つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

尖閣諸島問題の歴史的背景(その2)

2012-09-24 10:37:55 | 日記
先に、このブログで、「尖閣諸島は、(19世紀半ばまで)歴史的にはどちらの領土でもない無人島だった」(大意)ということを書きました(7月20日「尖閣諸島問題の歴史的背景」)。これは歴史家としての私の見解ですが、しかし中国政府は同じようには考えていません。
中国政府の主張は、簡単にいえば、「明代から中国の歴史書には釣魚島(尖閣諸島)が出てくるから、昔から中国の領土だ」というものです。史書で存在が確認できればわが領土、なんてことが通れば、古代中国の歴史書に名前の出てくる土地は、東南アジアであれ、日本であれ、中国領になってしまいます。そんなバカな!? と普通は思うのですが、中国の伝統的な歴史観は、「天下ははみな、天命を受けた中国皇帝の(本来)統治すべきところ」というものですから、このような中国政府の主張は、中国の人々の歴史観からすると予想されるほどには違和感のないものです。
日本政府は、「尖閣諸島は、明治以後、無主地であることを確認して、日本政府が統治下に置いたから日本の領土である」(大意)と主張しています。無主地は先に取った者のモノ、という近代国際法の原則に則ってです。しかし中国人にとっては19世紀末以来の近代とは、中国の領土が帝国主義列強によって併呑・奪取・侵略された屈辱の時代です。彼らには、近代国際法なんて列強が自分たちに都合のいいように決めたルールでしかない(これはある意味正しい)、としか思えません。したがって、尖閣諸島は日本の領土という日本政府の主張は、中国としては承認できない、となります。
そしていうまでもなく近代の列強による中国侵略の最大のものが日中戦争であり、中国は膨大な被害を受けています。
このような中国の歴史観からみると、「釣魚島(尖閣諸島)は中国の固有の領土であり、日本が近代に入って不法に強奪したものだ」という中国政府の主張は、多くの中国人の納得するものだと考えるのが自然です。普通の中国人は、暴力を伴った反日デモには賛成しなくても、尖閣諸島は中国領だと考えている、と思っておく必要があります。(もっとも、あの島々はほぼ無人島だったので、こうした議論は日中どちらにとっても極めて観念的なものでしかないですが。アルザス・ロレーヌが自国領かどうかを争った仏独のような切実性はありません。)
私はべつに中国政府の主張に賛成しているわけではありません。ただ、中国人(冷静な知識人を含む)の常識的思考法からみて、この間の中国政府の主張は正当だと多くの中国人が受け止めているだろう、と知っておくことは、この問題を考えるにあたっての前提でしょう。
これらを踏まえたより長期的な視野に立った対応が、日本側(官民ともに)に求められます。

反日デモをめぐって―社会・政治・歴史から(3)

2012-09-23 19:19:02 | 日記

(「反日デモをめぐって」の続きです)
3.歴史:
ところで、このような中国の「反日デモ」のからくりを聞くと、「やはり中国というのはよくわからない国だ」と更にだに嫌中観を増す方もおられるかもしれない。
とはいえ、中国は未来永劫の隣国で、現在とこの先当分の間、日本にとって最大の経済パートナーでもある。よくわからないからといって、付き合わないでいい相手ではない。
必要なのは、まず、相手を知ることである。その際、今現在の中国だけでなく、長めのタイムスパンを取って知ることが、中国を理解するためには大変重要だ。
昨年出版された岡本隆司『中国「反日」の源流』(講談社選書メチエ)は、そのためにとても役に立つ一冊なので、ここで紹介してみたい。
この本には、17世紀以来の中国の社会構造が日本のそれと非常に違っていること、中国の日本イメージのベースには軍事的脅威としての「倭寇」があり、19世紀後半に、中国にとっての最大の脅威としての日本が、特に朝鮮に侵攻されることへの警戒をもって定着したこと、「社会構造およびその差異が、経済制度・政治権力の性質とそのちがいとなってあらわれ、それがさらに、対外姿勢とその齟齬を作り出す。そのそれぞれが、相互の理解不足をもたらし、歪んだイメージや誤解、矛盾をうみだし、対立を重ねて破局にいたる。その破局の結果がまた、あらたな対立の出発になる」(231ページ)19世紀の日中関係の具体的な様相が、最新の研究成果を背景に分かりやすく展開されている。
日中関係が今も何かの契機ごとにこじれるのには、いうまでもなく日中戦争における日本軍が中国に与えた莫大な被害(しかも戦後史のいきさつの中で、日本は戦争賠償を払っていない)が背景にある。だが本書は、中国の「反日」はそれよりもさらに長い歴史的な「根」を持つ問題であることを、両者の社会構造の違いから説き起こす。
本書を読めば、日中関係とはいかに一筋縄でいかないものであるかリアルに理解できるだろう。そして近視眼的な対応を脱して、腹をくくって長期的な視野で、中国との関係を作っていくしかないことが、実感できると思う。
好き嫌いにかかわらず、われわれは中国と関わり続けなくてはならないのだから、より良い関係を築くに越したことはない。そのためには、相手を知り、自分を知って、関係のあり方を考えてゆくしかない。

