つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

『アジアの出産と家族計画』刊行

2014-04-30 00:46:21 | 日記


小浜正子・松岡悦子編『アジアの出産と家族計画-「産む・産まない・産めない」身体をめぐる政治』(勉誠出版、2014年4月)が刊行されました。内容構成は以下の通り。

序.小浜正子:20世紀後半アジアにおけるリプロダクションの展開
Ⅰ 戦後「日本」の生殖における国家と女性
1.田間泰子:「産む・産まない・産めない」と日本の戦後
          ―女たちの人生
2.澤田佳世:「日本一」の出生率と沖縄の子産み
          ―日米支配と家父長制下の家族計画
Ⅱ 中国農村における生殖の医療化と国家化
3.小浜正子:「一人っ子政策」前夜の中国農村
          -Q村における「生まない」選択の登場
4.姚 毅:国家プロジェクト、医療マーケットと女性身体の間
          ―中国農村部における病院分娩の推進
Ⅲ アジアの家族計画にみる援助と国家と女性
5.幅崎麻紀子:「リプロダクションの文化」としての家族計画
          -ネパールにおける生殖統制の条件
6.嶋澤恭子:ラオスにおける「生殖コントロール」の様相
          -女性の健康プロジェクトとしての導入
Ⅳ 生殖と医療化
 7.松岡悦子:医療化された出産への道程
          -韓国の「圧縮された近代」
8.白井千晶:日本における不妊をめぐる身体政治
          -不妊治療費への健康保険適用と公費助成を例に

「序」の冒頭を再録します。
 人が子供を生み育てて世代をつなぐ営みは、古来から繰り返されてきた。しかしその実際のあり方は、地域によって時代によって大きく異なっている。本書は、アジア各国・各地域の20世紀後半から現在までのリプロダクション-生殖の変化の様子を跡づけ、比較の視野のもとに、その意味を多元的に考察しようとするものである。
 20世紀は、アジアの女性にとって、子供を産み育てる営みのあり方が大きく変化した時期であった。出産は、自宅で家族や親しい女性たちに見守られてのものから病院で専門職の医療者に管理されてのものに変化した。子供は「授かりもの」から「計画して造るもの」に変わり、女性/カップルがどれだけの子供をいつ持つべきかについて、家族・共同体だけでなく国家や国際機関もまた介入するようになった。さらには出産の方法や、また避妊や、逆に不妊の場合に子供を得るためのテクノロジーが、商業化を伴いながら発達した。子を孕み産んで育てる営みは、女性たちの身体に起こることでありながら、その想いとは隔たったものと感じられることは、これまでも多々あったろうが、その具体的な状況は、伝統社会におけるものとは違ってきている。生殖(リプロダクション)-妊娠・出産・中絶・避妊・不妊などに関わる事柄は、国家の人口構成に影響して経済・軍事・社会政策の条件となり、家族の形態を変動させて社会保障システムなどに影響するだけでなく、女性たちの人生のあり方を根底で規定するものである。本書は、アジア各地の社会において20世紀後半に生じたこのような生殖をめぐる変動を、それぞれの社会の文脈の中で読み解き、相互の比較の中でその意味を考えようとする。各章の論点は多様だが、リプロダクティブ・ヘルス&ライツ に立脚し、ジェンダーに留意して女性たちの目線を大切にするという視点は、執筆者の間で共有されている。
 本書の特色は、第一に、欧米とは異なった特徴を持つアジアのリプロダクションを、その共通性と多様性に留意して論じようとしたことである。第二に、出産と家族計画、言い換えれば生むことと生まないことというリプロダクションの両面をともに扱い、相互の関連に留意しつつそれぞれの地域に即してその状況を論じていることである 。第三に、国家や国際機関による政策決定のあり方とともに、現場の医療者・ワーカーや生殖の当事者である女性の政策に対する受容・抵抗・交渉などの様相に注意し、そうした総体的な過程の結果としてのリプロダクションの変容を分析しようとしていることである。

