つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

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秋の気配

2011-09-25 06:48:05 | 日記
数日、暑さがぶり返して真夏の日差しが戻ってきた。新学期のキャンパスでは、若い学生がHooverTowerの前の噴水で水浴びしている。夏の間ずっと進んでいたTowerの化粧直しももうすぐ完成しそうだ。
アパートの件は、その後管理人が工事会社が話し合い、場合によっては退去が延びるという期待もあったが、やはり10月末に出なくてはいけないらしい。管理人は、「お金持ちは私たちのことなんか、どうでもいい」と憤慨するが、どうすることもできない(彼女は住居だけでなく、職も失ってしまう)。
新しい部屋を不動産のサイトで探したが、ベイエリアの中でも特に住居費が高いPalo Altoは聞きしに勝る住宅難で、なかなか物件がない。しかも今は新学期早々で、物件が動いた直後。 これは知り合いなどの伝手に頼るしかない、と友人やトーク会の皆さんに相談した。すると、すぐに何人かの方が、「ちょっと遠いけど自宅の客間を提供できる」と申し出たり、私が入れそうな心当たりの物件を問い合わせたりしてくださった。不安な時に、皆さんの心づかいが身に染みた。
結局、紹介していただいたキャンパス内の元教授夫人のお家に間借りすることになった。子供たちが独立して、空いた部屋を留学生や客員研究員などに貸しておられるという。原稿を書いたりするには最適の、静かな落ち着いた環境だ。大家さんはとてもパワフルなおばあさんで、彼女と日々英語で話せば、こちらの社会を垣間見ることもできるだろう。買い物は不便になるけれど。
まずは引っ越し先が決まって、これまでとは違う環境の後半の日々に期待することにした。住人には、まだ次の住居が見つかっていない人も多い。
気がつけば、インデアンサマーは終わって秋の気配が忍び寄っている。日の暮れるのもずいぶん早くなった。
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アパートの立ち退き

2011-09-18 22:54:44 | 日記
旅行から帰った二日後の朝、部屋のドアの下に管理人からの手紙が入った。
「新しい所有者がこのビルのリノベーションをするので、全住人(管理人を含む)は、10月末までに退去しなくてはならない」とのこと。10月末というと、ひと月半しかない!
このアパートは、もとは半分が公営の障害者や高齢者の入居施設だったが、2年ほど前に悶着の末、全面的に賃貸アパートになったものだ。住人には何年間も住んでいる人も、私のように比較的短期間の居住者もおり、アメリカ人だけでなく、Stanfordに一年程度来ている中国人なども少なくない。Palo Altoのdowntownの真ん中のとても便利な場所にあって、家賃も安く、私はここに住めたことは今回のカリフォルニア滞在の中でも大きなラッキーだと思っていた。が、いいことは長く続かなかった。
あまりの突然さにあきれ、日本ではこういう場合、最初に性急な通告があっても実際に全員退去するまでかなり時間がかかるので、いくらなんでも10月末までにみなが出る必要はないだろうと、はじめは思った。現実問題として、全員がそれまでに次の住居を見つけて引っ越せるとはとても思えない。
ところがアメリカでは所有者の権利が強く、入居するときに書面で一年居住の契約をしていないこともあって、本当に一か月後に退去するしかないらしい。何人かのこちらの事情に詳しい人と話して、どうやら本当に部屋探しをしなくてはいけないらしいと悟った。中には、ここを追い出されたら、ホームレスになってしまう住人もいるのではないかと心配だ(なにせここはとても条件がよく、同じ値段で同等の物件などまず存在しない)。アメリカには、居住権など存在しないのだろうか。今後の推移はまだわからない。
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New York(2)-ブロードウェイなど

