六甲山系の一つ摩耶山を上る単線2両交送式ケーブルカーで大正14年に摩耶鋼索鉄道が
開業させたものである。
昭和19年に戦時休止を経て昭和30年に六甲摩耶鉄道が運行を再開した。
その後、平成7年に発生した阪神大震災で長期運休の憂き目に会うが、平成12年に
神戸市都市整備公社に譲渡され、翌平成13年に復活している。
車両は昭和30年の復活時に日立製作所で製造されたもので車号は1と2である。
1号は山上駅(→虹の駅)近くにあった忉利天上寺から名前を取った「天上寺号」、
2号は六甲牧場から名前を取った「牧場号」と車体愛称が付けられていた。
正面は2枚窓で緩くカーブした曲線的なスタイルとなっている。
塗装は黄色をベースに1号車が赤帯、2号車が緑帯であった。
この他に貨車が1両ある。
車内は全て麓側に座席を向けて固定した2人掛けのクロスシートである。
ドアは片側3ドア、全て手動の内折り戸である。
窓は正面、側面とも2段窓である。
巻き上げ機は三相交流電動機で出力は135kWとなっている。
ブレーキは巻き上げ機側に設置されているが、車両側にもハンドブレーキが設置され、
緊急時に備えている。
既述の通り、阪神大震災により軌道施設に大きな被害を受けたことから、
長期運休となり、存続が危ぶまれたが、六甲摩耶鉄道が神戸市都市整備公社に経営を
譲渡して平成13年に復活した。
復活時には駅施設と車両のリニューアルが行われた。
車両では塗装の変更と愛称の変更で赤ベースの塗装となった1号が「ゆめあじさい」、
緑ベースの塗装となった2号は「にじあじさい」にそれぞれ改名された。
また、車体中央のドアを埋め込んで2ドアとしている(この部分の窓だけ固定窓)。
平成22年に施設の老朽化と利用客の低迷で累積赤字がたまっており、神戸市都市
整備公社では廃線を検討していたが、存続を願う声が多く、平成23年以降、神戸市への
譲渡を前提に経営再建を目指していくこととなった。
○「ゆめあじさい」麓側正面。
○乗務員席。ケーブルカーの運転席は山上駅の巻き上げ装置にあり、
車両には車掌が添乗して前方監視とドアの開閉、乗客対応を行う。
○2号車「にじあじさい」。
○貨車。検査票が読み取れず、形式等は不明。
開業させたものである。
昭和19年に戦時休止を経て昭和30年に六甲摩耶鉄道が運行を再開した。
その後、平成7年に発生した阪神大震災で長期運休の憂き目に会うが、平成12年に
神戸市都市整備公社に譲渡され、翌平成13年に復活している。
車両は昭和30年の復活時に日立製作所で製造されたもので車号は1と2である。
1号は山上駅(→虹の駅)近くにあった忉利天上寺から名前を取った「天上寺号」、
2号は六甲牧場から名前を取った「牧場号」と車体愛称が付けられていた。
正面は2枚窓で緩くカーブした曲線的なスタイルとなっている。
塗装は黄色をベースに1号車が赤帯、2号車が緑帯であった。
この他に貨車が1両ある。
車内は全て麓側に座席を向けて固定した2人掛けのクロスシートである。
ドアは片側3ドア、全て手動の内折り戸である。
窓は正面、側面とも2段窓である。
巻き上げ機は三相交流電動機で出力は135kWとなっている。
ブレーキは巻き上げ機側に設置されているが、車両側にもハンドブレーキが設置され、
緊急時に備えている。
既述の通り、阪神大震災により軌道施設に大きな被害を受けたことから、
長期運休となり、存続が危ぶまれたが、六甲摩耶鉄道が神戸市都市整備公社に経営を
譲渡して平成13年に復活した。
復活時には駅施設と車両のリニューアルが行われた。
車両では塗装の変更と愛称の変更で赤ベースの塗装となった1号が「ゆめあじさい」、
緑ベースの塗装となった2号は「にじあじさい」にそれぞれ改名された。
また、車体中央のドアを埋め込んで2ドアとしている(この部分の窓だけ固定窓)。
平成22年に施設の老朽化と利用客の低迷で累積赤字がたまっており、神戸市都市
整備公社では廃線を検討していたが、存続を願う声が多く、平成23年以降、神戸市への
譲渡を前提に経営再建を目指していくこととなった。
○「ゆめあじさい」麓側正面。
○乗務員席。ケーブルカーの運転席は山上駅の巻き上げ装置にあり、
車両には車掌が添乗して前方監視とドアの開閉、乗客対応を行う。
○2号車「にじあじさい」。
○貨車。検査票が読み取れず、形式等は不明。