中国風信⑧D先生のこと-清明節によせて(『紛体技術』2014年4月号より転載)

2014-04-05 11:51:34 | 日記

(写真は上海のアカデミー) 
 4月5日は、二十四節季のひとつ清明節で、中国では故人を偲ぶ日だ。清明節にちなんで、上海の亡きD先生のことをつづりたい。
 先生と初めて会ったのは、1984年の東京である。当時、中国近現代史分野でも日中の学術交流が始まったばかりで、実績ある学者として早い時期に招かれたのだ。D先生は若い頃、日本に留学経験があって日本語が堪能で、おぼつかない中国語の私たちとも話が弾んだ。その縁で翌年、大学院生だった私は、上海での学会に初めて参加する機会を得た。会議後、自宅に招かれて先生の故郷の福建料理をいただきながら紹介された若手研究者は、のちに中国の学界をリードしていった人々だが、もう三十年近い交流が続いている。
 その後も上海に行く度にご飯をよばれて、90年代前半に子共連れで留学の機会を得た時には、夫人共々細やかに生活の心配もしてくださった。この分野の日本人研究者は、みな同様に世話になっているはずだ。温厚な先生の慈顔に接すると、まだ慣れなかった中国でもほっとした。
 D先生は、日本の大正時代にあたる中華民国の初期の生まれだ。父君は中国国民党の古参革命家で、蒋介石政権の時代には政治家として活躍した。D青年は上海で少年時代を過ごし、1930年代半ばに日本に留学して経済学を学ぶ。しかし1937年8月、日中戦争が勃発したために自主退学して帰国し、中国共産党の対日抗戦の拠点であった陝西省延安へ行って抗日軍政大学で学んだ。国共合作の抗日民族統一戦線の時期とはいえ、国民党の政府高官の息子が共産党の根拠地へ赴いたのには、強い思いがあったに違いない。
 その後、四川省や故郷の福建省で財政金融畑で働く。戦後、共産党に入党し、共産党による福建接収の時にスムーズな政権移行に活躍したというのは、人名事典からの情報だが、ご本人に話を聞いておけばよかったと残念だ。
 人民共和国成立後しばらくして上海に移り、その後は上海のアカデミーで経済学の研究にあたった。しかし1966年に文化大革命が始まると、アカデミーも混乱の中で活動を停止し、復活は1978年まで待たなければならなかった。文革では、引退していた父君は国民党関係者だということで攻撃されて世を去った。先生自身の日本留学の経験も攻撃材料となったろう。先生の働き盛りの50代は、まるまる文革で空費された。
 私がD先生の知遇をえたのは、そのような時代が過ぎて、中国が改革開放に転じてしばらくした頃だ。共産党のみの視点による歴史観から脱却して、企業家の歴史的役割の正当な評価を確立すべく、高齢にもかかわらず学界の第一線で奮闘されていた。また、戦争や文革による研究の空白を埋めるため、後進の研究者の育成や日本の研究の紹介にも力を注いでおられた。
 若き日、戦争勃発と共に留学を切り上げ、抗日の闘士となった先生の、日本に対する想いは単純なものではなかったはずだ。しかし私たち日本の若い研究者をへだてなく世話してくださったのは、きっとD青年にそのように接した日本人がいたのだと思う。何度もご馳走になった福建料理は、私には先生の思い出と切り離せない。
 90年代の中ば頃、私は旧フランス租界地区の先生の自宅近くのホテルを上海の定宿にしていた。ときどき夕食後に、夫人とともに散歩がてら訪ねてくださった。さまざまなおしゃべりとともに、編集長をしている雑誌に載せる日本の論文の翻訳について、「この訳語はこれでいいでしょうか」と聞かれたことが何度かある。若かった私になんと丁寧に接して下さったのかと恐縮するが、学問に対して真摯なお人柄のゆえだろう。
 D先生が亡くなって十年あまり経つが、先生が井戸を掘って下さった日中の学術交流はすっかり定着している。彼の地の同業者たちとの信頼は、日中の政治関係の如何に関わらずゆるぎない。

