goo blog サービス終了のお知らせ 

水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

江ノ島電鉄 10形電車

2010-06-15 23:22:17 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
江ノ島電鉄開業95周年を記念して登場した車両である。
平成9年に2体連接車1本が東急車輛で製造された。
編成は藤沢側から10形+50形で構成される。

車体は普通鋼鉄製でこれまでの車両よりも幅を広げた裾絞りのあるもので、創業当時の
電車をイメージしたヨーロッパ・レトロ調のデザインとしたものを採用した。
現代の車両である為、当然冷房車であるが、2重屋根風のカバーで冷房装置を隠している。
正面は非貫通で上端が半円形の1枚大型窓と正面下部の明治期の路面電車でよく見られた
救助網を模したスカートが特徴となっている。
ヘッドライトは窓下に円形のものを一つとした、いわゆる「ヘソライト」である。
行き先表示は正面上部屋根上と側面に設置され、いずれも字幕式である。
なお、本形式の字幕は独自の書体のものを採用している。
塗装は窓周りがクリーム、上下がオリエントブルーで窓下に黄色い帯が入るほか、
各所にクリーム色の飾り帯が入る。

車内は2000形のものを基本としており、連接部と運転席背後が固定クロスシート、
他がロングシートとなっている。
50形運転席後部には車椅子スペースを兼ねた折畳みシートが設置された。
ドアは片側2箇所で旧500形502+552編成以来久々の両引き戸を混雑緩和のため採用した。
ドア上にはイラスト入りのマップ式の旅客案内装置を設置している。
これら近代的な設備を有するが化粧板などに木目調のものを多用し、ステンレス製の
握り棒も真鍮風に塗装する、座席もグリーン系のモケットとするなどレトロを
演出するものになっている。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは発電ブレーキ付き電気指令ブレーキを採用している。
台車はインダイレクトマウント式のコイルバネ台車で
駆動装置は中空軸平行カルダン方式である。
運転台は1000形以来の片手操作式ワンハンドルマスコンを採用した。
これらの機器は1500形や2000形と共通のものである。
集電装置はシングルアーム式のパンタグラフで江ノ電では初採用であった。
なお、本形式より後に登場した20形、新500形は、廃車になった電車の台車や機器を
流用しており、江ノ電における完全な新車は平成21年現在、本形式が最後となっている。

登場以来、他の車両と共通で運用に入っている。
1編成1本ながら、その外観から、その存在感は、かなり強い。
本形式の導入と共に冷房無し・吊り掛け駆動の本当の意味で「レトロ」な
300形302編成(302+352)が廃車となった。
ただし、非冷房車は旧500形が平成15年引退するまで残っていたほか、
吊り掛け駆動は1000形、1100形、1200形で採用されており、今も現役である。

近江鉄道 モハ220形電車

2010-06-12 23:43:11 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
近江鉄道本線貴生川~八日市間、多賀線などの閑散区間で電力消費を抑え、
ワンマン化による合理化のために導入したLE-10形気動車であったが、
混雑時の輸送力不足、踏切が正常に作動しないなどの小型・軽量ゆえの不具合で
単行ワンマンよりも2連・ツーマン運転が常態化し、合理化とは凡そほど遠い状況に
陥ってしまった。
また、単行型の電車を所有してはいたが非冷房で老朽化が進んでいたこと、
運転免許の関係で電車に統一したほうがより効率的ということで
これらを単行ワンマン運転が可能な冷房付きの電車に置き換えるために登場した。
平成3年~平成8年の間にモハ221~モハ226の6両が旧型車両の改造名義で
自社の彦根工場にて製作された。

車体は普通鋼鉄製であるが、本形式では様々な車両のものを継ぎ合わせている。
車体の基礎となる台枠は廃車となった旧型電車のもので、その車体を取っ払い、
車体側面から天井にかけては譲り受けた西武鉄道701系電車のものを継ぎ合わせている。
実質的に新造されたのは正面周りだけである。
かつてのローカル私鉄ではよく見られたものだが、平成に入ってから、
ここまで手の入った「作例」はかなり珍しい部類に入る。
行き先表示は正面のみで字幕式である。
塗装はホワイトに赤、緑、青の細帯が入るライオンズカラーを採用している。

