つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

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20世紀の遺物?(電子リソースつづき)

2011-05-30 10:44:40 | 日記
 こちらで集めた文献がいくらか溜まってきたので、この機会に前から気になっていた文献管理ソフトというものを導入しよう、と考えた。とりあえずネットを見ると、ある工学系の研究者が、「以前は、論文を調べる、というと、学術雑誌を見て必要なものに栞を挟んでコピーをとる、という悠長なことをしていた時代があった。今では日々、電子化された新刊雑誌の情報がRSSで届く。それらのファイルをパソコン上で整理し管理する能力が文献収集力の決め手であり、文献管理ソフトは大変重要だ(大意)」といっているのを見つけた。(注:RSSを使うと、登録しておいたキーワードに関する論文情報や、重要な雑誌の目録などが配信される。)
 が~ん! 私は基本的に「以前の悠長なやり方」で、文献を集めている。しかしこちらでは、同分野の研究者と知り合ったら自分の論文はメールにPDF添付で送ってくるし(私は紙のコピーしたものを渡したけれど)、バスで隣り合わせた学生は、パソコン上でテキストを読みながら電子ペンで書き込みをしていたりする。文字情報がどんどん電子化されている中で、いまだに紙を使っている自分は、20世紀の遺物のような気がしてきた。
 Amazonで英語の専門書を注文しようとしたら、3割くらいはKindle版もあるのにも驚いた。一般書は、もっと多くが電子化されているのだろう。聞くところでは、電子化はこの一年くらいで急速に進んだとか。もう1、2年もしたら、電子バージョンがない方が少なくなるのかも知れない。
私が「20世紀の遺物」状態なのは、私自身の怠慢以外に、日本語文献の電子化の遅れのせいでもある。先の方は工学系で、おそらく必要な文献の多くは英語で、電子化されているのだろう。それに対して、文系では国内の学術雑誌の多くは日本語で、電子化されているものはまだ少ない。歴史分野では、『史学雑誌』も『歴史学研究』も『東洋史研究』もまだ電子化されていない(『史学雑誌』は発行後2年、『東洋史研究』は3年経てば、PDF版が利用できるが)。日本の学術雑誌の多くは学会が会費で発行しており、電子化するにはいろいろな障碍が予想される。しかし英語でも中国語でも韓国語でも、学術雑誌がみな電子化されている中で、それをしないと、日本の研究の立ち後れは必至だ。
 私はとりわけ人文系の分野では、すべてのものが電子化されるのがよいとは思わない。私自身は、丁寧に読むものはやはり紙で読みたいし、史料は紙で保存しておかないと使えそうにない。でも電子化による利点は大きいし、なにより、書物の電子化が進むのは避けがたい趨勢なのだということが、このシリコンバレーのまっただ中の、Googleが生まれた大学にいるとしみじみ実感される。これからは人文系の研究者といえども、書物の電子化を避けられない運命だと認識した上で、それに対応するしかないのだ。
 学術雑誌をすべて電子化し、その利点を生かして、従来よりも広く速く簡単に研究成果を共有できるシステムを作ってゆくこと。同時に、紙の書物・雑誌の長所を維持し、電子バージョンと共存させてゆくこと。両者のよいコンビネーションをつくることは、今どうしても必要だと思われる。
 ともあれ私は、ここにいる間に、21世紀を生き抜ける研究者に脱皮するべく頑張ろう。
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薔薇(Rose)

2011-05-28 08:52:47 | 日記

Stanfordのキャンパスには、たくさんの花が咲いています。
とりわけ今は、いろいろな花の咲き乱れる季節。
これはHooverの裏手の花壇で咲いているバラの写真。
大学の芝生などは、時間になるとスプリンクラーから水が撒かれています。
gardener(庭師)らしい人も見かけて、緑美しいキャンパスは、しっかり手間と費用をかけて維持されているようです。
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アーティチョーク祭り

