《診断から死に至るまで、あなたとともに歩みながら、
尊厳を持って痴呆を生き抜くという
新しいパラダイムを探していきたい。
このサバイバルの旅は、
内なる魂にかけられた覆いを取り払う旅であり、
手放すことによって内なる安らぎを見いだす旅である。
仏教にこんな言葉がある。
「賢者は手放すことができる。
手放すことは、無限の喜びを得ることにはかならない」(中略)
あなたの理解と支援があれば、
あなたが私たちを助けられるように、
助けてさしあげられる。
一緒になって歴史を創っていくことができる。
私たちの壊れた声に耳を傾けて、
支離滅裂な思考を理解し、バラバラになった
過去と現在を知る方法を見つけよう。
痴呆を持つ人も、その家族も、
まわりのサポートする人びとも、
みな対等なパートナーとして、私たち内部者の知識をわかちあい、
ともに力を出し合って行こうではないか。》
とクリスティーンさんは書いておられます。
『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P231‐232
「私は私になっていく」という本は、
このページで終わります。
この本を書かれた意図がこのページに凝縮していて、
クリスティーンさんのお気持ちが伝わってきます。
もう書けない・・・という言葉を吐かれた後に
再度挑戦されて完成された本なのです。
そこに書かれていることは、
《あなたの理解と支援があれが、
あなたが私たちを助けられるように、助けてさしあげられる。
一緒になって歴史を創っていくことができる。》
という言葉に象徴されるように、
現在の日本では、変化が始まっています。
従前「呆け老人をかかえる家族の会」とありましたが名称が、
2006年6月3日の総会で「認知症の人と家族の会」になりました。
認知症患者が主体となった瞬間です。
ここにも、クリスティーンの言われる
《私たち内部者の知識をわかちあい、
ともに力をだしあっていこうではないか》
という言葉が実行されました。
この本の力を改めて感じたのです。
私もこうして、2冊の本を読み終えることが出来ました。
お付き合いありがとうございました。
おかげさまで、
私は・・・冷ややかに自分を見つめることもできました。
すばらしい本を紹介してくださった皆様にお礼申し上げます。
お付き合いくださった方々にお礼申しあげます。
ありがとうございました。
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こうやって、短い区切りで、感想をまじえながら紹介していただき感謝あるのみです。
クリスティーンさんの文章や、水木様やあやちゃんの思いは、特に介護に従事している方に読んでほしいです。
私も、何度も「認知症は侮れない」と体験してきましたが、介護職の方もきっと心当たりがあるでしょう。
侮ってはいけないのです。
今日、母に「mikiに言うことはない?」と尋ねたら「別にない」と答えましたが、親の威厳を感じましたね。
命を削る思いで執筆、講演活動をされてきたクリスティーンさんは偉大です。
クリスティーンさんの文章を読み込み、ブログをたちあげられた水木様の勇気に感謝します。
これまでの認知症に対する固定観念を覆されました。
母も私も恩恵を受けました。
心よりお礼申し上げます。
私の頭は、捕まえておくのがだんだんむずかしくなってきて、踏切の信号のように,カンカン鳴ったり、パッツパッツとついたり消えたりしてどうして良いかわからなくなる事があります。
何時もいつもではありませんが、そうなることがあります。その時は自分をつかまえられない。
ボイスレコーダーを、聞いてみると何のことだか全く分からないことがあります。
今朝のようによく寝てすっきり目が覚めると
シグナルはならなくておさまっているのが分かりますが・・・。
自分で自分をとらえられないことは、怖いです。
でも、こうして、まだ皆さんと話すことが出来ます。
これも、水木さんとの出会いがあったればこそ、と
思います。
私も、お礼を申し上げなければなりません。
手を引いて貰ってここまで来ました。
先に歩まれる方のあとをたどり、手を引いて貰っていく道、です。これからもよろしくおねがいします。
こちらこそ、
励ましていただきありがとうございました。
萎える気持ちに言葉をかけてくださると、
立ち上がることができます。
そんなことの繰り返しのはての今日です。
母上さまの
「別にない」というお言葉、素晴らしい。
私もそういうようにします。
とりあえずのお礼の言葉。
ここまでこれたのは、
皆さんの応援があればこそです。
孤独の中で闘ったクリスティーンの勇気を分けていただき、
その本を、
点字で読むような感じで、
パソコンに書きました。
その言葉がブログの言葉です。
私は一人で、
「私は私になっていく」という本を読ませていただいたのではなく、
まさに「同行二人」、
あやちゃん様を初めとする多くの方と読ましていただいたのです。
それでなけれが・・・途中で萎えてしまっていたこでしょう。
ことらこそ、いろいろ教えていただき、
ありがとうございました。
これからの又、よろしくお願いいたします。
とりあえず、お礼まで。