車内はロングシートで肘掛や網棚、冷房の吹き出し口、運転室との仕切りなど
細かいところで流用品が目立つ。
ドアは片側3ドアで全て両引き戸である。
側面窓は221号車が登場時に2段窓だった以外、固定式1枚窓(一部一段下降)である。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは電気指令式空気ブレーキである。
制御装置には手持ちのCS-5型という国鉄が72系までのいわゆる旧型国電が
使用していたもので、ブレーキなどに圧縮空気を送るエアコンプレッサーには
同じくAK-3型などの流用品を採用している。
台車は西武鉄道から放出されたFS-40型(西武鉄道が吊り掛け駆動車の乗り心地向上のために
開発した台車)というペデスタル軸箱支持方式のダイレクトマウント式空気バネ台車で
駆動方式は吊り掛け駆動である。
モーターもMT-15型という、これも旧型国電のものを搭載している。
これら旧式の機器を使っているが、近江鉄道では長年使い慣れており、実用性能についても
問題なく、当時在籍中の電車も同じ機器を使っていたため、このような組み合わせに
なっている。

運転台はツーハンドルでブレーキを電気指令式としたため、かなり独特のスタイルと
なっている。
冷房装置は近江鉄道の電車で初めて搭載され、集中式のものを屋根上に1台
設置しているが、車体の長さが17mと短く、床下に余裕がないため、
パンタグラフでとった直流1500Vで直接駆動し、車内電源もそこから供給するという
方式を採用した。
架線電源式の冷房装置は直流600V電源の路面電車などでは見られるが、直流1500Vの
高圧電流では、かなり珍しい。
ちなみに冷房装置の起動スイッチは貴生川側運転室にある。

これら旧型機器の組み合わせや現場の工夫が凝縮したものが本形式といえる。

運用は多賀線や近江鉄道本線八日市~貴生川間などの閑散区間のほか、閑散時間帯の
単行運用、区間列車などで活躍している。
登場後、しばらくはLE-10形と連結しての運転も見られた。
221号車は保有している電気機関車の老朽化(80年クラスが当たり前にいる)に伴い、
平成10年頃から抵抗器の改造を行い、牽引車扱いされている。
また、本形式の牽引車化にともない、保線貨車のブレーキも電気指令化されている。
昨今の特徴的な運用としては平日に1日1本片道のみの貴生川11時25分発の快速米原行きで
吊り掛け駆動の唸りを響かせて近江鉄道本線を駆け抜けている。


○モハ221号。管理人が訪問した時は彦根車庫で2年前に譲り受けて
 手付かずの西武新101系と連結した状態で留置されていた。
 抵抗器が他の車両よりも大きいものに交換されている。
 このため性能が変わってしまっており、旅客営業に出られない。


○モハ222号。モハ223号はタイトル写真参照。


○モハ224号。びわこ銀行の広告塗装車。


○モハ225号。伊藤園の広告塗装。


○モハ226号。廃車になったLE-10形のものといわれている
 スノープロウを装備しているのが特徴。


○運転台。右の箱に棒状のハンドルが生えているのが電気指令ブレーキ。
 最新技術と古の技術が組み合わさって出来たことを象徴する部分といえる。


○車内。よくここまで作りこんだなぁといのが筆者の感想。
 肘掛や網棚、天井や戸袋窓に種車の面影が見え隠れしている。


江ノ島電鉄 2000系電車

2010-04-21 17:46:14 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
所有事業者:江ノ島電鉄

製造年:平成2年~平成4年

製造メーカー:東急車輛

製造総数:2体連接×3編成=6両

構成形式:2000形-2050形(→鎌倉)

集電方式及び電圧:直流600V(架空線集電方式)

主制御装置:抵抗制御

ブレーキ方式:発電制動併用電気指令式空気ブレーキ

駆動方式:中空軸平行カルダン駆動方式

台車:金属バネ台車

車内:セミクロスシート

概要:
老朽化の進んだ300形電車や4両編成で運行できない「連結車」の600形電車を
置き換えるため、登場した車両である。
平成2年~4年にかけて2体連接車3本=6両が製造された。

車体は普通鋼鉄製で正面部分は窓を大きくとっているのが特徴となっている。
側面の窓も従来のものよりかなり大型化されている。
なお、海沿いを走る走行条件のため、窓周りなどにステンレス鋼が採用しているが、
これは内側だけで、外側は耐候性鋼板で覆われている。
塗装は淡いグリーンに抹茶色に近いグリーンの帯が入り、窓周りをブラック処理と
している。
行き先表示は正面と側面にあり、双方とも字幕式である。
正面の字幕は季節ごとにイラストを変えることが出来る本形式特有のもので、
外観上のアクセントとなっている。
そのスタイリッシュな外観が評価され、平成2年に通産省グッドデザイン賞を
受賞している。

