定めて以来、11王朝の都として1000年以上も栄華をきわめた古い歴史を持っている。それだけに秦の始皇帝の兵馬俑、半坡遺跡など200カ所の重点文物をはじめ多くの史跡が残されている。


地方巡幸

2005-08-31 12:08:35 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ 秦の始皇帝-7 地方巡幸

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

始皇帝28年、始皇帝は東方の諸郡を巡幸した。まず鄒(すう)のえき山に登り、山頂に石碑を建てて、自らの功績をたたえた。

ついで封禅の祀りを行うべく、まず泰山に登って石碑を建て、そこで封の祀りを行った。そして、泰山を降りてから、近くの梁父(りょうふ)という小山で禅の祀りを行った。

さらに東に向かった始皇帝一行は、海岸地帯に至った。すると斉の方士徐市らが「海の彼方には三つの神山があって、自分が童男童女を連れて海上に乗り出し三神山の仙人を捜して,不死の薬を得て参ります」と上書したので、始皇帝はこの意見を採り入れ、仙人探しに出発させた。

始皇帝一行が洞庭湖の南、湘山(しょうざん)に達したとき、にわかに大風が吹き付け船が進めなくなった。

この祠(ほこら)には舜帝の后を祀っていると聞いて、始皇帝は立腹の余り湘山の木々を全部採らせて、禿げ山にしてしまった。


泰山は土壌を譲らず

2005-08-31 12:07:01 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ 秦の始皇帝-3 泰山は土壌を譲らず

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

秦の始皇帝が中国を統一した時、朝廷では他国者を排斥しようとする動きが起こった。

他国から来て秦の朝廷に仕える者が多いが、連中はみなヒモ付きで、出身国に有利なように国王を操縦しようとしているというのである。

この意見が採用され、大がかりな追放が始まった。

この時、楚の出身であり、王の顧問となっていた李斯(りし)は驚き、秦歴代の4名君、穆(ぼく)君、孝公、恵文王、昭王がそれぞれ他国から広く優秀な人材を集めて王室を強化した例を挙げて反論し、王にこう言った。

「以上四君の功績はいずれも他国者の働きによるものです。

他国者が秦を裏切るなどと、どこをどう押しても言えることではありません。

何事にも度量が大切。

例えばあの泰山があれだけ大きな山容を保っていられるのは、一握りの土をも捨てないからです。

黄河や海があれだけの水をたたえているのは、どんな細流でも受け入れるからです。

このたびの方針は、全くこの精神に反するもの。自国の民を捨てて敵国を利し、賓客を排斥して他国に追いやる、これぞまさしく“敵に兵を貸し、賊に食を給する”愚策でありましょう」

秦王政はこの意見に動かされて、追放令を撤回し、李斯をもとの官職に復帰させた。

その後、秦は李斯の策を用いて、天下を併合したのである。


砂漠化進む中国で緑化協力

2005-08-31 11:58:15 | 中国知っ得情報
NPO法人緑のネットワークが毎日国際交流賞受賞。

同法人は砂漠化が進む中国の過酷な自然環境と日中戦争以来の反日感情が強かった大同(北京の西、約300kmにあって世界遺産の雲崗石窟があることで有名)に於いてアンズを栽培し、従来の雑穀栽培の何倍もの収入をもたらし、収益が地域の教育にも生かされているという。

年2回植林を体験するワーキングツアーを企画し、これまでに約2000人が参加、3400ヘクタールなどに松などの苗1350万本を植えた。

毎日新聞31日の朝刊の記事である。

緑化協力活動は成功ばかりではなく、初期のプロジェクトは失敗に終わることが多かったという。

緑化対象の地は黄土高原。土の粒子がきめ細かく、レンガの材料ともなる土である。土地の人は初め、苗を植えて、水をかけて、しっかりと踏み固めていたそうである。

これでは、日干し煉瓦に苗を植えているようなもので根が窒素してしまう。そこで砂や石炭の燃えかすなどを黄土に混ぜて通気性を良くする土壌改良を行ったという。

地元の人たちはなかなかこの方法を採用しようとはしなかったそうであるが、効果を実証することにより納得してくれたという。

関係者の長年の努力に敬意を払いたい。

下のホームページには大同の地理・気候・歴史や黄土高原の農村の暮らしやお花畑などが紹介されています。

http://homepage3.nifty.com/gentree/


アルゴグラフィックス(7595)

2005-08-31 11:56:44 | 株主の独り言
アルゴグラフィックス(7595)が121万株の株式を売り出し。

株式売り出しにより当面株価低迷か?

