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京成電鉄 3200形90番代

2007-12-24 22:05:32 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
特急「開運」号用に昭和42年に4両編成2本が登場したものである。
老朽化していた1600形電車(※)を置き換えた。

登場当時、空港特急「スカイライナー」の計画は既に決定しており、
当初より中継ぎ的な存在であった。
機器や車体を3200形8M車をベースとしながらも、側面は片開きドアで
車内は座席指定制を維持するためにセミクロスシートとなっていた。
中間車のうちの1両にはトイレが設置されており、車内サービスの
均等化のため、3150形の特急仕様車4両(3191~94)を2両に分けて組み込んで
走ることが多かった。

昭和49年より、初代「スカイライナー」AE形の営業開始に伴い、
トイレの撤去と車内のロングシート化を実施し、その後は
他の赤電と混じって、主に自社線内の普通列車を中心に使用された。

昭和63年に車体更新改造を実施した。冷房化と車内の改修は同じだが、
機器などでは2本で大きく異なった。

3291~94は主制御装置をVVVF制御に交換し、営業試験車となった。
ヘッドライトが他の更新車と異なり、角形のものを採用した。
また、先頭車については電装を解除し、3200形で唯一の
クハとなった。
なお、ブレーキについてはそのままとされたため、他の形式との
連結も可能であった。

3295~98については他の3200形に準じた改造に留まっている。

原則的に各々が4連のままで使用されたが、時折、急な都合で
6連で使用される事もあった。
どちらも晩期は本線、千葉線、金町線での運行が主体となり、
押上線や都営浅草線には乗り入れていない。

平成16年に3291~94の編成が廃車になった後も、3295~98が、新車に混じって
孤軍奮闘していたが、平成19年1月で引退した。
最後は登場時のオレンジとクリームのツートンカラーにされた。
イベントでは、かつての「開運」号のヘッドマークを付け、
かつての雄姿を再現している。

※京成1600形電車
昭和28年に2連1本が登場した特急用電車である。正面2枚窓のいわゆる
「湘南フェイス」でスマートな車体をしていた。
塗装はマルーンにクリームの帯を配したもので、羽根をあしらった
ヘッドマークを正面に設置していた。

日本の鉄道車両で初めて車内にテレビを設置した(昭和29年から)ほか、
私鉄車両としては初めての回転式簡易リクライニングシートを採用している。
この他、デパート風の扉や壁を利用したショーウィンドウや売店など
所要時間が1時間ほどでありながら、ひじょうに凝った作りの車内と
なっていた。

しかし、見た目に反して車体は半鋼製(内装や床に木を使い、外側などを
鋼鉄製としたもの)で、駆動方式は釣り掛け駆動であった(当時、カルダン駆動は
実用化されたばかりであった)。
昭和33年に中間車を増備して3連になった。
3連1本しかなかったため、検査時はセミクロスシート車であった1500形電車などが
使用された。
老朽化が進んだため、昭和42年に特急運用を離脱した後、
車体を新製して通勤用に転用された。
転用後は片開き3ドアではあるものの、先頭車2両(モハ1601とクハ1602)は
中間車になり、無塗装にブルーの細帯を配したアルミ車体になった。
車番はモハ1601が同1602に、クハ1602が中間車ながらクハ1601(クハは通常、
運転台付モーター無しの車両につけられる記号)に改称した。
中間車のモハ1603号は主要機器を普通鋼鉄製の先頭車の車体に移し、
さらにモーターを外し、クハ1603号に改められた。
しかし、先頭車として使われる機会は少なく、別の電車の中間車に組み込まれて
昭和51年まで使用された。
アルミ車体となったものはクハ1601号が昭和49年に廃車となった後、
モハ1602号は行商専用列車に組み込まれ、昭和56年まで運行された。
最後の1両となったモハ1602号は車体が宗吾工場で物置として利用されており、
現在も残されている。
なお、特急時代の車体は谷津遊園で展示されたが、屋外での展示であり、
傷みが早く、数年で解体された。


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