2011-05-22 22:18:32 | 日記

今日は、大学の街から車で南へ一時間余のカストロ村で開かれたアーティチョーク祭りへ。連れて行ってくれたのは、いつものNさんです。
アーティチョークは、今が旬のこちらではポピュラーな野菜ですが、ここは世界のアーティチョークの生産の中心だそうで、毎年この季節には万を以て数える人の集まるフェスティバルが開かれます。
カストロ村は、メキシコからの移民の村で、カストロという名は、メキシコではよくある名前のようです。とくにキューバのカストロ議長にちなんだのではないみたい。周りではスペイン語が飛び交い、人々の顔立ちもヒスパニックぽい。
まず、ブラスバンド、クラシックカーのデモンストレーション、馬のギャロップ、思い思いの仮装の人たちなどのパレードを見ました。ブラスバンドはカラフルな衣装で楽しい音楽を奏でていますが、よく見ればバンドの平均年齢は70歳以上の様子。でもみな元気にイベントを楽しんでいます。クラシックカーや馬は皆かっこよく、この日のために各地から乗り込んで来たようです。
それから各種のアーティチョーク料理をつまみに、カリフォルニアワインのテイスティング。地元野菜の即売、アーティチョークグッズや近くの生産者のピルルスやジャムの販売、イベントにはつきもののいろんな物売りの屋台などもあり、一通り冷やかしました。
村の図書館前の特設舞台では、メキシコ音楽の生演奏。藁のようなものを固めて長方形の立体にしてある椅子に腰を下ろして聞きます。数人がギターなどを弾きながらの歌声は艶やかで延びがあり、思いがけずハイレベルな音楽を楽しみました。でも歌詞も解説も全部スペイン語だった!
アーティチョーク・ツァーでは、アーティチョークの実る畑へ。広大な農場に、遙か彼方まで一直線の畝が延びて、畝の間には給水のためのチューブが這っています。アメリカ農業の一角をかいま見ました。
アメリカの田舎はどんなところだろう、と出かけたアーティチョーク祭り。日本の農業地域と似たのんびりした中にフレンドリーな雰囲気が懐かしいです。お年寄りも含めて皆が個性を出してイベントを楽しむ様子は、日本でももっとそういう風になればいいのに、と思わされました。

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美術館

2011-05-21 09:18:53 | 日記

金曜日、週末の夜はサンフランシスコ近代美術館へ。明日から始まるStein特別展の一足早いお披露目展に、美術館会員のNさんにお相伴していきました。

Steinは、19世紀にサンフランシスコで財をなしてパリに移住した美術愛好家です。世紀転換期のパリで、若いセザンヌ、マチス、ルノアール、ピカソらと交流し、彼らをバックアップして世に出し、その作品を収集していた一族で、その所蔵品の展覧会でした。近代絵画の巨匠たちの作品が、世に出る前のあまり知られていないものも、非常に有名なものも取りそろえて、所狭しと並んだ展覧会は見応え充分です。こうした絵が飾られていたSteinのパリのアパルトマンの写真や家具なども飾られていて、作品の誕生した雰囲気もよくわかりました。

同時に興味深かったのは、展覧会に来ていた人たち。会場では、まずカクテルなどの飲み物を頼んで、ちょっといい気分になってから展示室へ。来ている人たちはとてもおしゃれで、それぞれに個性的で優雅なファッションです。「いちばん素敵な帽子をかぶった人は?」のコンテストもしている、とか。でも帽子がなくても、みんなとてもステキ!

芸術を生み出す背景と、それを楽しむ人たちも、一緒に楽しんでしまいました。

ゆっくり美術展を堪能したために食事の時間がなくなって、San Francisco Giantsの試合帰りの人たちと一緒に、お腹をすかして本数の少ないCaltrain(電車)で帰ってくるしかなくなったのはちょっと残念でした。いつもいろいろなところに連れ出して、世界を広げてくれるNさんに感謝です。

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栗鼠(リス)

2011-05-19 06:57:38 | 日記

Stanfordの構内には、たくさんのリスがいます。
10年ほど前、ほんの2日ほどここを訪れたことがあって、構内で遊ぶリスたちが印象的でした。今回も、毎日たくさんのリスを見かけます。
主として黒いのと薄い茶色のとの二種類で(こないだ黄色っぽい茶色もの見ました)、杉の木や松の木に上ったり、地面を走ったりしています。2匹で(たまに3匹で)戯れているのもいます。

