つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

中国風信⑦春節-中国のお正月(『粉体技術』2014年2月号より転載)

2014-01-31 10:49:07 | 日記

[春節に新しく貼り替えて幸福を願う切り紙。「福」の字が「倒」れているのは、「福到」ると同じ発音になるので、「福が来る」の意味がある。]
 中国では、旧暦(中国語では農暦という)で新年を祝う。1月1日の元旦は一日だけの休日だが、旧暦の新年は「春節(チュンチエ)」といって、ゆっくり休んで家族と過ごす。今年は新暦の1月31日が「年初一(ニエンチューイー)」なので、本誌がお手元に届く頃は、ちょうど年末年始の休みに入った頃だろう。
 近年は中国でもクリスマスを商業的イベントとして楽しむが、日本のように終わればすぐにお正月飾りに付け替えることはせず、街では春節までクリスマスのデコレーションはそのままだ。なので、この時期に中国の街にいると、暮れなのか新年なのかわからない気分になる。
 農暦の1月15日は「元宵節(ユアンシャオチエ)」で、この日まで正月気分が抜けない。正規の春節休みは日本の正月と同じく三日間だが、四日目からしばらくは当番の人が出社するだけで仕事はまだ始まらない。以前はお店も全然開いていなかったので、独り者には辛い時期だった。
 学校も、春節を挟んで冬休みになる。中国の学校は9月に新学年が始まり、春節の前後で3週間弱の冬休みがある。春節の時期は新暦では毎年動いて、2月後半になる年も多い。冬休みの時期が年によって動くのは不便ではないかと思うが、変更される気配はなさそうだ。通年一学期制で、冬休み前に試験などがあるわけでないから問題ないという。みな帰省するので寮は閑散となる。
 春節には、出稼ぎの人々も故郷へ帰って年を越すし、都会の若夫婦は田舎の親元に孫の顔を見せに行く。家族はもちろん親戚縁者へも土産を山のように抱えた彼らがおおぜい移動するので、交通機関はものすごい混雑になる。切符を取るのが大変なので、念のため二重買い、三重買いする者も後を絶たず、そのためさらに買いにくくなるので、2年前からチケットの予約は実名登録制になり、身分証番号が必要になった。(ちなみに中国では、生活の中で身分証が必要な場面は日本より多い。旅館に泊まる時は、外国人でなくても身分証を確認される。)これで二重買いは防げても、臨機応変な対応は全く不可能になったので、やはりチケット確保は頭の痛い問題だ。人やモノの移動がどんどん活発になっている中で、交通インフラの整備を急ピッチですすめても追いつかないことが根本的な原因なので、これは簡単に解決しそうにない。電話もとてもつながりにくくなる。
 それで発想を転換して、田舎にいる親の方を都会に呼んで一緒に春節を過ごす人も現れた。これだと列車は比較的空いているし、親は都会の見物もできて一石三鳥だといい、当局も混雑緩和のため、この方式を奨励している。それに親類縁者への挨拶回りの煩わしさもない。旅行ブームの昨今は、長い休みの取れる春節に国外・国内へ旅行に出かける人も増えた。都会では開いている店も増えて、春節の様子も変化しつつある。
 春節のメインイベントは、年越しの夜の食事「年夜飯(ニエンイエファン)」だ。北方ではこの日、皆でたくさんの餃子を包む。中国では、茹でて食べる水餃子が一般的で、年越しのご馳走は、水餃子だ。その後、年が明けて日をおいた餃子は焼いて食べたりするという。南方では、「年糕(ニエンガオ)」というお餅が代表的な春節料理だ。やはりモチ米を搗いて作るが、直径三センチくらいの棒形になって売られており、ひっつかないように油を塗ってあるのでぴかぴかしている。これを薄く切った円盤形のものを料理に入れて炒めて食べる。
 近年は全てのことが商業化したので、年越しの夜のレストランは「年夜飯」のお客で大にぎわいだ。どこのレストランで予約を取るかで頭を悩ませる。年が明けてからも、ご馳走を食べておしゃべりしながらゆっくり休んで、旧交を温めるのが春節の過ごし方の慣例だった。とはいえそれも、世の中の変化の中で少しずつ変わってきているようだ。

台湾師範大学学生との交流・「女たちの戦争と平和資料館」見学

2014-01-14 15:19:23 | 日記

[上の写真は「女たちの戦争と平和資料館」で。日大のゼミ生と台湾師範大の学生]
 年明け最初のゼミがありました。来日中の台湾師範大学の学生さんとの交流を兼ねて「女たちの戦争と平和資料館」を一緒に見学。その後、神保町の上海飯店で交流会。なかなか良い雰囲気で交流出来たと思います。私はラオスで喉をやられて、昨日帰国して回復するかと思ったら寒さのせいかぶり返してひどい声だったのですが、通訳を一時間やる羽目になって、オーバーワーク気味です。

初めてのラオス(終)

