つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

南京大学・南京師範大学で講演-春の中国出張1

2015-03-21 19:24:09 | 日記

(三回の講演通知。一緒に写っているのは、金一虹先生)
 陽春というにはやや早いが、江南の上海・南京、そして長江を渡って淮安へ出かけた。
上海で少し史料を見たのち、昨秋に招聘した中国のジェンダー研究の中心の一人、南京師範大学の金一虹先生との「今度上海へ来た時には南京へ足を延ばして講演してほしい」という約束を果たすべく南京へ。
 諸般の調整の結果、2日間に3回の講演を行うというハードスケジュールになったが、三回とも大変面白いものになった。
 まず南京師範大学で、同大学の前身の金陵女子大学建学100周年記念講座の一つとして「比較史の視野から見た中国ジェンダー史」。この間の共同研究の中でわかってきた古代から現代までの中国家族史の変化を、日本や西洋と比較しながら一時間ほど話した。図書館のホールで立ち見が出るくらいの盛況で、聴衆には学生もジェンダー関係の研究者もいたが、さまざまな質問が出た。中国の社会も急速に変化しているが、その中でどのようなジェンダー構造や家族のあり方が求められるのか、皆が関心を持っていることがよくわかった。
 続いて、夜には南京大学人文社会科学高級研究院で同じ話をする。こちらは市民にも公開された講座で、南京大学の院生・研究者・南京市民が部屋にぎっしり。やはり質問も活発に出た。日本と中国の家族構造の違いや、現在の日本での同性パートナーの状況など、多様な関心が伺える。「近代家族」の概念などは、中国ではあまり知られていないようだ(まあ現象として一般化してないから当然か)。
 それにしても二回とも大入り満員で、南京の人々の知的好奇心の高さを見せつけられる思いだった。講演の通知を見て、旧知の南京大学の先生が連絡をくれたり、別の友人は終了後、近刊の著書を持ってやってきてくれたりしたのもうれしいことだった。
 翌日は南京大学社会学系で、「中国農村における計画出産の普及―生殖をめぐる技術と権力」のテーマで話す。これは基本的に社会学系の教員と院生だけで、事前にペーパーも配られた少数精鋭の議論の場だった。「一人っ子政策」にかかわる「敏感」なテーマなだけに、最初は発言をためらっていた先生方も、やがて活発にそれぞれに自分のフィールドでの事例などを紹介してくださった。終了後、社会学系の日本留学経験者の先生方を中心に食事をして、いろいろ話した。「敏感」な話題についても、日中の政治関係がよくなくても、かなり議論ができるようになっていると実感した。

久しぶりの南京-春の中国出張2

2015-03-20 19:56:17 | 日記

(写真は左から、以前慰安所のあった建物、南京図書館の新館、レトロな商業スポット「1912」)
 講演の合間を縫って、街中を金一虹先生の娘さんの若いフェミニスト、楊笛さん(南京師範大学講師)に案内してもらった。
 以前、古風な建物を訪れた南京図書館は、巨大な新館が建っていて驚く。冷暖房完備なので、休暇中は子供たちでにぎわっているというのは、上海図書館と同様だ。近くに江南職造博物館・六朝博物館もできている、という。近くには以前、日本軍が慰安所に使っていた建物が残っている。古い荒れた建物で、開発の中で取り壊される予定だったが、近年の日中関係の緊張の中で保存して博物館にすることになったという。もっとも今のところ、単なる荒れ屋で、説明書きも見つからなかった。
 この近くには民国期に蒋介石政権の本拠地だった総督府もあって、以前から博物館になっている。そこは前に来た時から変わらないが、今回は、その周りが、民国期の建物を修復したレトロな商業地区になっていた。名づけて「1912」-つまり、中華民国元年の年で、中華民国の首都だった南京では、この年がエポックメーキングなのだと思った。
ちなみにこれができたのは2004年だというから、以前に南京に来たのはそれより前だということが確認できて、変わっているはずだと実感した。

淮安から塩城へ-春の中国出張3

2015-03-19 20:09:19 | 日記

(写真は左から、広々とした淮安福利院、淮安の旧市街、周恩来記念館、塩城の長距離バスターミナル)
 南京での講演を終え、翌日、私も参加している「江南100年の人材養成研究プロジェクト」(代表は明治大学の高田幸男先生)が南京大学の協力を得て行うフィールド調査に合流して南京を出発した。目指すは長江を渡った北200㎞余の淮安だ。8人乗りの車に、8人と荷物を満載して、昼前には淮安に到着。最近の中国は高速道路が縦横に走っているので便利になった。
 昼食を済ませて、淮安師範大学の協力で淮安市福利院(総合福祉センターに相当)の老年マンション居住の老人からライフヒストリーの聞き取りを行う。それぞれに興深い人生だが、全体として共産党員などの政治的に「正しい」経歴の人が多かったのは、福利院に入れるのはそういう人だということなのか、それとも聞き取りに応じてくれるのがそういう人が多いということか。解放後、「貧しい江北の発展に尽くそう」という党の呼びかけに応えて此処にやってきた、という老幹部の方などからもお話をうかがった。老年マンションは広々としていて、部屋も明るくきれいだ。一ヶ月の入居料は食費を入れて1500元ほどということで、北京上海などよりずいぶん安いが、ここでこれを払える人は限られている、という。そういえば食事をしても大都会の半分くらいの値段だ。
 翌日も午前中福利院で聞き取りをした後、旧市街の図書館へ。淮安の町は地方都市といっても人口数十万は下らないだろうが、古い町並みを観光化した旧市街と、新しいすれっからしの気分もただよう新市街とは雰囲気が違う。旧市街には旧漕運総督の役所が博物館になっていたが、ここは古くから華北と江南をつなぐ運河の要衝として発展した町だ。清代の半ばから運河の漕運が海路に切り替わって、江北(長江の北)は貧しくなった。
 図書館ですぐにめぼしい資料が見れそうにないとわかって、周恩来記念館を見学。中華人民共和国成立以来、総理として活躍した周恩来はこの街の出身なのだ。台湾の蒋介石記念堂を思い出させる壮麗な建物は、どう考えても周恩来その人の趣味だとは思えなかったが、まあ郷土の偉人を顕彰するためにはそうするしかないのだろう。展示はなかなか面白かった。
 翌日は、まだ車で東へ160㎞ほどの塩城へ移動。塩城師範学院の招待所に宿を取って聞き取りをするのだが、私は翌日帰国なので、塩城で昼食後、長距離バスで上海へ戻った。塩城の長距離バスターミナルも新しい大きな建物で、各方面へのバスがひっきりなしに出ている。バスは新しく大型で会社ごとに工夫を凝らしたペインティングが楽しい。中国の地方旅行も、道路も車も良くなって、以前に比べれば驚くほど楽になった。ターミナルで一時間一本の上海行きが10分後に出るのを購入し、すぐにバスに乗って出発。約300㎞を4時間で走り、夜には上海の定宿に落ち着いた。