つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

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中国史における家族像の変遷-第二回中国前近代ジェンダー史ワークショップ

2013-01-27 11:36:58 | 日記
強い父系制だとされる中国の家族への、母系の影響力は時代によって如何に変わったのかを議論しようと、第二回中国前近代ジェンダー史ワークショップを開催した。(東洋文庫現代中国研究資料室ジェンダー資料研究班等主催)
第一報告は、下倉渉先生(東北学院大学)の「父系化する社会」。前漢には異父同母兄弟姉妹を同父のそれと同じように扱っている例があるなど、母系のつながりも含めて同族だと意識されていたが、六朝期には父系の同宗観念が以前より強くなっていた、という。家族を、面識のある「記憶」上の血縁者を主とする外姻と、「記録」上の血縁者も含めた同宗(父系宗族)とに区別して捉えるなど、斬新な研究は、中国の父系家族(観念)の形成についての新境地を拓くものと思われた。
第二報告は、荒川正晴先生(大阪大学)による「敦煌文書に見る妻の離婚、娘の財産相続」の史料紹介。敦煌出土の漢文史料には、夫妻が平等の立場で離婚することを示す「夫婦相別書」や、娘に息子と同様に財産分与させる書式などがあるという。いずれも従来の中国家族史の「常識」ではない。「常識」的な中国家族像(離婚は夫が妻に言い渡すもの、財産は息子のみが相続)は、どの時代と地域の「常識」なのかを、問い直す必要がありそうだ。
第三報告は、倉橋圭子先生(立教大学研究員)の「明清期の「科挙家族」と姻戚」。熾烈な科挙受験の競争の中で多くの合格者を排出する家族には、やはり科挙合格者を排出している姻戚がいることが多く、女性による生家から婚家への文化資本の伝播が科挙の合格のための大きな資源となっている。がっちりと父系の宗族組織が形成された社会で、母系ネットワークの果たす機能を考察する。
中国の家族については、儒教の影響の下で非常に発達した父系観念と制度が如何なるものか、詳細な研究は多い。しかしそれを万古不変のものと見ずに歴史的な形成・発展・変容を捉えようとする研究は、じつはそんなに進んではいない。それには史料の限界もあるが、研究者の視点の制約も大きかったのではないか。このワークショップは、そのような限界を突破して、中国ジェンダー史の新しい地点を拓くことはまだまだ可能だと感じさせる非常にエキサイティングなものだった。日本史、朝鮮史やアフリカ史の専門家の参加もあって、他分野からの「素朴」な質問は、中国の家族について改めてわかっていたつもりのことを様々な角度から分析的な言葉で説明する機会を与えてくれた。
第一回のワークショップの報告者が三人ともまた参加してくれたのも嬉しく、ワクワクする議論をこれからも盛り上げてゆきたい。早速第三回の企画にかかろう。
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日大校友会宮崎支部にi講演に行きました。