2014-01-12 16:51:13 | 日記
 こちらに来て知った(これまでに聞いたことがあっても注意していなかった?)ことのひとつに、ASEANが2015年からのASEAN共同体の形成をめざして準備を進めている、ということがある。ラオスの助産師の資格整備もその一環だ(医療分野の資格を相互認証できるようにして人材の流動を可能にする)。
 東アジア共同体が議論すら聞かれなくなっている一方で、世界は進んでいる。最近の日本政府の国際的センスは本当に心配だ。
 一方で、こちらに来て予想以上に多くの若者がNPOや青年海外協力隊などで現地にとけ込んで働いていることも知った。この人たちの経験がうまく生かされていってほしい。
 帰りはバンコクでトランジットで、10時間あったのでちょっと街へ出てみた。ラオスとはうってかわった高度消費社会で、繁華街のショッピングモールでは日本と同じかそれ以上の値段の高級品が並んでいた。ビエンチャンとの落差にくらくらしたが、東京へ戻るクッションとしてはよかったかも。いろいろ見聞が広まり、考えさせられた5日間だった。
[写真はビエンチェンの町並みと夜市の食べ物屋]

ビエンチャンの郊外へ-初めてのラオス(4)

2014-01-11 16:43:38 | 日記

 ビエンチェン郊外のパークグム郡病院を訪問。日本のNPOなどの援助も受けて運営している病院で、オープンエアの診察室が気持ちいい病院だ。ちょうど分娩室では産婦さんが産まれるのを待っていたが、家族も私たちも分娩室の中に入らせてもらえて、とてもゆるくて親切な雰囲気だった。
 その後、病院職員の方の村の自宅を訪問。鶏をさばいて料理し、できあがったお昼をいただく。鶏をさばくのなんて本当に久しぶりに見たが、こちらの方は皆、手慣れたものだ。ラオラオというこちらの名物の米焼酎も賞味した。たくさん動物を飼っている大家族で、赤ちゃんも人なつこい。
 ビエンチャンから車で一時間少しの所でも、幹線道路をはずれると未舗装の赤土の道が続く。雨期にはぬかるんで大変だそうだ。
 帰りに、案内して頂いた日本のNPOのラオス人職員の方の奥様が、我々の共同研究者の旧知の日本人文化人類学者だということがわかって、お宅に寄らせて頂いた。ここも大家族で、すっかりラオスになじんでゆったりと小さな子供を大家族の中で育てながら暮らしていらっしゃった。ラオスの人々の生活をかいま見た一日だったが、人情細やかでのんびりとした暮らしぶりと、近代的な経済発展からまだ遠い不便さの両方がなんとなくわかった。


Joint Workshop on Promotitng Reproductive Hearlth in Asia-初めてのラオス(3)

2014-01-10 16:39:30 | 日記

 今日は今回のラオス行き最大の目的の会議 Joint Workshop on Promotitng Reproductive Hearlth in Asia がありました。ラオス保健省と私たちの「アジアにおけるリプロダクションの歴史的変遷」科研とのジョイントです。
 来るまでどんな風か全然わからないラオス式にはらはらしましたが、大変充実した有意義な会になりました。ラオス側の出席者は、保健省、中心病院、郡病院、母子保健センター、女性同盟などの関係者で、この国の母子保健の中心になっている人たちでした。これに日本からの私たちのグループと、母子保健関係の仕事でラオスで働いているJICAや青年海外協力隊、NPOの日本人が加わりました。
 ラオスではこのような学術的な会議はあまり開かれないようですが、国外の研究者の異なった視点の報告に触発された、現場の人々の切実かつ地に着いた発言がたくさんありました。私は中国の計画出産について報告する準備をしていたけれど、午前中の雰囲気から、急遽午後最後の報告で母子保健の内容を増やすという綱渡りをしましたが、興味を持って聞いて頂けたようです。
 ラオス料理で打ち上げて、ナイトマーケットをぶらついて帰ってきた充実した一日でした。

ビエンチャンの病院と援助機関-初めてのラオス(2)

2014-01-09 16:35:39 | 日記

 ラオスでの活動一日目は、ビエンチェンの中心病院のマホソット病院訪問(昨日出産したお母さんの笑顔!)、それから保健省を訪問してJICAのプログラムについて話を聞く。お昼はお米の麺。もっちりした麺に鶏のスープがよく出ていておいしかった。ラオス風のスカート、シンを注文してから、明日の会議の通訳の方と打ち合わせ。
 ラオスはアジアでももっとも妊産婦死亡率が高いのだが(日本と二桁違う)、私たちの比較調査では、産後の女性がもっとも幸せを感じている所でもあった。ながくアジアの最貧国のひとつとされているが、このところ景気が良いようで、ビエンチャンでは新しい車がたくさん走ってにぎわっている。しかし農村は別世界のゆったりした時間が流れているという。医療従事者の資格制度も整っていなくて(医師免許が存在しない!)、JICAでは助産師の養成・認定のシステム作りに取り組んでおられた。

日韓中国近現代史研究者交流会

2014-01-05 15:29:47 | 日記

 近畿大学で開かれた日韓中国近現代史研究者交流会に参加しました。二年ごとに韓国と日本で、中国語で中国近現代史について議論する会で、もう始めてから10年になります。旧知の韓国の研究者もたくさんできて、こういうご時世ではなおさらこのような交流を重ねることの必要を痛感します。いろいろ率直な議論が出来ましたが、あちらでも若者の内向き指向や、経済的な困難のなかで排外的な動きが強まっているなど、似たような心配な動きがあるという話を聞きました。