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原発事故

2011-05-19 06:38:14 | 日記
11日に原発関連のことを書いた後、状況が大きく動いた(というか、私を含めた多くの人にとってたくさんのことが明らかになった)。
福島第一原発1号機が地震発生後半日で100%メルトダウンを起こしていたことがわかった。2,3号機もメルトダウンを起こしている。また、15日にはNHKのETV「ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」が放映され、放射能汚染と被災地の実態が広く伝えられた(私はYou-Tubeで見た)。状況は、これまで私が考えていたより、ずっと酷い。
さらに、「3号機屋上の使用済み燃料プールは、建屋の爆発後の写真をどう見ても存在しない。爆発の際に吹き飛んで、破砕された燃料棒が環境にまき散らされたと考えるのが合理的だ」(大意)というtwitterも見つけてしまい、恐ろしいことだが、「そうなのだろうな」と考えざるをえない。燃料棒は猛毒のプルトニウムを含むという情報すらある。
 地震のすこし後から、福島第一原発が「危なくなって」、大事故を防ごうと多くの方が尽力された。なかには「ここで頑張って惨事を食い止めないと、日本の原子力発電の将来が変わってしまう」と、危険を承知で現場に志願した方もいると聞く。この方は、原子力は夢のクリーンエネルギーだと信じて、開発・運営に努めてこられたのだろう。だが事態は、その時点ですでに、彼がなんとしても防ごうとした大惨事に至っていたのだ。原発を推進してきた人たちが、「起こしてはならない」が「防げる(だから原子力発電を推進する)」と考えていたことが、起こってしまった。
 ETVの伝えた放射能被災地の状況は、本当に心が痛む。私の勤務先にも、福島の実家が3月下旬に自主避難していた学生が何人かいるが、どうなっているのか心配だ。
 放射能は五感で知覚できないが生命体を分子レベルで損い、影響は直線的で微量でも必ず影響がある、という。長期にわたってそのような影響を及ぼすモノが大量に環境にばらまかれ、今も垂れ流され続けている。
 正直、これがどういうことなのかすぐにはわからず、この2日ほど情報収集しながら考えて、ようやく自分なりにいくらか状況の酷さの程度を理解して、慄然としている。事故レベルが5から7に引き上げられた時は「?」と思ったが、あの時に専門家はわかっていたのだ。8があるなら8になるくらいの事態ではないか!
 放射能は目に見えず、多くの場合、影響は時間が経ってから現れるので、今はまだ、具体的な「被害」はむしろ社会的なものだ。いや、これからもそのような現れ方しかしない。だから知らないならわからない。それに乗じて、知らせないでいることも可能だ。(そして、知ってしまうと、どうすればいいのか苦悩せざるを得ない。)
 国外にいると、「原発事故があって、東京は大丈夫なのか」といろいろな人から聞かれる。日本を見限らないでほしいと願いつつ、「大丈夫」と答える。だが「福島は?」と聞かれれば、どう言えばいいのか。
 「起こってはいけない」ことが「起こってしまった」のだから、もはや今後は、原発に頼らなくてよい社会を作ってゆくしかない。繰り返しになるが、原子力発電は、このような事故は防げることを前提に推進されてきたのであり、その前提が崩れたのだ。
(元幕僚長の田母神俊雄氏がtwitterで「福島原発で炉心溶融が起きていたようです。炉心溶融が起きても大した危険はないということが判明したということでしょうか」(5月16日)と呟いていた。一部だが世の中にはこのような人もいるということも、直視すべき現実だ。)


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太平洋

2011-05-14 23:24:52 | 日記

先週の土曜に引き続き、今週もNさんとサンフランシスコへ。
サンフランシスコは人口80余万人の都会ですが、高層ビルなどはほんの一部の地域にあるだけで、坂の多い場所に住宅地がバラバラと広がった感じの雑然とした街です。
街の西北角のLincoln ParkにあるLegion of Honor美術館で、西洋近代美術や江戸時代の浮世絵、古代ギリシャの遺物など(いろいろなものがぎっしり雑然とならんでいるのがいかにもサンフランシスコらしい)を見た後で、海辺へ下りました。
ここには、咸臨丸来航百周年記念碑なども建っていて、サンフランシスコが日本人にとって(中国人などにとっても)アメリカの入り口であったことを思わせます。
ゴールデンゲートブリッジを後ろに眺めるこの海は、太平洋の外海で、遙かに日本などにつながっています。
帰りには、虹を見ました。局地的に雨が降って上がったばかりだったようで、淡い七色がきれいでした。
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渡米一ヶ月、地震から二ヶ月目に

