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認知症一期一会 http://blog.goo.ne.jp/mizukiosamu/

毎朝8時30分
ケイタイのアラームが鳴ると、私はアリセプト5mgを飲み食卓を離れます。


書き忘れたこと

2007年03月30日 | クリスティーンさんの本から
書き忘れたことがありました。「続・クリステーンさんの訪問の記録」を書かれた石倉康次氏の言葉です。《クリスティーンはモリスのことを次のように語ってくれた。「全豪会議の発表に際には、モリスに訓練してもらう必要があった。草稿を書き、それを読んでくれ、口頭で発表する仕方についてもアドバイスをくれました。2冊目の本を書いてみて、モリスとの共同作業がいかに大切であったかがわかりました。おそらく、モリスは知識が . . . 本文を読む

何度読んでも新鮮

2007年03月28日 | クリスティーンさんの本から
《診断から死に至るまで、あなたとともに歩みながら、 尊厳を持って痴呆を生き抜くという 新しいパラダイムを探していきたい。 このサバイバルの旅は、 内なる魂にかけられた覆いを取り払う旅であり、 手放すことによって内なる安らぎを見いだす旅である。 仏教にこんな言葉がある。 「賢者は手放すことができる。 手放すことは、無限の喜びを得ることにはかならない」(中略) あなたの理解と支援があれば、 あなた . . . 本文を読む

薬と本

2007年03月22日 | クリスティーンさんの本から
《処方薬と補助薬は、霧を晴らすのに欠かせない。 薬があるおかげで、私は話したり、 しっかりと目覚めた状態を維持したり、 自分のまわりで起きていることに注意を払ったりできる。 薬がなくなると、私は無気力になり、 日常生活もままならない。 話したり、考えたりもできず、 ましてやほかのことなどもっとできなくなる。》とクリスティーンさんは書いておられます。『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P . . . 本文を読む

サバイバーとして新たに生きる

2007年03月20日 | クリスティーンさんの本から
《仏教では、態度を選ぶことの大切さについて こう理解している。 「物ごとを違った角度で見なさい。 世界は広くて大きい。 あなたにかかわるもろもろの関係、 すべてのことへの対処の仕方を、 違った見方に変えなさい。 そうすればきっとすべてのことは楽になるだろう」》とクリスティーンさんは書いておられます。『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P226クリスチャンである、クリスティーンさんが、仏 . . . 本文を読む

あなたもダンスのメンバーに

2007年03月18日 | クリスティーンさんの本から
《状況は数ヶ月ごとに変化していく。 それは私たちの生活の仕方の変化で、 ほんの小さなことだけれども、 はっきりと違いがわかることだ。 私たちは痴呆とのダンスを踊りながら、 この変化に対応していく。 私が悪化していき、こうしてほしいという 要求を伝えるそばで、 常に新たな痴呆のダンスの曲が流れ続けている。(中略) 痴呆症は多くの点で、本人とその家族が スティグマのために孤立してしまうという社会の . . . 本文を読む

朝に紅顔ありて

2007年03月17日 | クリスティーンさんの本から
《私たちにわかったことは、 「自分が何を言うか、何をするかが私ではなく、 私はただ私である」ということだ。 自分が誰かは魂が決めることだ。 認知と感情は人生で変化するが、 私たちの本質である魂の神の手の内にある》とクリスティーンさんは書いておられます。『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P220この文章は、簡単なようでむつかしい。私たち日本人には理解しにくい。神というキリスト教の上に成 . . . 本文を読む

命の織物

2007年03月14日 | クリスティーンさんの本から
《私たちが魂の自分に向かって旅していく時、 私たちの外側の仮面は失われていき、 内なる自分が増していく。 認知は徐々に消えていくが、代わりに感情と魂が増してくる。 痴呆の旅が進むにつれ、私たちの魂は鍛えられていく。》とクリスティーンさんは書いておられます。『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P218「この病」と診断されて・・・・とにかく途惑う。何がどうしてそうなったかがわからない。原因 . . . 本文を読む