アルゴグラフィックスは自動車向け中心のCADシステム販売、保守サービスが主体。

好財務内容。配当利回り1.59%。8月30日現在株価:2860円。

会社四季報が出るのを待って、17年3月期予想が好調持続なら購入するつもり。


天下統治の方策

2005-08-31 06:02:29 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ 秦の始皇帝-6 天下統治の方策

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

始皇帝は民間の武器を全て供出させ、これを首都咸陽(かんよう)に集めた。

膨大な武器を溶かして鏡台と銅像をそれぞれ12作らせた。いずれも、重さ千石(72トン)という大きなものである。

天下の統治法については二つの意見があった。一つは直接統治は無理であるから、各地には王をおくべきであるというもの。

始皇帝がこの意見を動議にかけると、李斬から強硬な反対意見が出た。それは周の開祖武王は、各地に諸侯を封じたが、代を重ねると互いに対立して仇的のように争うようになったと説明し、今の体制、すなわちこのままでよいと反対意見を述べた。

始皇帝は裁断を下した。「ようやく天下が平定された今、またもや国を建てて王を置いたのでは、戦禍の種をまくようなものだ。こんなことで、平和を求めたところで、かなうわけがない。李斬の意見がもっともである」

かくて、始皇帝は天下を36の直轄の郡に分け、郡ごとに守(しゅ:行政長官)慰(い:軍司令官)、監(かん:監察官)を置いた。


殷滅亡の年月日を天文学で推定

2005-08-31 02:53:08 | 中国知っ得情報
何千年もの惑星配置をコンピューターで再現するプログラムを京都情報大学院大学教授の作花一志教授が開発した。

ここまでであればさほど興味を引かないのだが、続いて古代中国の天文記録と照らし合わせ、王朝交代時期を推定する研究に取り組んでいるとあった。

作花教授の研究テーマの一つは周が暴君・紂王の殷を倒した時期の天文学による推定。

こんな記事が30日の読売新聞夕刊に載っていた。

惑星の配置を過去何千年にもわたって再現し、図示できるコンピュータープログラムを用いての研究である。

天文学では軌道半径などの数値に基づき、ある特定の日に惑星がどこにあったかを計算できるという。

プログラムはその結果を太陽を中心とした図で表示し、惑星同士の位置関係を一目で把握できるようにしたもの。

関連の天文記録としては「漢書」「大唐開元占経」などに
① 周の王は天命(意味不明)を受けた
② 殷を討とうとした当初、天空で5惑星(水、金、火、木、土)が集合した
③ 決戦の際、木星は獅子座、月はさそり座、太陽は射手座付近にあった
④ 勝利の年は天命の13年後、その日の干支は甲子だった
との記述がある。

作花教授は紀元前12~11世紀間の惑星の動きを詳細に調べた。

すると、紀元前1059年5月末天空上7度以内のごく狭い範囲で5惑星が集合しており、①②に該当すると判断した。

③は前1047年11月27日④は前1046年1月20日が最有力とした。

英雄の覇業と天文現象を結びつけた記録が全て史実だとは考えにくく、作花教授も「文献考証の問題は専門家にゆだねたい」としている。

それでも、天文学の手法によって歴史解明の材料を提供するユニークな試みと取材した渡辺達治氏は結んでいる。

天文学と史実を結びつけるとは、なんとロマンを誘う試みだろうか。記事を読みながら興奮してしまった。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=427402461X
http://www.kcg.ac.jp/acm/9/a9068.html
http://www.astroarts.co.jp/news/2003/06/05symposium/index-j.shtml
http://www.kcg.edu/faculty/list/sakka.htm