2011-05-11 12:35:53 | 日記

 こちらに来て一ヶ月経った。ちょうど地震から一ヶ月の日だったので、震災後二ヶ月になる。私は地震の時は機上にいたので揺れは経験していないが、その後一ヶ月、東京で非日常が日常になった日々を送り、それからアメリカにやってきた。こちらに来て、余震にも節電にも気を遣う必要のない毎日にホッとし、同時にずっと東京にいる人達に対してどこか後ろめたく申し訳ない気持ちがある。まして生活基盤を壊された被災地の方達や福島の人達のことを思うと、言葉もない。与えられたチャンスになすべきこと(主として研究)をしっかりしなくてはという思いと、しているはずのことが出来なくなっている人達への思いとに揺れている。
 この間考えた多くの事のうち、ここでは原発とエネルギーの問題について、自分の考えを記しておきたい。
 若い頃、友人が熱心に反原発運動をやっていた。つき合っていくらか原子力発電の勉強をして、なんと危ないものかと思い、原発反対になった。が、その後長い間、原発について深く考えることがなかった。そして仕事はどんどん忙しくなり、いつかエネルギー多消費型のライフスタイルで暮らすようになってきた。
 今回の事態の中で、改めて原子力発電の危険性を思い知った。技術者が如何に最善を尽くして危険を最小化しても、想定外の事態というのは起こる(トップの専門家達の懺悔にも似た声明を見よ)。その時のリスクはあまりにも大きいので、やはり原子力発電は止めるしかない、と反省を込めて思う。
 とはいえすぐに全部を止めるのは無理だろう。浜岡原発はすぐに停止し、新設は行わず、可及的速やかに省エネと他のエネルギーへの代替を進めて(それでも10年以上かかるだろう)、やがては原発に頼らなくてよい社会にしてゆくのが、可能な方法だろう。
 問題は、すでに原子力発電(約3割とか)を含めた電気なしでは生活しがたくなっていた私たちの社会と暮らしをどうするか、である。上野千鶴子さんは、最近の東京の節電ぶりを見て、「やればできるじゃん」といわれる(http://wan.or.jp/ueno/?p=146)。然り、今回、ムダな部分は徹底的に節電することは社会的合意になった。洗い出されたムダもたくさんある(例えば切符の自動販売機。スイカが普及して各駅に1~2台で充分になったのに、従来どおり稼働させていた)。
 とはいえ、何が「ムダ」かは、一義的には決めがたい。「べつに少々街が暗くても不都合はない」と考えるか、「暗いと消費意欲がかき立てられないので景気が悪くなって困る」と考えるか。「夏は暑くてよい、冬は寒くてよい」のか、「暑かったり寒かったりすると、仕事にならない」のか。
 しかし、東日本はもはやデフォルトで出来うる限りの節電をするしかないのだから、そのような哲学問答は不要だ。今年の夏の東京は、エアコンを控えて暑いのを覚悟するしかない。去年のような酷暑でないことを祈るのみ。どのように節電するかは議論する以前に、日々が実験だ。(だから失敗も多々起こる。)強いられた節電を行う中で、省エネ型社会がどのようにすれば可能かが、さまざまなレベルで開発され試されるだろう。世界に発信できるような優れたシステムや技術が、開発されてほしい。同時に、人の暮らしや心持ちのよりよいあり方も、見い出され社会的に共有されるようになってほしい。
 この文章を書いていて、わたしはもはや「外側」にいるのだな、と改めて思った。地震の後、関西にいる人と話していると、余震や節電や微量の放射能の中で暮らす首都圏との落差を感じ、そして東北と東京も落差があるのだろう、と思った。今はカリフォルニアにいる私は、ここで出来ることをして、考えたことを記していくしかない。

[追記]
これを書いた後、原発事故の状況は、この時に私が考えていたよりずっと深刻であることがわかりました。この時点でも、もっと多くの情報を集めて注意深く考えていればわかったことです。現在でも、深刻さが広く伝えられ、放射能汚染を避けるために必要な措置が取られているとは、とても言えないようです。
甘い見通しに立っていた不明を恥じますが、この時点での考えとして訂正せずにこのままにしておきます。(5月26日)
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トーク会

2011-05-09 23:02:18 | 日記
今日は、こちらで知遇を得た在米日本人女性のYokoさんの主催する「女性の持ち回りトーク会」で、「各国の出産の今と昔」について話しました。
Yokoさんは、日本の女性学の草分けの頃からのジェンダー研究者です。当時、アメリカの女性学の最新の状況などを伝える学術誌『日米女性ジャーナル』を、日本語と英語で年4回、手弁当で発行していたそうです(英語版は現在も継続)。私も読んでいたので、Yokoさんの名前は存じ上げていました。近くにお住まいで、地域の日本人女性で毎月トーク会を開いているというので、ちょうど渡米前に出した本の内容に関した話をさせてもらいました(使用言語は日本語)。
場所はYokoさんの自宅で、参加者は10人余り。メンバーは研究者、主婦、演奏家など、いろいろで、在米生活の長い方も短期の方も、男性のメンバーもいらっしゃいます。平日の昼間なので、会社勤めの方は参加できないのは残念。皆さんから、ご自分の見聞や経験も交えた率直な意見が活発に出て、楽しいトーク会でした。
Yokoさんのお連れ合いはニュージーランド人の大学教員で、現在のお宅には1989年のサンフランシスコ大地震の頃から住んでおられるとか。庭ではちょうどバラが満開で素敵のすてきなお家で、大きなダイニングのテーブルを囲んでのトーク会でした。アメリカの郊外の瀟洒な住宅地の生活をかいま見た気分でもあります。