2013-01-26 12:08:29 | 日記

日本大学校友会宮崎支部の総会へ、「尖閣問題の歴史的背景」の講演に行きました。10月の文理学部公開講演を聴きに見えていた宮崎日大高校の教頭先生からリクエストがあったのです。
10月に比べて、日中両国が政権交代しましたが、日中関係はいっこうに改善せず、昨今は中国側の「領空侵犯」に対するスクランブルも相次いで、軍事衝突をまじめに懸念せざるを得ない状況であることを考えると、準備していてため息が出ました。
宮崎では、皆さん大変熱心に聴いてくださって、質問もいろいろ出ました。私がお話しした、東アジア海域の歴史、中国政府の主張の論理、また日中両国の政府以外の動きなど、皆さん「知らないことがたくさんあった」と好評でした。特に江戸時代の琉球王国が清と薩摩藩に「両属」だったことは多くの方の関心を引いたようです。
参加者の中には、息子さんがもう10年中国に暮らして中国人の奥さんと家庭を持っていて「反日デモ」の際には心配だったという方や、観光地宮崎でレストランを経営していて中国人客の激減に困っている方など、ここでも日中関係悪化の影響がいろいろ及んでいるようです。
講演会の後の懇親会では、日本大学卒業のいろいろな年齢・職業の方とお話しする機会がありました。多くの教職員が参加しておられた宮崎日本大学高校は、学力の評価が高いだけでなく野球部(惜しいことに春の選抜は補欠でした)、サッカー部(県で準優勝。PKで負けた鵬翔高校は全国優勝)などもがんばっており、またアトラクションで出場してくれたチアリーディング部の女子高生たちの溌剌・堂々とした演技に目を見張りました。空港ではちょうど芸術学科の生徒の作品が展示されており、のびのびした表現力にも感心しました。全体的に色遣いが明るく豊かなのは、宮崎の太陽と自然の賜物か、とも思います。女子サッカー部もできていて、最近は女子生徒の活躍ぶりが目立つ、というお話でした。教職員の方々のお話からは、生徒たちがみな、熱心かつ楽しんでそれぞれの課題に取り組んでいる様子がわかり、活力あるよい高校なのだと思いました。
今回は時間がなくてトンボ返りでしたが、機会あればまた、今度はゆっくり宮崎を訪れてみたいです。
(写真は宮崎日大高校芸術科生徒の作品です)
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女性史学賞授賞式-姚毅さんの『近代中国の出産と国家・社会』の受賞

2013-01-12 00:51:14 | 日記

第7回女性史学賞の授賞式に京都へ出かけた。
若い研究仲間の姚毅さんの『近代中国の出産と国家・社会―医師・助産士・接生婆』が、内田雅克さんの『大日本帝国の「少年」と「男性性」-少年少女雑誌に見る「ウィークネス・フォビア」』とともに受賞したので、彼女の研究を紹介したのだ。
この賞は日本中世史の大家である脇田晴子先生が中心になって、後進の女性史・ジェンダー史研究者を励まし女性史研究を発展させることを願って創られたもので、今年で7回目になる。
姚毅さんの研究は、中国の出産の近代化に関するもので、以前は村の産婆に家で取り上げてもらっていた中国の出産が、国家の認定を受けた訓練産婆である接生婆や産科医・助産士の介助によって病院で行われるようになった、近代中国の出産の近代化の過程とその特徴、中国の産科医療システムの形成過程、そこでの産婦や産婆をはじめとする人々の反応などを、技術・ジェンダー・国家の視点で分析したものだ。中国でも近代になって出産の医療化・施設化・国家化が進展したが、もともと非常に発達した産科学を含む中国医学が根づいた社会で、現在でも産科医師には女性が多いなど、中国の出産の近代化は、日本や西欧とは異なった特徴をもっている。膨大な一次資料を駆使し、最新の理論を参照した研究は、中国の出産の近代化の特徴を理論的に分析するとともに、変化の過程での多くのエピソードや草の根の人々の声なき声が拾い上げられており、当時の人々の息遣いが聞こえてくる。また、現在の産科医療の光と影を照射するものにもなっている。
姚毅さんは中国は湖南省の農村の出身で、日本に留学してきてもう20年になる。この間、慣れない外国で、結婚して二人の子供を育てながら、研究を続けてきた。彼女の育った中国農村の暮らしと日本での研究生活とは大きなギャップがあり、大変苦労が大きかったと思うが、そのギャップの中で得た視点を研究に生かして、形にされた努力に敬服する。
早くから彼女の研究に注目し、その水準の高さと研究の意義を確信してきた者として、今回の受賞は大変うれしい。
また、もう一人の受賞者の内田さんも、高校教員をしながら遅くに大学院に入って研究を始めた人だ。小さいときから「男らしくない」と言われて社会の要求する男性性に適合しないことに辛い思いをされていたという。戦前の雑誌から日本の少年たちに「弱さへの嫌悪」が要求されていたことを明らかにした研究には、そのような経験から得た視点が生かされている。
今回の受賞作は、一つはアジア地域に関するもの、一つは男性性に関するもの(「女性史学賞」は広くジェンダーの視点に立った研究を対象とする)だったことも印象的だ。このようにジェンダー研究がますます広がりをもって進展することを期待したい。
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山中さんのノーベル賞受賞によせて―ちょっと母校自慢