「河野談話の維持・発展を求める学者の共同声明」記者会見

2014-04-01 19:38:01 | 日記

 3月8日に公開した「河野談話の維持・発展を求める学者の共同声明」の記者会見を行いました。
3月31日までの賛同者は1617人(呼びかけ人16人を含む)です。
 記者会見には、事務局の林博史さんと私の他に、呼びかけ人の中野敏男・岡野八代・上野千鶴子・和田春樹各氏も出席して、それぞれにコメントをいただきました。
 とりわけ、アジア女性基金の責任者でもあった和田春樹氏が、それが不充分であったとして「日本政府はアジア女性基金を超える措置を取る必要がある」と述べられたことには強い想いが感じられました。上野千鶴子さんは「研究者が情報発信を迫られるほど深い危機感がある」といわれましたが、ふだん大人しい研究者の私がこういうものの事務局を買って出るんだから、本当にそうです。
 今日のニュースでは、「安倍内閣は河野談話は見直さず、新たな談話も発表しない」という答弁書作成を決定したということですが、まだまだ状況は予断を許しません。
 以下に、記者会見で発表した事務局の経過説明を貼り付けます。

「河野談話の維持・発展を求める学者の共同声明」の取り組みについて 2014年3月31日
「河野談話の維持・発展を求める学者の共同声明」事務局
           林博史(関東学院大学教授)、小浜正子(日本大学教授) 
  
企画の契機  安倍晋三首相は、政権に着く前から河野談話見直しを表明し、政権についてからも安倍政権は「河野談話」見直しの動きを進めてきました。
 日本軍「慰安婦」問題についての河野談話は、これで十分と見るか不十分と見るか、見解の相違はあるとしても、この20年余りにわたって日本政府のこの問題についての事実の承認と反省の表れとして、一定の積極的な役割を果たしてきました。これを実質的に否定するような「見直し」「検証」は、韓国や中国のみならず、米国を含めた国際社会との関係でも深刻な緊張をひき起こしてしまうでしょう。
 「慰安婦」問題に取り組んでいる諸団体からもその動きに対する批判がなされてきましたが、研究者の間にもそうした状況を憂慮し、研究者としての意見を表明すべきだという声が広がってきました。そうした声を受けて東京にいる小浜と林が話し合い、私たち学者・研究者が、立場の如何を問わず、河野談話を維持するということを一致点として、共同で声明を出したいと考え、この共同声明を企画しました。

留意点  この学者の共同声明を準備するにあたって、留意したことは、第一に、学者・研究者としての声明であることです。学者・研究者とは、何らかの意味で新しい知の地平を切り開くための専門的知識と技能、それを支えるモラルと判断力を身につけていることが求められ、それにふさわしい責任を有すべき存在です。そうした学者・研究者としての声明であることにこだわりました。
第二に、運動団体とは別に、学者・研究者個人の良心と良識に基づく声明として、さまざまな立場を超えて、一致点で行動しようとしたことです。そのため、取り組み全体について小浜と林の二人が責任を持ち、賛同する若手研究者らの協力を得ながら、いかなる団体からも資金援助を受けず取り組んでいます。
第三に、できるだけ多様な学問分野の方に呼びかけ人になっていただき、可能な限り多くの学問分野の学者・研究者に賛同署名を呼びかけたことです(事務局の力量不足のため、きわめて不十分でしたが)。
第四に、共同声明の内容については、河野談話が果たしてきた歴史的な役割を考えると、これを否認するような見直しは容認できないこと、その「維持」を一致点にすることを確認しました。しかし20年前の談話をそのまま「維持」するだけでは、その後の調査研究の進展が生かされず、さらに今日の国際情勢の変化に対応できないことは明らかであり、その談話の趣旨をさらに「発展」させることが不可欠であると考えました。とはいえどのように「発展」させるかについてはさまざまな可能性や意見があり、それは今後の議論に委ねることとしました。