トークの概要は以下の通り-「各国の出産の今と昔」
人の誕生である出産が「よいお産」であることは、産む女性にとっても、産まれてくるすべての人にとっても重要である。
近代化とともに、出産のあり方は、それぞれの国や社会で大きく変わってきた。現在、アジアでは、農村部などの出産時の母子の死亡率の高かった地域に近代医療が普及し、出産をめぐる社会関係にも変化が起きている。同時に、過剰ともいえる出産の医療化が商品化とともに急速に進んで、出産の過半が帝王切開になっているところもある。
欧米でも、出産のあり方は様々で、アメリカでは病院で医師の立ち会いによる出産がほとんどであるのに対して、オランダでは現在でも自宅出産が三割ほどあり、助産師の立ち会いも三割以上である。これらの国の母子の死亡率は低い水準だが、オランダはアメリカよりさらに低い。
このような事例からは、近代化した社会でも出産の具体的なあり方は様々であることがわかる。
すべての人が「よいお産」をするためには、必要な医療とケアが適切に提供される条件が整った上で、どのように出産するかを主体的に決定できるようになることが望ましいと思われる。個人としても、社会としても、そのような条件を整えるための努力が必要であろう。(参考:『世界の出産』勉誠出版、2011年3月)
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電子リソース(つづき)

2011-05-08 21:26:23 | 日記
前回記した電子リソースの契約のためのスタンフォード大学の資金の豊富さについて、こちらで暮らす友人に話したら、おそらく大学は全部の費用を支出してはおらず、経費に税制上の優遇措置を受けるとか、先方にもメリットのあるような契約の仕方をするなど、実際にはかなりのリソースを無料に近い形で契約しているのだろう、ということです。これについては、またリサーチしてみようと思います。
ところでこの大学の東アジア図書館のコレクションは日本語・中国語・韓国語の3部門からなります。以前は日本語・中国語だけだったそうですが、最近できたという韓国語のコレクションもかなりのものがあり、それぞれが電子リソースも備えています。
そのリストを見比べていると、正直、日本語のものが貧弱だな、と感じざるをえません。ここの電子リソースは、中国語コレクションを見る限り、重要なものはとにかく入れておくという感じで、特に思い入れをもって選択している風ではないので、これは日本語の電子リソース自体が少ない反映だと思われます。リストアップされているデータベースの数だけでなく、日本語の論文索引は論文の存在を知るためのもので一部のもの以外は本文閲覧はできないのに対して、中国語・韓国語(たぶん)は論文の本文を見ることができます。これは決定的に意味が違います。
韓国では、国内の学術雑誌は全部電子化して無料でダウンロードできるようにすると決められている、と数年前に韓国人の研究者から聞きました。中国では国家事業で大規模な学術雑誌のデータベースが構築され、代金を払って読むようになっています。これに対して日本では、学術論文を全面的に電子化する、ということは行われていません。
新聞についても、中国では20世紀後半のものは、主要紙だけでなく業界紙・地方紙も含めて電子化が進められており、ネットを通じて検索して内容を読むことができるようになっています。対して日本語のものは、スタンフォードでは朝日新聞・読売新聞が過去のものまで読めますが、主要紙以外の電子化が全面的に進められているということは知りません(資料的価値の高い一部のものを所蔵図書館などが電子化してはいるようですが)。
率直に言って、日本の情報の電子化は東アジア三国の中で見ても非常に立ち後れている、と改めて思います。必要な決定をなすべき時に果断に行えない構造は、今回の地震と原発事故をめぐる一連の動きでも感じることですが、このような所でもシリアスな状況を招いています。
こういう状況をサバティカルで時間のある時しかしみじみ実感できない、私たちの日常も問題なのでしょう。自分の不勉強を棚に上げて、ともあれ率直な実感を記しました。
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