2013-01-05 13:21:26 | 日記
正月休みに書類を整理していたら、「山中伸弥さんにノーベル賞」の記事が出てきた。で、昨年の話題になってしまったが、やはりこのことに触れておこう。
山中さんはとは直接の面識はないが、間接的にはかなり近しい人だ。というのは、彼は中学・高校の4年後輩で、同じ学校で3年下だった弟とは柔道部で一緒に投げたり投げられたりしていた仲だったので、我が家では昔から「山中君」だった。
そういうこともあって早くから山中さんの仕事には注目していた。彼を立派だな、と思うのはiPS細胞の社会的意義(医療の進歩への可能性)をわかりやすい言葉で発信し続けてきたことだ。いってみれば研究に哲学があり、それを開示し説明している。そうして多くの同伴者を獲得し、その人たちを高い目標でまとめている。さらには研究の進歩にともなって必要となる社会的なルール作りが遅れ気味な点についても、それを進めるべく行動している。
私には、このような専門バカではない広い視野と高い志をもって研究に取り組み、それを広く共有しようとする山中さんの姿勢には、母校での教育が大きく与っていると思える。
私たちの母校では、勉強・クラブ・自治会活動の全てに取り組むことが当然で、また遠泳・富士登山・学園祭・音楽祭・百キロ徒歩などなどのさまざまな学校行事・自治会活動に皆で取り組む中で幅広い経験を積んできた。何か特異な得意なものがある「変わった」人は尊敬された。山中さんには、若い時期にそのような時間を共有してきた人への共感がある。(同期の間では数年前から「ストックホルムで山中を胴上げする会」ができているとか。たぶんホントに何人も授賞式を見に行っただろう)
最近の同窓の著名人にはもう一人、福島第一原発の吉田前所長がおられる。こちらは3年先輩にあたる。原発事故の際、彼が上からの命に背いて海水注入を継続したことが事故のさらなる拡大を防いだのはすでに周知だが、専門的知見と良心に基づいて自分で判断する吉田前所長の行動にも、母校で培われた自主的な精神を感じる。(病気で退任されたが、ご回復を祈る)
もちろんそのような開かれた心と広い視野に基づく責任感を育む教育は私たちの母校の専売特許ではなく、多くの場所で実践されていると思う。ただ私にとっては、山中さんたちの活躍は、母校で培ったそのような志を確認し、自分も頑張ろう、と思わせてくれるものだ。まだまだ困難の多いだろう新しい年の念頭に、誇るべき後輩と先輩について記して、自分への激励としたい。
私たちの母校は、大阪教育大学附属天王寺中学・同附属高校天王寺校舎という。
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謹賀新年

2013-01-03 02:02:04 | 日記
2013年が始まった。
日中関係の悪化、混迷を続ける政治、進まない復興と明るい話題は少なく、安倍政権の方向にもずいぶん危ういものも感じられるが、とにかく自分にできることをしっかりやってゆくしかない。このブログでの発信も可能な範囲で続けてゆきたい。
新年のご挨拶を、今年は下手な英語バージョンのも作って、アメリカで知り合った人たちにメールした。
嬉しいことに、フーバー研究所で隣のオフィスにいた中国の若い外交官からすぐに返信が来た。(フーバーには、北京の外交部から半年交代で研修に来ることになっていて、その人たちのオフィスが私の隣だった)
曰く「あなたはきっと日中間の問題の解決のために尽力していると信じている。国家間の関係がどうであれ、我々はずっと友達だ」と。
仲良くしていたが、特別に親密だったわけではない彼からこのような返事が来たことは、とても嬉しい。
上海の古くからの友人たちとの関係が国家間の関係とは別なのは、私の中では当然だったのだが、べつにジャパン・スクール(という言い方があるかどうか知らないが、外交部の中での日本専門家で知日派の人たち)でもない、中国の外交部―緊張した日中関係の当の相手側―に属する人でも、普通にこういう返事をくれるのだ。日中関係の成熟は、こんなところからも可能だろう。
彼は現在、次の任地のオーストラリアに赴任中。そのうちに、またどこかで会えたらいいな。
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