2011-09-13 23:51:10 | 日記

(ブロードウェイのにぎわい)
New Yorkは、高層ビルがそびえ立ち、路上ではたくさんの露店がいろいろなものを売っていて、人が早足で歩く雑然とした雰囲気は、東京のようだ。街が汚くて、注意していないと汚水を踏んでしまいそうになったり、なんとなく小便臭かったりするのも、ちょっとなつかしい。でも街を行き交う人々は東京よりもずっと多様で、さまざまなパフォーマンスを繰り広げ、エネルギーがもっと凝集されている。
このエネルギーを満喫しようと、ブロードウェイでミュージカル<Wicked>を観る。歌も踊りも舞台の仕掛けも、さすがにすごい! オズの国で悪い魔女になる緑の肌のエルファダと良い魔女になる美人のグリンダの、コントラストがはっきりした演出の物語で、舞台を大いに楽しみながら、しみじみしてしまった。
最後の夜は、その昔、東京で親しくしていた、今はこちらの大学教員として大活躍の香港出身のDさんに会う。おいしい中華料理をご馳走になりながら、20数年ぶりに、昔と同じく中国ジェンダー史研究について語り合った。彼女といい、ワシントンで会ったRさんといい、アジア出身の女性がアメリカに来て大学でポストを得て活躍しているのは、本当にすごい。学界を挑発する刺激的な仕事を発信し続けているDさんは、いろんなアートの溢れるNew Yorkの環境を楽しんでいるという。私もまた、New Yorkのエネルギーを吸収しに来たい。
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New York(1)-9・11十周年

2011-09-11 23:44:20 | 日記

(9・11十周年の日のグラウンド・ゼロ。新しい建物の建築が始まっている中での記念式典の様子がスクリーンに映されている)
旅行の最後は、ワシントンDCからアムトラック(大陸横断鉄道)でNew Yorkへ。
まったくの偶然なのだが、New Yorkにいるときにちょうど9・11の十周年を迎えた。たぶんそのせいで、とんでもなく高いホテル代を払うことにもなったこともあり、せっかくだからと当日、グラウンドゼロに出かけた。そうでなくても街には警官の姿が目立ってピリピリしたものがあり、近くまで行けないことは覚悟していたが、セキュリティチェックを受ければグラウンドゼロのすぐ傍まで入れた。現場では、忌まわしい記憶を乗り越えるべく新しいビルの建設が始まっている。その中で記念式典が行われている様子が、大きなスクリーンで、中に入れない人にも見えるようになっていた。周りには、911をめぐる様々な主張のスローガンを掲げた人々も見える。全体の雰囲気は、犠牲者の追悼で、親しかった人の名前を書いた白いリボンが近くの教会の柵などにたくさん結ばれていた。アメリカは十年経って、ビンラディンの暗殺も成功させたことだし、911の悲劇とテロの恐怖を忘れたがっている、と言っていたアメリカ人の知人がいた。私には、たとえばパールハーバーと並ぶ悲劇として語るような、こちらでの911の想起の仕方になじめないものがある。アメリカの人々が、良い形で―西欧世界以外の人々にも共感がもてるような形で―、911を歴史にしていってくれればよいのだが、と思う。
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ワシントンDC-旅行(4)

2011-09-09 23:38:07 | 日記

(議会図書館)
ラスベガスの空港で、一足先に帰国する連れ合いと分かれて、娘とワシントンDCへ。東海岸につくと、乾燥した西部と違って空気がしっとりしていて、久しぶりの雨に逢ったが、カリフォルニアの気候になれた私は傘を持っていなくてあわてた。国会議事堂の近くに投宿して、ホワイトハウスの外観を眺め、議会図書館の内部を見学した。首都だけあって、街並みの全てが重々しい。
ワシントンでは、やはりサバティカルで議会図書館に研究に来ている旧知の研究者Rさんに会う。日本の大学院を出てからアメリカで学位を取り、こちらで就職してもう10年になる彼女は、私にとってアメリカの学界の良き案内人だ。久しぶりに会って、夜を徹して語り合った。アメリカの学界、日本の学界の情報を交換し、自分にとっての課題を再確認。Rさんの紹介で、私と研究テーマの共通するイギリス人のインド研究者のBさんとトルコ料理の夕食をご一緒し、翌日の昼はやはりStanfordで中国史の学位を取ったワシントン在住の研究者Tさんと、オバマ大統領が好きだというハンガーガーを試す(炒めたタマネギなど独特の具が入っていて、なかなかおいしい)。研究の話も大いに盛り上がって、収穫の多いワシントン行きだった。Rさんに大感謝。
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ラスベガスー家族旅行(3)