反日デモをめぐって―社会・政治・歴史から(2)

2012-09-22 18:17:52 | 日記
(「反日デモをめぐって」の続きです)
2.政治:
ところで、先の佐々木愛さんの伝えてくれた南京のデモの様子は、自然発生的というにはどこか不自然な風が見えた。
結論からいうと、私はこのデモは、「当局」の指示によるいわゆる「官製デモ」であり、全国各地で指示された人々によって演出されたものだろうと思う。「当局」が、日本の尖閣諸島国有化に如何に中国人が怒っているかを演出するために、裏から指示してやらせたもので、しかもそこには、国家の指導部の交替を前にした権力闘争が絡んでいるようだ。それに社会に不満を持つ人たちが便乗して、一部の都市ではかなり規模が大きくなった。その点について、貴重な情報を伝えてくれるブログがあったので、下にURLを貼り付ける。

鞦韆院落 北京で過ごすインデペンデント映画な日常:反日デモ(2012.9.16)
http://blog.goo.ne.jp/dashu_2005/

もうひとつ。
西端真矢ブログ:中国・反日デモ暴徒化の背景と、日中関係の今後~最も基礎から解説!(2012/09/18)
http://www.maya-fwe.com/Blog.html  

いずれも、中国のことをよく知る方が、それなりに情報収集してまとめられたもので参考になる。
権力闘争の最中に対外関係が緊張して、弱気な姿勢を見せれば弱腰だと批判されるのを恐れて対応が強硬になる傾向があるのは、日本側も一緒だ。日中ともに、今は十数年に一度の権力が流動化している時期で、こんな時に日中関係が緊張すると双方がどんどん強硬になって、ほんとうにはらはらする。
同時に、中国の中にはそのような対応に批判的な人々もいて、そうした人々によって「官製デモ」の実態がネットなどで明らかにされてもいる。
ただし注意すべきは、暴力的な方法で抗議することに対しては中国国内でも批判が出ているとはいえ、「釣魚島(尖閣諸島)は中国領であり、日本政府が国有化したことはけしからん」という点については、多くの中国人は当然のこととして同意しているのではないかということだ。日本のマスコミが「尖閣諸島は日本固有の領土」と繰り返し、多くの日本人がそう思っているのと同じように、多くの中国人は「釣魚島(尖閣諸島)は中国領」と思っている。だからこそ、指導部が弱腰だと批判されるのを恐れることにもなるわけだ。
もっとも「それは政治のことで、自分には関係ない」という人も中にはいるのだろうけれど、デモには行かなくても「愛国的」な人は中国にも多いことは念頭に置く必要があろう。
(なお、このブログの以前のページ「尖閣諸島問題の歴史的背景」7月20日も参照されたい。)

(この問題について、まだ続きます。)
  


反日デモをめぐって―社会・政治・歴史から(1)

2012-09-21 17:52:27 | 日記
尖閣諸島の日本政府による買収に反発して、先週週末(15日16日)と満州事変発生の記念日である9月18日に、中国国内数十か所で反日デモが起こった。
その間、日本では、ニュースはこの話題でもちきりで、暴徒化した群衆が日本領事館に投石したり、日本企業の店舗や工場を破壊・略奪する様子が繰り返しテレビで流れて、中国中が反日デモで騒然としているような雰囲気になっていた。
この問題について、(1)社会、(2)政治、(3)経済、(4)歴史の各側面から、考えてみたい。
(1)社会:多くの人が中国にいる日本人の安全を心配したようだが、別に普通に生活している人にとっては何も問題はない。
それがよくわかる上海在住の友人・佐々木愛さん(島根大学教員・中国前近代史)がFacebookで伝えてきたかの地の様子を、ご本人の許可を得て転載します。

