中国女性史研究会で、一緒に中国農村の調査をしているYさんの現代中国の出産の近代化に関する報告を聞いて討論。中国農村では、21世紀に入って、自宅での出産から病院出産への移行が急激に起こった(都市では1950年代から病院出産が普及しており、この面でも中国の都市と農村の違いは大きい)。ところが、病院で出産すると、「胎児の首に臍の緒が巻いていて危険」などと医師から言われて帝王切開になったケースがとても多く、Yさんが調査したある村では、21世紀の8件のお産うち6件が帝王切開だった。予期せぬことに不満が残っている産婦さんも少なくない。近年、中国の医療は商業化が進んで、病院は以前と違って収益を考えなければならないため、必要以上に出産への医療介入が進んでいる、という指摘もある(帝王切開の方が病院にとっては収入になる)。
出産は病気ではないがリスクを伴うので、どれだけの医療介入が必要かは難しい。私たちの研究仲間でも、できるだけ医療介入は少ない方が良いという人と、過剰なそれは慎むべきだが適切な医療介入は必要だと考える人との間で、議論がある(何が「必要」かも難しい)。
ずいぶん前になったが、私は二回、出産を経験している。二回とも骨盤位(いわゆる逆子。ふつう胎児は頭が下にあって最初に出てくるが、逆になっている)だったが、「下から」経膣分娩で産んだ。じつは医学的には逆子は帝王切開の適応だ(逆子の場合、頭が最後に出るので、途中で帝王切開に切り替えられない分リスクが高い)。最初の時は実家近くの個人病院で、院長から「帝王切開にしますか。医者としてはその方が安心だけど」といわれたが、私は「可能なら下から産みたい」と希望した。お医者さんはレントゲンで胎児の頭囲と母体の骨盤の大きさを測って、「大丈夫でしょう。でも胎児が大きくなりすぎると危険なので、点滴で産みましょう」ということになり、結果的にちょうど予定日に促進剤で陣痛を起こして、やや大きめの3150gの子供が産まれた。私はこのお産に基本的に満足しており、適切な医療介入だったと思っている(小さな反省点はあるにしても)。
二人目の時は、自宅に近い産科がメインの賛育会病院で産んだ。逆子でも下から産むのは当然という感じで、帝王切開が話題になった記憶はない。助産師さん達は「逆子のお産は、最後まで息んではいけません」とか教えてくれて、逆子のお産も慣れたもの。この病院は現在も、VBAC(上の子を帝王切開した産婦が次を経膣分娩で産むこと)などもさせてくれる母子にフレンドリーな病院として知られている。
ひるがえって、私がなぜ「逆子でも下から産みたい」と言えたかと考えると、周りの年長の女性たちから「逆子で産んだ」人が何人もいることを聞いていたからだ。そうした女性の間での経験の継承がないと、「医師にとっては帝王切開の方が安心」に抗して自分の納得できるお産をするのは無理だったと思う。
数日前、他人の卵子を貰って50歳過ぎて子供を産んだ野田聖子元郵政相のインタビューを読んだ。彼女は若い時から政治家として頑張っていて、結婚して子供を産もうと思った時には40歳になっており、その時はじめて年齢が高くなると妊娠・出産が難しくなることを知った。不妊治療も試みたがうまくいかず、「知っていたら別の人生設計も考えたのに」という。彼女のような知識の豊富な人でも、出産にも適齢期があることを知らなかった、と知って驚いた。彼女は、結局、自分の遺伝的な子供は無理な年齢で今の夫と出会い、(日本では認められていないので)アメリカまで行って提供卵子によって子供を得た。障害児だが、多くの幸せとこれまで知らなかった世界を与えてくれている、という。
産む女性自身が満足できるお産をするためには、産むことに関する知識を持ち、きちんと自分の希望をもってしっかり医療関係者と話し合える主体となっていることが必要だ。それが「必要」な医療介入を少なくして、女性自身の負担や社会的コストを減らすことにもつながるだろう。もちろん、子供を持つことが女性のキャリアや自己実現を妨げないような社会的なシステムづくりも。
出産は病気ではないがリスクを伴うので、どれだけの医療介入が必要かは難しい。私たちの研究仲間でも、できるだけ医療介入は少ない方が良いという人と、過剰なそれは慎むべきだが適切な医療介入は必要だと考える人との間で、議論がある(何が「必要」かも難しい)。
ずいぶん前になったが、私は二回、出産を経験している。二回とも骨盤位(いわゆる逆子。ふつう胎児は頭が下にあって最初に出てくるが、逆になっている)だったが、「下から」経膣分娩で産んだ。じつは医学的には逆子は帝王切開の適応だ(逆子の場合、頭が最後に出るので、途中で帝王切開に切り替えられない分リスクが高い)。最初の時は実家近くの個人病院で、院長から「帝王切開にしますか。医者としてはその方が安心だけど」といわれたが、私は「可能なら下から産みたい」と希望した。お医者さんはレントゲンで胎児の頭囲と母体の骨盤の大きさを測って、「大丈夫でしょう。でも胎児が大きくなりすぎると危険なので、点滴で産みましょう」ということになり、結果的にちょうど予定日に促進剤で陣痛を起こして、やや大きめの3150gの子供が産まれた。私はこのお産に基本的に満足しており、適切な医療介入だったと思っている(小さな反省点はあるにしても)。
二人目の時は、自宅に近い産科がメインの賛育会病院で産んだ。逆子でも下から産むのは当然という感じで、帝王切開が話題になった記憶はない。助産師さん達は「逆子のお産は、最後まで息んではいけません」とか教えてくれて、逆子のお産も慣れたもの。この病院は現在も、VBAC(上の子を帝王切開した産婦が次を経膣分娩で産むこと)などもさせてくれる母子にフレンドリーな病院として知られている。
ひるがえって、私がなぜ「逆子でも下から産みたい」と言えたかと考えると、周りの年長の女性たちから「逆子で産んだ」人が何人もいることを聞いていたからだ。そうした女性の間での経験の継承がないと、「医師にとっては帝王切開の方が安心」に抗して自分の納得できるお産をするのは無理だったと思う。
数日前、他人の卵子を貰って50歳過ぎて子供を産んだ野田聖子元郵政相のインタビューを読んだ。彼女は若い時から政治家として頑張っていて、結婚して子供を産もうと思った時には40歳になっており、その時はじめて年齢が高くなると妊娠・出産が難しくなることを知った。不妊治療も試みたがうまくいかず、「知っていたら別の人生設計も考えたのに」という。彼女のような知識の豊富な人でも、出産にも適齢期があることを知らなかった、と知って驚いた。彼女は、結局、自分の遺伝的な子供は無理な年齢で今の夫と出会い、(日本では認められていないので)アメリカまで行って提供卵子によって子供を得た。障害児だが、多くの幸せとこれまで知らなかった世界を与えてくれている、という。
産む女性自身が満足できるお産をするためには、産むことに関する知識を持ち、きちんと自分の希望をもってしっかり医療関係者と話し合える主体となっていることが必要だ。それが「必要」な医療介入を少なくして、女性自身の負担や社会的コストを減らすことにもつながるだろう。もちろん、子供を持つことが女性のキャリアや自己実現を妨げないような社会的なシステムづくりも。