認知症一期一会 http://blog.goo.ne.jp/mizukiosamu/

毎朝8時30分
ケイタイのアラームが鳴ると、私はアリセプト5mgを飲み食卓を離れます。


禅の心は平常心

2007年02月24日 | クリスティーンさんの本から

《禅仏教が指摘するには、心とは、
 サルがキーキー鳴きながら不安という枝から
 貪欲という枝に移り渡っていくようなものだ、という。
 心がそんな状態だとしたら、
 どれだけ質の高い経験ができるだろうか?
 瞑想では静かな山水に月が映るかのように、
 心を鎮めることを教える。
 その心がそのような状態になれば、
 今という時を思う存分に味わうことが出来るのだという。
 これは面白い考え方だ、と僕は思った。》
とクリスティーンさんは書いておられます。
『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P217



この言葉は、クリスティーンさんと同じ病の仲間である
モリスさんが書かれた文章の一部を、
《私は私になっていく》の中で引用したもの。

先に書いた「刹那」の続きです。

外国の方が、禅仏教に心を留め、
しばし・・・自分を振り返る・・・

その方の感性との出会いで・・・
心に留まるということしょう。

禅のいう平常心・・・という言葉が
とてもすばらしい言葉に聞こえ、
そこで立ち止まる・・・
そして・・・
ふーっと大きなため息を吐く。

そんな時間が持てれば・・・以外な形で、
元気をいただくことができるのかも知れません。

サルが貪欲の枝から・・・
そうでない枝に移って・・・キキキ・・・と、
うれしい声を発するようにです。


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2 コメント

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感性 (miki)
2007-02-24 15:43:20
人間って不思議、素晴らしい。
感性と感性が出会う。
国籍なんかこえてしまいますね。

禅の瞑想に心を留められ、
「鎮まった心で今を思う存分味わう」
という境地に達せられたんですね。

モリスさんの深さ、
クリスティーンさんの深さ、
水木様の深さ、

人間の精神のありようは
この病になっても損なわれない。

大切なのは、
この病になるまでの、
この病になってからの、
「生き方」ですよね。

人間いかに生きるか。
大きな「命題」ですね。
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私は私になっていくかな (水木)
2007-02-25 10:24:37
miki様へ

アメリカ人、
オーストラリア人が・・・
禅の気持ちを理解され、
「この病」と向き合う。

そこまでにいたる紆余曲折。

そういう言葉に出会えた・・・という奇跡。
まったくのご縁です。

書くこと、読むこと・・・で、
私は私になっていくいのかな?
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