禅の心は平常心

2007年02月24日 | クリスティーンさんの本から
《禅仏教が指摘するには、心とは、 サルがキーキー鳴きながら不安という枝から 貪欲という枝に移り渡っていくようなものだ、という。 心がそんな状態だとしたら、 どれだけ質の高い経験ができるだろうか? 瞑想では静かな山水に月が映るかのように、 心を鎮めることを教える。 その心がそのような状態になれば、 今という時を思う存分に味わうことが出来るのだという。 これは面白い考え方だ、と僕は思った。》とクリ . . . 本文を読む

「刹那」というご縁

2007年02月23日 | クリスティーンさんの本から
《私の魂としての自己は、過去も未来もない「今」という時に存在している。 仏教の「刹那」という言葉は、このように 時間の枠から離れた存在感を捉えたものだ。 万物が「今」という場所に存在することを理解すれば、 時間の外に在られる神が何であるかをより深く知ることが出来る。》とクリスティーンさんは書いておられます。『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P219岩波仏教辞典によれば、「刹那」とは、 . . . 本文を読む

「今」という境地に達する

2007年02月21日 | クリスティーンさんの本から
《私の痴呆の旅は、本当は自分は誰なのかを探すという 自己発見の旅であった。私は一冊目の本で、 「私は死ぬとき誰になっていくの?」と問うた。 それは自分がなくなってしまう恐怖を表現したもので、 痴呆の旅は自己喪失のようなものだろうと私は思いこんでいた。 しかし、ここ数年間は、 私たちを人らしめているものは何なのか、 痴呆の旅をしている私たちに 何が起きているのかについてよく考えてみた。 痴呆症は . . . 本文を読む

本のご縁で

2007年02月19日 | クリスティーンさんの本から
《診断後、最初の二年間は、痴呆のレッテルを貼られたことで 変ってしまった私の人生を生きることに必死だった。 私が恥ずかしいと思い、社会から引きこもった。 自分の将来がとても恐ろしかった。 この病で死ぬというのはどんな感じであろう? 私はその気持ちについて書くようにすすめられ、 それが最初の本になった。 私にとって最大の恐れは、病気が進んで重度になり、 自分も家族や友人も、そしておそらく 神さえ . . . 本文を読む

安堵する人もいる

2007年02月16日 | クリスティーンさんの本から
《痴呆症のシナリオ、つまり診断のショックと経過予測の恐怖が、 私たちの人生の分岐点になる。 診断を言わされた時のことは、 私たちの記録に深く刻み込まれていく。 その時の天気、人が着ていた服、言われた内容など、 ゆがんだ記憶の中から霧が晴れるように浮かび上がり、 ひとつのはっきりした光景を作り上げる。 中には診断を受けて、ほっと安堵する人もいる。》とクリスティーンさんは書いておられます。『私は私 . . . 本文を読む

希望を捨てていいという段階はない

2007年02月14日 | クリスティーンさんの本から
《痴呆の旅が進んでいくと、私は自分の精神性を支えるために ますます他者に頼るようになるので、 あなたには私の魂に直接かかわってほしいと思う。 この旅では、ここまで来られたあなたが私につながろうとする 希望をもう捨ててもいい、というような段階は存在しない。 私たちは、頭と心とではなく、魂によって ずっとつながっているのであり、歌と祈りと儀式を通して私に接し、 私のそばにあなたという精神的な存在が . . . 本文を読む

自己の喪失

2007年02月12日 | クリスティーンさんの本から
《痴呆症は往々にして「自己の喪失」と関連づけられてきたが、 そこには、痴呆の旅をしている人はある段階まで来ると 人間らしさを失ってしまう、という意味合いがある。 これは明らかにおかしなことだ。 どの段階で私の自分らしさや 信仰における霊性が否定されうるというのだろうか? どの段階で、私ははっきりと私は私でなくなるのだろう?》とクリスティーンさんは書いておられます。『私は私になっていく』(クリエ . . . 本文を読む

迷妄から抜け出る

2007年02月10日 | クリスティーンさんの本から
《私たちは励ましがあれば、 自分自身のことを書きたいかもしれない。 私にとって最初の本を書いたことは、 自分を振り返る重要な旅だった。 島根県出雲市のディケア施設を訪問した時、 そこにいた人びとが、 痴呆とともにいきることについて心の内に抱いている 感情と希望をすばらしい手記にしており、 それをいくつか読んでくれた。 彼らの表情から、手助けしてもらいながら そのような個人的な手記を書いたことに . . . 本文を読む