2011-09-07 10:30:00 | 日記

(ホテルのロビーはテーマパーク)
グランドキャニオンから娘の運転でドライブしてラスベガスに来た。砂漠の中に忽然と現れた高層ビル群は、たくさんの巨大なホテルだ。それぞれのホテルはテーマパークになっていて、古代ローマ帝国あり、エッフェル塔あり。私たちの泊まったホテルは水をテーマにした4000室近くある巨大ホテルで、正面にある巨大な池では壮麗な噴水ショーが繰り広げられていた。音楽に合わせて何十メートルもの高さまで噴水が踊る。夜間の照明の下もよいが、昼には日の光を受けて虹が立ってきれいだった。
ホテルの中心はカジノ。意外と親しみやすい雰囲気で、比較的小額から誰でも遊べる。私も賭け事はほとんど初めてだったが、スロットマシンとルーレットに挑戦した。勝ったり負けたりで、それなりに面白い。結果、私はルーレットで130ドル負け、娘は60ドル稼いで、自分には賭け事の才能がないことを確認。
夜はショータイム。シルクドソレイユの「O(オー)」がちょうど休みの曜日で、同じ演出家による「ラルーブ」を見た。水上の舞台を360度の観客席が取り巻く。水中や天井から現れたスター達が、これでもかというばかりに壮麗な演技を繰り広げるのを、かぶりつきの席で水しぶきを浴びながら楽しんだ。
巨大ホテルには、アメリカと世界の各地から、たくさんの人が遊びに来ている。空港もホテル群のすぐ傍にある、人工的な歓楽都市だ(空港の中にもスロットマシンがたくさんあった)。人が楽しいと思うことをとことん研究しててんこ盛りに遊びを詰め込んだのには脱帽。私も大いに楽しんだ。
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グランドキャニオンー家族旅行(2)

2011-09-05 10:17:27 | 日記

Napaから戻って、数日、家族とPalo Altoで過ごしてから、旅行に出た。
まずは、アメリカに来たらぜひ行ってみたいグランドキャニオンへ。朝の飛行機に乗って、アリゾナ州のFlagstaffまで飛び、娘の運転するレンタカーで、一路北へ。2時間ほどで、グランドキャニオン国立公園についた。ここまでの道は、なだらかな起伏の荒野に延びるまっすぐな道を行くだけで、国立公園に入ると林が広がっているが、渓谷だの崖だのがどこにあるのか、不思議な感じだ。宿に荷物を降ろして、夕日のグランドキャニオンを見に、ビューポイントに行く。
なんと、足下に何百メートルも深く谷が切れ込んでいる! その壮大な大地の造形物を、沈む太陽がだんだんに光の色を変えながら照らしてゆく様子は、雄大の一語に尽きる。
私たちのいるグランドキャニオンの南側は平均標高2300メートルで、谷はそこから1500メートルも切れ込んでいるのだとか。何億年も前の地層がほぼ水平に隆起して出来たコロラド高原を、ロッキー山脈の水を集めたコロラド川が数百万年かかって削って出来た自然の芸術品だ。日本の自然からは想像出来ないスケールに圧倒され、日の光の神々しさに息をのんだ。
翌日は朝日のさすグランドキャニオンをみてから、アリゾナの砂漠をひた走ってラスベガスへ向かう。砂漠といっても、灌木や草の生えているなだらかな起伏の土地で、耕せば充分稔りある農業地域になりそうな感じだ(昨夏に行った中国のタクラマカン砂漠とは全然印象が違う)。こんな土地がまだまだあるアメリカは、本当に広い!
ラスベガスへ行く途中でフーバーダムを見る。これは1929年に始まった大恐慌からの脱出を企図してフーバー大統領の下で展開されたニューディール計画によって造られたもので、現在も年間40億キロワットの電力を供給している。西行していたコロラド川が南に方向を変える地点に作られており、ダム自体はそれほど大きくないが、これによって出来た人造湖のミード湖はとても大きい。フーバーダムがグランドキャニオンの先にあるとは、これまで念頭になかったが、両方を見て、アメリカの自然とそれを改造しようとする人間の営みとの、両方のスケールの大きさに圧倒された。

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