《状況は数ヶ月ごとに変化していく。
それは私たちの生活の仕方の変化で、
ほんの小さなことだけれども、
はっきりと違いがわかることだ。
私たちは痴呆とのダンスを踊りながら、
この変化に対応していく。
私が悪化していき、こうしてほしいという
要求を伝えるそばで、
常に新たな痴呆のダンスの曲が流れ続けている。(中略)
痴呆症は多くの点で、本人とその家族が
スティグマのために孤立してしまうという社会の病気だ。
それは楽しいものではない。》
とクリスティーンさんは書いておられます。
『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P221-222
昨日の出来事が何であったかを思い出すことは、
とても難しい。
難しい・・・というより、
ほとんど思い出せない・・・といった方が体にいい。
思い出せ・・・と、
求められることは無情だ。
そんな私ですが、
ふと・・・浮かぶことがあります。
その瞬間、
時計を止めるような思いで
息をこらすようにしてメモにする。
そういう言葉の蓄積の中から、
私の文章がふくらんでいき、
こうして書くことができるのです。
続ける・・・という、クセがついて、
日に2~3のメモを取ることが出来ています。
その言葉から、
私の思いをふくらましていくのです。
「この病」の変化によって、
《常に新たな痴呆のダンスの曲が流れつづけている》と。
そして、
《それは楽しいことではない》と
いわれるクリスティーンの思い。
美しい言葉で、さらりと言われるその言葉に、
魅了される私がいる。
私はダンスは踊れないが、
いわれる意味は私にも伝わる。
そして、
しっかり・・・受け止めようと努力する私がいる。
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言葉ってすばらしいですね
同じ意味でも言葉により、救われることが
随分あります。
水木様も 又 それを受け止めようと
努力されている。
夫とふたりでいつも励まされています。
なぜ?というくらい、周囲は、無知・無理解ですね。
なぜ私はこんなに大変になったのだろう。
だんだん冷静に振り返れるようになって考えています。
過渡期だからおこったことかなあ、と。
「痴呆」という呼称だったこと
啓蒙が進まなければなりません。
「介護保険」が導入された直後だったこと
恩恵を受けてありがたかったのですが・・・
いきなり福祉にかかわった素人に問題あり
本人も家族も、もろもろを抱えて一生懸命生きている。
理解が進むことを願うのみ。
クリスティーンさんの本を、
何回も読み返すことで、
そして
「アリセプト」のお陰で、
私はこうして書くことが出来ています。
クリスティーンさんの書かれたことを、
本当に理解できているのか・・・には、
自信がありません。
それなりの勝手な理解かも知れません。
でも、
私なりの理解からでも、何かが伝わってくるのです。
そのことが、私にはうれしいのです。
ママネコ様、ご主人様。励ましあって行きましょうね。
100年という年月が経って、今の状態があります。
その間、
多くの方が苦しい思いの中で生きていました。
そして、
亡くなられました。
今、私たちは、
「呆け老人を抱える会」の看板に
新しいペンキを塗って、
「認知症の人と家族の会」と、
書き換えました。
そして・・今日があります。
私たちは、
私たちに出来ることを見つけ、
そうすることで、
「この病」のことを
喚起して行こうではありませんか。