<以下、佐々木さんのFacebookより>
9月17日:中国でのデモを心配するメールを何通もいただきました。ご心配おかけしております。確かに尖閣諸島を日本が国有化するというので、テレビでみる中国政府の態度はかなり硬化し、それは先月段階のそれとは比べものになりません。しかし、”「政治・外交問題」と、「社会で生活する個人」とは関係ない”というのが普通の中国の人の考え方です。血の気の上がったデモ隊に近づいて挑発でもしないかぎり、私の身の上にはまず何も起こらないでしょう。心配ご無用です。
  さて、一昨日の土曜日、私は南京で、ちょうどデモをしているところに遭遇しました。地下鉄の駅から地上(南京の中心・一番の繁華街)に出たら、ちょうどデモが来たところでした。デモをしていたのは30人ぐらい。はああ?と思うほどの少なさでした。しかし道の両脇をずらりと警察が固めていて、まるで警察の駕籠のなかでデモをやらせているような感じでした。どうみてもデモ隊より警察のほうが数が多い。(当初想定より人数が集まらなかったということかもしれません。)デモは非常に整然としたもので、整然とスローガンを大声で言っていて、何も危険な感じは受けませんでした。デモ隊の先頭に大きな中国の国旗を持った人がいて、その次に何人かの人で横断幕を持っていて(何が書いてあるのかはよく見えなかったのですが、ちゃんと旗屋さんで作ったもの)、で、デモ隊が持っているのはそれだけでした。日の丸をどうとかしたりとか、それぞれ手製の何かを持っているとかいうこともありませんでした。デモより、「あ、デモやってる!」とたくさんの野次馬が携帯やスマホで写真を撮ってるのが印象的でした。あの「南京」でこういう状況であるというのは興味深いことでした。まあこんな感じのデモでも「中国全土でデモ○件」のうちに勘定されるわけですね。
9月20日:上海に駐在等で定住している日本人は5万人だそうです。上海といっても古北と浦東に日本人専用マンションというのがあって、駐在員やその家族はみなさんそこにお住まいだとか。
私はこういう駐在員社会とは無縁なので、そちらの様子はわからなかったのですが、今日会った上海の人は、駐在日本人家庭に中国語を教えにいっているそうで、様子を話してくれました。なんと上海の日本人学校はデモを考慮して二日間も学校が休みになり(←どうしてこういう判断になるんだ?)、家でお母さんは子供と「こんな怖いことになってどうしましょう」とおびえていたそうです。(ひえー!)そこで彼女が「そんなこと上海は全く関係ない、日本領事館の近くにさえ行かなければ何も起こらない」と言ったそうですが(←こう考えるのが普通でしょう、やっぱり)、しかしそこのお母さんには信じて貰えなかったとのこと。彼女曰く「あそこにいる人達は、日本人だけで住んで、日本の衛星放送のテレビを見て、日本のものだけを買って食べて暮している。上海の中に日本の社会がそのままぽんとあるようなもので、上海と関わりがない。」(以下、省略)
9月21日:今日は授業の日。学生たちに、反日デモの事について聞いてみました。「あれは政府のやったショー。私たちには、ま~ったく関係ない。」「デモに行くのは動員された人と、それから貧乏で不満がある人だ。普通は何も関係ない」(私:この大学でデモに行った人はいないの?)「まあいたかもしれないけど、それは騒ぎたかっただけ。アイドルのコンサートに行って騒ぐのと同じ。」「今、ちょうど中国は指導部が変わるところだから、それでこんなことになってるんだ」。云々と非常に普通な答えが。
 ちなみに、誰も上海でのデモを目撃していません。そりゃ大学から日本領事館までバスで1時間ぐらいはかかる。わざわざ見に行かないかぎり見られるものじゃない。私も上海ではデモを見ていません。(以下、省略)

このように、反日デモは中国のごく一部で起こっていることで、普通に生活している中国人にも日本人にも関係ない。
ごく一部の出来事の、特に過激な場面が繰り返しテレビで流れて、中国全土はあたかも日本人にとってとても危険な場所であるかのような印象が作られたのは、2005年の反日デモの時もそうだった。(マスコミの責任は大きい)
中国では、政治と自分たちの暮らしは別ものだと、普通の人は思って暮らしている。一部で過激なことを言っている人がいても、普通の中国人は隣の日本人を殴ったりしない。マスコミによって「作られた」印象であたふたしてはならない。(続く)





中国の「一人っ子政策」は、なぜ成功したのか?-トーク会 at Stanford

2012-09-20 09:18:07 | 日記
夏休み最後の一週間を、懐かしいStanfordに来ている。
図書館でのやり残していた調べ物をする外に、久々にみなと太極拳の練習をしたり、こちらの友人たちと旧交を暖めたり。
で、今日はこのブログでも紹介したことのあるベイエリアの日本人女性中心の「トーク会」で、研究テーマについて話をさせていただいた。
タイトルは、<中国の「一人っ子政策」は、なぜ成功したのか?>

