足の痛みがゆるんで、顔色をよくなってきました。
何年何月何日に、
痛さをこらえて、東海道線に乗った朝、
がたん・・がたんと腰が踊って痛かった日。
養生一途に・・・と心が言っているようでした。
私は・・そのたびに、「養生訓」を持ち出すのです。
言葉で痛さが治るわけではありませんが
一度は・・「養生訓」に書かれた言葉を音読するのです。
足の痛みがそれで直るわけではないの . . . 本文を読む
足の指が、痛くて、痛くてたまらないのです。
「明日の記憶」と言うわけではないが、
言葉が浮かんでこない今日。
明日には、イタイイタイといっていた日々がくるのです。
言葉の変換が、なぜか・・・とどこうる。
たったの一行を書けば、
文章になるとわかっていても、
その一字が浮かんでこないのです。
なんとか言葉を発したいわたしですが
さてさて・・・答えは、ちょうか、はんか . . . 本文を読む
なんという言葉を書けば、
足の痛さを分っていただけるのかと、ぼやいていました。
足が何かにあたれば、
イタタ・・・イタタ・・・状態でした。
はってもいたい、立ってもいたい足がいたいので限界、>
病院に行きました。
先生は・・・足をなぜて、ひどいですねとのこと。
幾つかの検査を終えて、薬をいただて終わりました。
しかし・・・・何と言う名の病かを
思いだ . . . 本文を読む
言葉が浮かぶことで、文章を書くことが出来る私。
言葉がかけないときは、
一時間休養は・・・と書いて、待てよと思ったのは、
言葉が浮かんでこるか、
来ないかで言葉の書きかたが違ってきます。
「明日の記憶」という映画を一人で見にき
感動した私。
その感動は今もある。
「記憶が消えて行く」ことであろうが
私はそのことには・・・未練はないと云いたいです。
朝、目 . . . 本文を読む
毎日毎日同じ言葉で会話するのは、
飽きるのではないかとかかれますがなししたんだ言葉はなかなかすてがたいのです。
そんなことで、ついつい同じ言葉を使ってしいます。
会話といいものは相手が会ってなりたつもの。
私は、話したいのだが、
口をあけたとたん「あれあれ」と言ってしまうのです。
話し言葉をいくつかもって、
今日はこれで行こうとか、
明日は違った言葉を使って、
あっと思わせる . . . 本文を読む
足が痛い・・・と思って目がさめた。
夢の中の痛いなのか、現実の痛いのか・・・が
現実か、そうでないかが・・・分らない感じの朝。いが本当なのか・・・幻覚なのかが分らない朝と言ったいい。
私は夢をことは一年に二三回・・・と言うことで、
夢を見ないタイプ。
その事は余談ですが・・・・が、
一日に一回は、パソコンを開き
コメントのあるなしを書認するのです。
私がコメントの有 . . . 本文を読む
私は、日記をつけることが下手ですので、
一年日記が大方は・・・何にも書いてないのです。
そのくせ・・・冬になると日
記帳を買っているのです。
なんとなく買ってしまうのです。
正岡子規は命あるかぎり、
日記を書いているのです。
エッイも書かれています。
そうしたエッセイをよみながら、
私は・・・エッイを書きたいと思いながら、
なぜか・・・筆が進まないのです。
そんな時、 . . . 本文を読む
言葉を書く・・・とか、話すとか、
自分の感じたことを文章にすることは、
簡単なようで簡単ではないのです。
作家が文章が書けない書けないと言われる意味が
わかるようになりました。
そそくさと書いた話でも、
一応は・・・推敲したつもりなのです。
言葉を書く・・・という作業は、
あだやおろそかなものではないのですと言いたいです。
認知症患者の私が・・・・言葉を
書くこと自体がおこ . . . 本文を読む
雨だから、一日寝れていなさい・・・と言われ、
それもすだと寝ることにしました。
本でも読むかとあれこれ思っていましたが、
そのうちに眠ってしまいました。
目がさもときは、夕闇がせまるころでした。
三時間は眠っていた感じ。
認知症と宣告されて五年がすぎ、
言葉を発信することが、
カンタンではないのです。
されど、されど・・・言葉を書かなければ、
「明日の記憶」に、なってしまう。
言葉の変換 . . . 本文を読む
神無月と、カレンダーにあって・・秋をしる私。
なにか言葉を書きたいと思っても、
夏の暑さで、ぐったりしていいた私ですが、
秋と言う文字をかいたとたん、体がすっと立ち上がる。
言葉を忘れたカナリヤのように、言葉が書けなかったあの暑さ。
そのカナリヤが、私と一緒になってサネヅル。
そんな秋が・・・そんな言葉が・・・でるのです。
私は、毎日のように「認知症一期一会」というブログを発 . . . 本文を読む