認知症一期一会 http://blog.goo.ne.jp/mizukiosamu/

毎朝8時30分
ケイタイのアラームが鳴ると、私はアリセプト5mgを飲み食卓を離れます。


朝に紅顔ありて

2007年03月17日 | クリスティーンさんの本から

《私たちにわかったことは、
 「自分が何を言うか、何をするかが私ではなく、
 私はただ私である」ということだ。
 自分が誰かは魂が決めることだ。
 認知と感情は人生で変化するが、
 私たちの本質である魂の神の手の内にある》
とクリスティーンさんは書いておられます。
『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P220



この文章は、簡単なようでむつかしい。

私たち日本人には理解しにくい。

神というキリスト教の上に
成り立つ言葉だからでしょう。

私が毎朝読む「正信偈」と
その後に読む蓮如さんの
「白骨に御文」の中には、
「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」
と書かれています。

朝、元気で出かけた方が、
夕べには白骨となる無情。

毎朝、
その「御文」を読んでいますと
何故か心が穏やかになります。

なにがどうだ・・・と
いう理屈ではありません。

ただ、
「これでよし」・・・
と頷けるのです。

死は・・・いつもそこにある・・・と
いうことになんとなく頷くのです。

クリスティーンさんの思いとは少し違うと思いますが、
これが、
私の今の心境です。

決して大げさなものではありません。


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2 コメント

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私の場合 (miki)
2007-03-17 16:53:23
両親とも高齢ですから、私は「別れ」を強く意識してきました。
特に、精神的な別れでしょうか。

父は、若い頃から、命を見つめてきた人でした。
息子の死後、「般若心経」や道元の本を買って学んでいたことが、死後わかりました。
晩年は「死」を強く意識していました。

1年ちょっとの介護でした。
母との多重介護になったため、家庭で看取ることはできませんでしたが、「思いやりと感謝の心」を持った本来の父のまま、旅だってくれ、娘を救ってくれました。

母についても、私は「死」をおそれてはいません。
いつかは必ずくることです。
ただただ、天命をまっとうしてもらえるよう精神的に支えていくのみです。

水木様と、なんとなくうまが合うのは、仏縁かもしれませんね。
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ご縁に感謝 (水木)
2007-03-17 17:08:30
Miki様へ

環境が、私たちを救うかもしれません。
仏縁もご縁の内です。

こうして書けることもご縁ですね。

いつも励まされて、
今の私があります。

ありがたい・・・と思っています。

13日間、
「もの忘れネットカフェ」を
見守っていだいたご縁に感謝。感謝です。
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