内容を簡単に紹介すると;
中国の「一人っ子政策」は、出生率を低下させたという点では、疑いなく成功したといえる。この政策に対しては、中国国内では 成功を誇るとともに「女性に生殖自主権を獲得させた」と高く評価されているのに対して、国外では妊娠中絶を容認・強要していることやリプロダクティブ・ヘルス&ライツを損なっているとする批判が強い。しかしいずれいせよ、当の中国女性の眼から見た評価はわかりにくい。
私は、中国人共同研究者とともに、この数年、中国の複数の都市や農村で現地女性から1950年代以来のリプロダクションの経験について聞き取りをしている。
その結果、上からのバース・コントロールの推進は、「計画出産」として早いところでは1950年代から始まっており(ただし70年代までは一人っ子は提唱されず、罰則などもなかった)、それは上からの行政=医療ネットワークと連動して展開されたこと、多くの女性はそれによって初めてバース・コントロールにアクセスすることができるようになったこと、そのような条件の中で、国家が子供の数を規制することは当然視されるようになってきたこと、などがわかった。
女性たちは、上から推進される「計画出産」と、伝統的な多子・男児を重視する家族観、そして個々の身体的条件や経済的条件などの中で、時には計画出産の政策を利用し、時にはそれから逃げて、自分の望む子産みを実現しようとしたたかに対応している。
計画出産を理解するためには中国社会の文脈にそってそれを読み解くことが必要で、その改善の方向も、中国の現実に根ざして考えてゆくことが前向きな結果をもたらすと思われる。

研究を大きくまとめて話す機会をいただいたとともに、久しぶりにお世話になった方たちとも会えた、貴重なひと時だった。


「まず「慰安婦」自省から」(坂本義和東大名誉教授の東京新聞寄稿)

2012-09-09 11:22:28 | 日記
慰安婦問題は、普遍的な人権問題として広く国際社会が注目するものであり、近年もアメリカ議会や欧州議会などの日本の友好諸国が日本政府に公式な謝罪と責任を受け入れることを求める決議を出している。慰安婦問題を指摘する者は「反日」であるかのような一部の言説は、全くの誤りである。-昨日(2012年9月8日(土))の東京新聞朝刊に、以上のような趣旨の、「まず「慰安婦」自省から-竹島問題日韓緊張緩和へ」という国際政治学者である坂本義和東京大学名誉教授の寄稿が載っていた。大変共感したので、写真をアップします(あまり上手に取れてない。ごめんなさい)。
このような事実関係をふまえた極めてまっとうな意見を政策決定の場に伝えるには、どうすればいいのだろうか。

☆なお、1993年の日本政府のいわゆる「河野談話」について、当時の河野洋平官房長官の息子の河野太郎衆議院議員の最近のブログに紹介がありました(河野太郎公式サイト ごまめの歯ぎしり 2012.8.31)下のURLです。
http://www.taro.org/2012/08/post-1257.php

中国前近代ジェンダー史ワークショップ

2012-09-05 00:07:36 | 日記
東洋文庫で、中国前近代ジェンダー史ワークショップを開催した。
日本の中国史研究は世界をリードする水準なのだが、ジェンダー史・女性史の分野については立ち後れが目立ち、これは日本の中国認識にゆがみをもたらしている。
こうした状況を打ち破るべく、中国社会のジェンダー構造の変遷について、現在の研究成果を持ち寄って議論し、共通認識を作っていくために企画したワークショップである。
ベテランと若手の4人の研究者に報告・コメントをお願いし、わくわくする活発な議論ができた。個人的にも、新しい認識を得て、啓発される報告・発言がいくつもあった有意義な会だったと思う。
今後もこのような機会をたくさん作っていくつもりだ。
本日のプログラムは下の通り。

<唐宋変革は中国のジェンダー構造をどう変えたか?
―中国ジェンダー史教育の方向を探る>ワークショップ(その1)

日時:2012年9月5日(水)午後1:30~5:30
場所:東洋文庫2階講演室(文京区本駒込2-28-21)
13:30~13:45 趣旨説明 小浜正子(日本大学・東洋文庫)
13:45~14:30 報告1.
金子修一(国学院大学):「漢代の皇后に関する諸問題」
14:30~15:15 報告2.
猪原達生(日本学術振興会特別研究員):「唐代における宦官の婚姻と家族形成について」
15:15~16:00 報告3.
五味知子(学習院大学研究員)「明清時代の貞節と秩序」
16:15~16:30 コメント:岸本美緒(お茶の水女子大学)
16:30~17:30 総合討論
(終了後は、東洋文庫裏のオリエントカフェで懇親会を行った。)