サンキュウ・・・・・
今年もあと少しで、知恩院の除夜の鐘がなります。来る年も、来る年も、同じ除夜の鐘ではありますが、人は皆思いが違い、その無情を鐘の音に託されるのだはないでしょうか。私は・・・今日も元気で、書きたいのですが、4年目の私では、何をするにも大仰な仕草が必要であり、なんでもないことにも途惑うことが増えています。でも、朝の体操は、欠かさないです。穏やかな私流の体操ですが、腕立て伏せ、 . . . 本文を読む
右だ 左だ・・・・・
パソコンに、カレンダーをセットしてありますが、見にくいと感じたのは昨日のこと。右手の方に隅にセットしていましがが、時には模様替え・・・という感じで、左に移動してみました。時たま、「今日は何日?」と途惑うことがありますので、あるにこしたことはありません。意味はあまりない・・・と、書いてもいいのですが、そんなことを思った瞬間、右手側に?いや左手に・・・と、途惑ってしまし、混 . . . 本文を読む
呼吸法から・・・・・
呼吸法・・・のことで、先に我流のものをしています・・と書かせていただきました。私の場合では、ふーーーーーと息をユックリと吐いていき、吐ききった瞬間、息を止めて、息がくるしくなるまで頑張るというものです。そんな私の呼吸法ですが、息を止める、息をはく・・・ということには変わりありませんから、アレがいい、これがいい・・・と、教えてくだなる方がありますが、試してみたこともありますが . . . 本文を読む
キップがない・・・・・・
精神的に余裕があるときは、何をするにも乱れががありませんが、ちょっとした弾みで、その状態が崩れたりします。昨日、電車に乗って隣町の大きな電気屋さんに行き、ボイスレコーダーの使い方を教えてもらいたい・・・と言ったところ、「マヌアルを見て」とのことでそっけないかぎり。師走でも、お店は空いていましたので、ちょっとしたサポートがあればと思ったのですが、当てがはずれて、なんと . . . 本文を読む
老いの坂道で・・・・・・・
年賀葉書の投函で、なんでだか未練が残りそうなので、窓口で受け取ってもらいました。ということで、今年の年賀葉書は無事に完了・・・と書きたいのですが、ある方には同じものを2枚とか、或いはさかさまに印刷とか、その度に気落ちしていきますので、疲れる作業になってしまいました。でも、なんだかんだと言い合いならでも、それなりの答えができたことは、褒めてあげたい。一年一年と、老い . . . 本文を読む
自分を褒めて・・・・・・年賀ハガキに宛名を入力することは出来ましたので、安堵の今日。とにかく出来た・・・という感覚はとてもうれしいですね。そのハガキの事では、いっぱいいいたいことがりますが、自分流のやり方で、サマになったのですから、いいとこ取りで、出来た!できた!と、にこにこするに限ります。いろんなことがあって気落ちしたり、したことがありましたが、その無念を悔やむより、4年目のアリセプトを服用 . . . 本文を読む
もう・・もうと
年賀ハガキを手書きで書ければ、いうことはありませんが、私の場合は、手書き文字を書くことがとても難しいです。しかし、パソコンで書けばなんとかなるという不思議さに、毎年味わっています。昨年はどうだったのか・・・と思ったのですが、賀状を書いた記憶がありません。笙子に聞いてみると、病院に居て・・・という返事が返ってき、そうか・・・と思った次第。ということで、連続性を少しでも切ってしま . . . 本文を読む
大仏殿の・・・・
朝、目が覚めると、あと何日で「お正月」とう言葉を書きたくなったのですが、無理にでも、言葉を書きたいと思ってしまいますと、「無理」だというのにと、避けられてしまいます。ふっとした感じで、言葉が浮かんできた時には、右指が自然と動き、読める・・・言葉になっています。体調がいい・・・といえる時には、それこそ「すらすら・・・」と言う感じでパソコンと戯れる時間となり、私のとっては「至福 . . . 本文を読む
今年が終わる・・・・・・
「認知症の人」はと、「一派ひとからげ」で何かをさせられることがとても辛いですね。私という存在、個性などに気持ちを向けてくださることは少ない・・・と言っていい。私ごとで考えてみれば、個人差のあるお陰で、一派一からげかあらは抜け落ちています。そんな状態が何時まで続くかの予想をすることはできませんし、あまりにも近い予想を、ブログに書くことは避けています。そんな私の気持ちを . . . 本文を読む
宛名OK・・・・
できた!と、大きな声でいいたい。年賀ハガキの宛名部分を書くことができたからです。こんどは大丈夫だ・・・と思います。「あきらめない」という言葉がありますが、まさにいい言葉と思いました。他人様にこの話をしても、「出来てあたりまえ」とあしらわれることは覚悟しても、自分はその「できた!」との感動はなにものにも変えがたいうれしさです。見様見真似そのもののやり方で、というか、手探りであろう . . . 本文を読む
宛名が・・・
年賀ハガキの裏面は、なんとかかんとか・・・意味不明の状態ではありましたが、印刷することができました。つまり、笙子さんの絵は印刷されたということです。そして今朝。全部が出来たような思いで、うきうきしながら、宛名書きを始めました。勿論、パソコンでです。しかし、宛名印刷をする手順が記憶されてないようで、一昨年のパソコン印刷したものを見つめたままでの立ち往生・・・という状態の私。昨年末 . . . 本文を読む
糟糠の妻は・・・・・・・・・
朝ごはんに箸をつけたとき、突然、「糟糠の妻」という言葉を知っているか?」との事で、思わず箸が止まってしましました。笙子さんが、何かの時にというか、食べることに精一杯なときに突然の言葉ひは途惑どってしまう私ですら、そんな途惑いそうな雰囲気を狙って、ひょいとした言葉を目の先で言ったりし、私をあわてさせます。つまり、頭の体操だと。しかし、今はでは、そのような言葉には興 . . . 本文を読む
花のことは花に問え・・・・・・・・・「花のことは花に問え」という言葉があります。その言葉のことを書きたい・・・と思ったのですが、いかなこと私の手にはおえません。書けそう・・・と思った言葉が、書けないとか、途中で止まってしまうとかの事が多くなっていることは?やはり、私の状態が、すり足差し足のように、コトンと一歩前に進めば、それだけ、私には気になることが増えていのでしょうね。新年を前のして、うつむ . . . 本文を読む
八畳間の記憶・・・・・・
パソコンの部屋は、息子たちが巣立っていった部屋で、八畳ありますから、机が二つとか、パソコンが2台とか、今は、私専用の部屋となり、ある意味ではだらしない部屋・・・といい変えてもいい。私がパソコンに向かっているあいだは、ほとんどの場合、笙子さんは入ってはきません。しかし、パソコンと一日中、向き合っているわけではありません。出たり入ったりの状態です。その部屋で、「認知症」とい . . . 本文を読む
再びの年賀ハガキ・・・・・・・・
年賀ハガキの裏面が完成したよと、笙子さんに見せたところ、「いいわよ」ということ印刷しました。その間、笙子さんは買物に出かけました。一枚一枚と印刷し、その印刷がおわったころ、笙子さんが帰ってきました。「出来たよ・・・」という私。せっせせっせの一枚ずつの印刷でしたので、私の気持ちはウキウキ気分です。しかし、「出来たね」という言葉全部までいわないうちに、「これへん . . . 本文を読む