つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

中国風信⑬中国人の歴史意識とナショナリズム(『粉体技術』2015年2月号より転載)

2015-01-31 11:05:46 | 日記

 昨年刊行されたワン・ジョン(伊藤真訳)『中国の歴史認識はどう作られたのか』(東洋経済新報社)は、中国のナショナリズムを論じて面白い。興味深そうな論点を、思いつくままに紹介したい。
著者汪錚は、アメリカの大学で教鞭をとる中国出身の若い国際政治学者である。原著のタイトルは、Never Forget National Humilation(国恥を忘れること勿れ)で、古代の栄光と近代の恥辱に関する中国人の歴史的記憶が、いかに現実の国際関係を規定しているかを論じている。著者は、中国の国民的アイデンティティを構成する最大の「原材料」は歴史的記憶であり、中国人の政治や外交上の振る舞いを理解するには、その歴史意識を理解することが欠かせない、という。
 すなわち、現在の中国の行動の基には19世紀半ばのアヘン戦争に始まり20世紀半ばの中華人民共和国成立にいたる「恥辱の一世紀」の記憶――領土の割譲、賠償金の支払い、「不平等条約」、日本の侵略、南京大虐殺などの、欧米や日本から受けた恥辱の数かずがある。中華はもともと世界の中心であり、「龍の子孫」の中国人は優れた文化的道徳的資質を備えているにもかかわらず、貧しく弱かったから近代において列強から凌辱されて「屈辱の一世紀」を送る羽目になったのだ。発展を遂げることでしか復興は実現できない。各世代の中国人は、「中華民族の偉大な復興」を成し遂げることを揺るぎない奮闘目標とせねばならない。このように、現在の中国共産党の指導部が掲げ、中国人全体に共有されている政治的スローガンの基には、中国人の歴史意識があるのである。
 著者は、こうした歴史意識の基になっているのは、歴史上の事実そのものというよりは歴史的記憶であるという。歴史的記憶を作り上げるのに、1990年代以来の「愛国主義教育」は大きな影響力があるが、それだけでできたというほど単純なものではなく、国民の深層文化に根ざした確固とした社会的規範となっている、という。
 たとえば、オリンピックなどで見る中国人の金メダルへのあくなきこだわりである。彼らは銀や銅ではダメで、どうしても金メダルを取らなくては意味がない、という。スポーツは、国民の名誉や恥や、政治的正当性、国の国際的地位に関わる。その裏には、中国人の肉体的虚弱さが「東亜の病夫」と呼ばれて侮辱されてきた歴史的記憶がある。もっとも近年の研究によれば、それは中国の人々がみずから「イメージした恥辱」だったというが、ともあれ金メダルこそが恥辱の思いを癒すのだ。
 オリンピックの開催も、中国復興の象徴であり、それが成功して世界とくに西洋から認められ賞賛さることを、中国は切に欲していた。なので、2008年の北京オリンピックの聖火リレーに対して、同年のチベットでの人権抑圧に抗議するデモが各国で起こったときには、同等またはそれ以上に感情的に激した対抗デモが、各国の留学生などの在住中国人によって展開された。フランス大統領が開会式への出席を拒否すると、中国各地の仏資本のスーパー、カルフールに抗議行動が向けられた。
 以上のような現象からは、中国政府と国民の行動が、「神話」と「トラウマ」からなる心理(コンプ)構造(レックス)によって左右されていることが見て取れる。
 興味深いのは、このような愛国主義的なデモに参加するナショナリストには若年層が多く、欧米の名門大学へ留学経験があるようなエリートも含まれていることである。インターネットを使いこなす、若くて教育のある都市部の中国人ほど、ナショナリズムを信奉している。
 本書の議論は、日本の中国史家が蓄積してきた中国人の歴史意識の捉え方からもおおむね頷けるものである。このような著作が訳されて読まれることは、日本社会の中国理解の深化に資すると思われる。