笙子さんの体調が・・・と、書いて、チョッと待てよと思ったことは、私が笙子さんの体調のことを勝手に書くことはやめた方がいい・・・」と。
夫婦は一体で・・・と言う言葉もありますが、「人格は別」は別だと、なんども言われていますので、体調のことは書かないことにしました。
高齢の私たちですが、やはり人格は別・・・といいきることには「脱帽」の私です。
だんだん、面白い言葉が多くなってきましたので . . . 本文を読む
3月が,
あと何日残っているかと聞かれても、私は即座に答えることは出来ません。
算数ドリルで、頑張っているつもりですが、苦手のドリルは所詮私には「苦手は苦手」なのです。
しかし、そんなことを言っている場合ではないことに、気がつきました。
ある先生が、「逃げてはいけません。ぼってぼってぼって、ぼいたくりなさいと。
考えて見れば私自身のことであり、進むも、すすまないも、
私と言 . . . 本文を読む
私流・・・・という「介護」で、まる5年になりました。
だらだら坂をくだるように・・・・との宣告時の言葉。
明るくいきましょう・・・とか、カラオケもいいですよと。
自動車を廃車して今は、リュックッサクを身につけて、買物にでかけることも。
何かをしたいと思っても、「私に行動範囲」が狭いので、運動量はすくない。
気持ちを整えてから、外出しても不都合はません。
しかし、誰かに行き会って . . . 本文を読む
日々言葉をはっしし、私は今日も元気です・・・・とのシグナル。
なにかの言葉を書くことで、日々の連続性を確保するとどうじに、
私自身の「こころのゆらぎ」を振り返ることにしています。々の暮らしが、揺らがないようにと、ゆったりしたリズムを確保しています。
私自身が・・・私を介護することで、そのユックリズムを確保できています。
書きたいときに書き、昼寝をしたいときにはしっかり眠 . . . 本文を読む
彼岸の中日・・・と、カレンダーに書かれて、その言葉がずさりと胸をうつ。
単に「お彼岸」で、何処かで、おいしいものをいただこうか?と。
でも、それよりさきに、お彼岸の由来を子供たちに紹介されることをのぞむ。
彼岸花が咲く知多には、思い出の「あの方」がいます。
お名前をかこうとしているのですが、いかんせん、「お名前」が浮かんでこない。
ある瞬間、ある言葉を書くことはできますが、そ . . . 本文を読む
今年に入ってから、笙子さんの体調がいったりきたり・・・と、書き始めてみましたが、体調の原因がさだまらないのです。
夫婦・・・つまり、どちらかがつまずいてしまいますと、なんでもないようなことが、出来なくなることがあります。せっかく書き始めた水墨の絵が、・・・終わりにならない。
その水墨画は、笙子さんにとっては、何人かと学んでいますので、
心配の電話をいただいたりしますと、どうお返事をし . . . 本文を読む
ぽーれぽーれ・・・の三月号が届き早速拝見。
私が一番に読む・・と、おもわるかも知れませんが、一番は、笙子さんです。私の場合文字を拾っていくことがなかなかむつかしいのです。
目で読むことは、言葉自体を読み取り、自分の言葉になる。その反応が、私の場合「遅い」と言うことです。
ま、それは何時ものことですから、反応が遅い・・・とは、思わないからややこしい。
今年6月6日に、ペギーハヤマが、 . . . 本文を読む
梁塵秘抄」第359段に、私の好きな一節がある。
「遊び せんとや生まれけむ
たわむれせんとや うまれけん
遊ぶ子供の声きかば
わが身さえこそゆるがるれ」
その一節を、パソコンに書いたのですが二十分もかかって大きな吐息。て、言葉をパソコンに書く・・・と言うことがなぜか、ゆっくりすぎる私です。
パソコンで言葉を書くことは、スラスラ感覚だったのが、最近とみに変換にとまどうことが多い。
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「認知症一期一会」と言う名のブログの発信から、何年になるだろうか?
数を数える・・・ということが、もっともむつかしいのは、なぜであろうか。
猿は数字を数えることができるのか?
猿の行動には、数は必要ないのか。あっちの木から、こっちに向かって飛び込んでくる力、数値は、計算されるここもなくても、隣の枝にとびこんでいき、しっかり枝につかまる不思議さはなぜだろうか。
  . . . 本文を読む
最近・・・言葉を書くことが・・・と書いて、手先が切れる感じ。
いい意味も切れるではなにではなく、単にふらふらの状態なのです。3月桃も節句も終わったのか、これからの私を聞いて見たい・・・と。
今私は、気道が揺らいでいます。
言葉がすらすら書ける日は、迷いもないし、ほころびもない。
しかし、一旦、言葉を書き損じると、
二の矢を打つことがむつかしい私になっています。
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どちらかが疲れてしまうと、両方が「負」の状態になり、なかなな状態で、危うい。
でも、皆さん体験されていることですから、私なりの自分で頑張りたいです。
梅に「ウグイス」がなくように、私も「ホーホ」とさせずったみたい。 . . . 本文を読む
啓蟄・・・と言葉があって、
春弥生との言葉がころがってきました。
そんな昨日、笙子さんが,
足の付け根が痛い・・・とうこで、隣町のいつもの病院へ行きました。二年くらい前に私も笙子さんも、メスが入っています。
私は「認知症」という言葉をはずせば、言うことなしなのです。
今回の笙子さんの足が痛い・・・・は、今年になってから。
頑張り屋の笙子さんではあるが、いたい・・・いたい・・・と . . . 本文を読む
那須の与一も・・・・・・
一日に三度・・・・これはと思える言葉が浮かんでくるのですが、その言葉を捕獲することは、なかなかにむつかしいのです。ふっと思った瞬間、なぜか私の手から零れ落ちるのは、私に対する挑戦であるのだろうか。ここまでおいで・・・と、おいでと思わせながらに精神をオチョクル。一日に三度でいどの書きたいことが浮かんでは消え、浮かんでは消える。
兼行さんが、消えてはいき、消えてはいき . . . 本文を読む
弥生三月ひな祭・・・と言葉を書くだけで、10分かかりました。
うそのようは「ホントノハナシ。
定番の行動・・・つまり、何時もの時間に、食後の歯磨きをし、パソクンに向き合うという、毎度の行動をしているときは、言葉が自然と浮かんできたときは、○。
しかし、今日のように想定外の方がこられて、あれやこれやと話されていかれました。
その後では、パソコンに向かっても、なぜか . . . 本文を読む
ただ単に言葉をかけばいい・・・ということはおかしいと思う。
何かをしたい・・・という思いがふくらんできて、それを言葉に変換して、
推敲という作業をなんども繰りかえす。
ああであったらいいか、こうであったらいいか・・と。
でも、私自身は、なんべんもの推敲は難しいのです。
同じような言葉を見ているうちに、どっちがどっちと判断することが出来なくなっていきます。「認知症患者」である私がいつも . . . 本文を読む