賛同署名の呼びかけと署名数
  こうした留意点を踏まえて共同声明を作成し、多様な分野の研究者に提案して、最終的に16人の方が呼びかけ人を引き受けてくださいました。
 そして、3月8日0時をもってウェブサイト(http://chn.ge/1oxizVP)上に共同声明を公開し、広く研究者の賛同署名の募集を開始しました。
 3月8日以来、本日3月31日午前10時までに 計 1617人(呼びかけ人16人を含む)の方からの賛同署名が集まっています。
とても急速に多くの方の賛同が集まった勢いは、私たちの予想を上回るものでした。また理系も含めて実にさまざまな分野の研究者の賛同を得られたことからは、これまで「慰安婦」問題と直接には関わっていなかった方々も含めた多くの研究者が、この問題に関心を寄せ、安倍政権による河野談話見直しの動きを憂慮していたことが指摘できると思われます。企画者としては、人数を多く集めることよりも、学者・研究者の方々の自発的な判断からなる賛同を得ることを重視していましたが、これほど広範かつ多数の賛同を得られたのは、この問題が日本の未来、特にアジア太平洋地域の人々との関係にとって重要な問題であると多くの方々に認識されているからではないかと考えます。

今後  私たちはまず河野談話の中で示されているように、「慰安婦」問題が「(日本)軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であることを認識し、「(慰安婦にされたことによって)数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ち」を持つことを日本国の共通の出発点として維持すべきであると考えます。そのうえで、河野談話の内容を今日的に発展させなくてはなりません。
 その際、以下のような内容が含まれた「発展」であるべきと考えます。第一に、日本政府は河野談話の趣旨に則って、「慰安婦」にされた女性の被害事実を否定するような言論(ヘイトスピーチを含む)を許してはなりません。
第二に、「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意」を表明した河野談話の精神に則り、歴史教育などを通じてこの問題を日本国民にきちんと知らせなければなりません。教科書から「慰安婦」に関する記述を削除させるような動きに対して政府は毅然と拒否すべきです。
第三に、安倍政権は国内外からの批判を受けて「河野談話」を「見直すことは考えていない」と表明しましたが、その「検証」を進める方針は変えていません。いま安倍政権が進めようとしている「検証」は、河野談話があたかも根拠のないものであるかのような印象を国民に植え付けてその内容を実質的に否認しようとするものであり、そのような「検証」作業を認めることはできません。
第四に、河野談話が出されてから20年以上の間に、この問題についての調査研究が大きく進みました。アジア太平洋の広い範囲で多くの女性が日本軍の強制下で著しい人権侵害を受けていた具体的な状況が、それを可能にした軍のシステムや当時の社会のジェンダー構造とともに明らかにされています。そうした20年来の調査研究の成果を、日本政府は認識し尊重しなくてはなりません。
第五に、そのような調査研究の成果を踏まえたうえで、河野談話をさらに発展させる施策を求めます。その際には、国連社会権規約委員会や自由権規約委員会、拷問禁止条約委員会、女性差別撤廃委員会など国際人権機関による「慰安婦」問題に関する勧告を十分に踏まえた、今日の世界の人権水準にふさわしいものが求められます。

最後に  あと1か月程度をめどに賛同署名を継続したうえで署名活動に区切りをつけ、この共同声明とその呼びかけ人、賛同署名人、寄せられた意見については独自のウェブサイトを設けて、一定期間広く閲覧していただけるようにする予定です。
 この学者による共同声明の取り組みが、日本軍「慰安婦」問題の真の解決、ならびにアジア太平洋地域の和解と信頼、平和友好に貢献できることを心から希望しています。
以  上