つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

中国風信22 温州への旅ー永嘉学派の故郷を訪ねて(『粉体技術』8-8,2016.8より転載)

2017-09-18 00:22:45 | 日記
 前回の寧波に続いて、この春に訪ねた浙江省南部の沿海都市・温州(ウェンチョウ)と近郊の様子を紹介しよう。 温州は、浙江省の最南部、福建省に近い瓯江 (オウジアン)の 河口にある人口300万人の大都会で、上海から高速鉄道で3時間、寧波からなら1時間で着く。浙江 省南部から福建にかけては、平地が少なく山がちで、古くから人々は外へ出かけて生計を立て、たくましい温州商人が育ってきた。たしかに高速鉄道の駅から古い温州駅前のホテルまでの道にも、両側から山の迫る場所もあり、土地は狭い。
 温州というと、がめつい商売をする温州商人の イメージがまず思い浮かぶ。少し前には、不動産 売買に進出し、中国各地でマンションを買い漁っては転売して巨利を手にする温州商人が名をとどろかせた。一方、歴史家にとっては、宋代に理財の学を集大成した永嘉(えいか)学派の拠点として、温州は文化の蓄積の厚い土地という印象がある。
 最初の日は、温州図書館で資料調査をした。図 書館は、7階建てでの新しいビルで、私達の目指す地方文献部は最上階でひっそりと専門家を待っていた。ここの地方文献部は、浙江省温州地域の地方志などを集めているが、それらは水準が高いものが多く、コレクションは充実していた。
 翌日は、温州市の北方、永嘉(ヨンジア)県の碧蓮(ピーリェン)鎮へインタビューに出かけた。永嘉県政府のある街は、温州から車で一時間弱の山間にある。片側4車線の広い道路や10階建てはあろうかと思われる堂々たる県政府ビルは、県下の人口が100万人を超えることを考えれば、納得である。さらに山間の道を一時間あまり行くと、目指す碧蓮鎮に着いた。ぽかぽかと暖かい春の日だったことも手伝ってか、町のたたずまいは、大変明るくて楽し気だ。ここに住む93歳の元教員を訪ねたのだ。

温州地区永嘉県碧蓮鎮の街なみ


 インタビュー場所は彼の自宅近くの八角亭という路地脇のあずまやだった。ふだんは地域の老人たちの集まる場所になっているようで、麻雀牌やトランプや蝋燭の並んだ祭壇などが置かれている。 インタビューしていると近所の年配の人々も集 まってきて、記憶が曖昧なところを補ってくれた。彼の子供たちはみな外へ出て、老夫婦の二人暮らしだが、近所の人たちに囲まれて落ち着いた晩年を送っているようだ。印象的だったのは、中華人民共和国成立後、もっとも大変だったことは何か、という問いへの、1958~60年の大飢饉の時期に食べ物がなかったことだ、という答えで、同じ話は他の人からも聞いた。この山間の町では、働き盛りの人たちの多くは外へ出て、他にも老人ばかりの「空の巣」の家庭は多そうだが、多くは豊かになった現在の暮らしに満足しているように見えた。
 聞き取りを終わって、アレンジをしてくれたXさんが、このあたりは風景が素晴らしいから、駆け足でも見ていけ、といって楠溪江(ナンシージアン)の風致地区に車を走らせてくれた。50元の入場料と書いてあるが、Xさんは「昔はタダで見ていたのに、去年から金をとるようになった。でも地元民だから構わない」と知り合いの管理人に話をつけてくれて、無料で入ることができた。アメリカのヨセミテ公 園を思わせる奇岩が屹立し、間を滝が落ちる風景は絶景だ。山や深い緑の渓谷に、菜の花や桃の花が映えて美しい。中国の観光地によくあるごみごみした感じのしない、再訪したくなる場所だった。 温州の人たちが都会から逃れて週末にやってくる 観光地として、現在、開発が進んでいるという。 生活の質を追求するようになった中国の富裕層を ターゲットにした観光開発は、各地で進められているが、豊かな温州商人の故郷では、他に先駆けて質の追求がなされているようだ。

永嘉県の楠溪江風致地区

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