車内は通勤輸送と観光輸送の双方に対応するため、セミクロスシートで、
ドア間がロングシート、車端部と運転席のすぐ後の座席はクロスシートとなっている。
クロスシートの配置は1:2配置で運転席後方のものは運転席の方向を向いて固定され、
運転席越しの展望を楽しめる。
車端部のクロスシートは2001・2002編成は2人向き合いと4人向き合いのボックスシート、
2003編成では連接部の通路幅確保のため、2人向き合いと3人向き合いになっている。
ドア上には沿線案内の入ったマップ式の旅客案内装置が左右相互で設置されている。
ドアは片側2箇所で全て片引き戸となっている。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキである。
パンタグラフは当初、シングルアーム式の搭載を検討したが、他社での採用例がないため、
下枠交差形のパンタグラフを搭載した。
台車は1500形と同じものでインダイレクトマウント方式の金属バネ台車である。
モーターは編成両端の台車に搭載され、連接部分の台車にはモーターが搭載されていない。
連結器には当初、電気連結器付密着自動連結器を装備していたが、登場後間もない
平成4年から連結器を電気連結器付密着連結器に交換している。
この際、2001・2002編成の正面下部に装備されていたスカートが工事に支障するため、
撤去されたが、平成18年までに再度取り付けている。
2003編成は既に連結器の交換が計画されている中で増備されたため、当初よりスカートを
装備していない。
運転台は右手操作式のワンハンドルマスコンで正面中央部分に設置されているのが
特徴となっている。
車内放送にはテープ式の自動放送装置が採用されたが、平成14年に20形電車が登場した際、
自動放送装置を同形式が採用したICレコーダーに交換している。
この他、平成18年ごろに2001号車と2002号車の冷房装置と電源機器の更新を
実施した。

運用は特に固定されておらず、他の車両とも性能面の差もないので終日どこかしらで
使用されている。
なお、2001編成は明治チョコレートの2003編成は明治製菓の広告塗装になっており、
前者がブラウン、後者が水色ベースの塗装に塗り替えられている。
2002号車もコカコーラの広告車だが、側面の一部のみで塗装そのものに
変更はない(平成22年1月現在)。


○スカートのない2003編成。明治製菓の広告電車となっている。

高松琴平電鉄 1080形電車

2010-03-07 21:44:12 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
車両冷房化促進のため、京浜急行電鉄より1000形電車を譲り受けたものである。
昭和63年~平成3年までに2両編成×6本=12両が入線した。
編成は琴電琴平側から1080(奇数車)+1080(偶数車)でユニット構造を持った全車
電動車で構成される。

これらは京急1000形のうち昭和34年~35年にかけて製造されたBグループに
属するものである。
このグループは1000形最初の4両固定編成で製造されたグループで中間車に制御装置、
先頭車に補助機器を積んだ2両ユニットを背中合わせに連結する構造であった。
正面は当初、湘南フェイスと呼ばれる非貫通2枚窓の半流線型だったが、
昭和45年より貫通化改造を実施して、現在の構造になった。
昭和54年~58年までに冷房化を実施したが、平成3年までに全車廃車となった。

車体は普通鋼鉄製で京急時代と基本的な外観に差異は無いが、上記の通り、
搭載機器の関係で先頭車だけの2両編成が組めず、1080奇数番号車は中間車に
同じ編成の浦賀側の先頭車の運転台部分を接合している。
1080偶数号車は元々の品川側の先頭車両である。
塗装は上半分が白、下半分がピンクのツートンカラーであったが、
平成14年以降、ラインカラーの導入により、上半分が白、下半分がイエローに
変更されている。
行き先表示は正面、側面とも字幕式で琴電で初めての字幕付きの電車となった。

車内はオールロングシートでモケットの色は原型のブルー(優先座席はシルバー)のままと
なっている。
ちなみに琴電では伝統的にグリーン系のモケット(優先座席はレッド)を採用している。
ドアは片側3ドア、全て片引き戸である。
本形式以前に導入された18m級の電車で3ドアだった車両は、瓦町駅の琴平線高松築港方面の
ホームが急カーブ上にあり、車両とホームの隙間が広くなり危険なため、中ドアの撤去を
実施していたが、本形式は台車のセンターピンの間隔が短く、ホームとの隙間が
比較的小さかったため、撤去は行われなかった。

主制御装置は抵抗制御で変更は無いが、HL(手動加速)制御車と連結できるよう、
加速シークエンスを合わせるため、マスコンを交換している。
また、そのままの性能では琴電では過剰である為、高速運転に必要な弱め界磁のカット、
モーターや制御器の配線を調整して加速・減速性能の変更を行っている。
ブレーキも在来車に合わせて発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキから、発電ブレーキ併用
非セルラップ電磁弁付き空気自動ブレーキに変更されている。
台車は金属バネ台車で京急時代のものをそのまま使用している。

登場以来、琴平線の主力車両として終日運用に就いている。
長尾線の車両規格の大型化完成後は花火大会のときに臨時列車として応援に
入ることがある。
なお、長尾線には同じ京急1000形から改造された1300形電車が存在するが、
グループが異なる上、制御装置、ブレーキなどが異なるため、併結運転されることはない。

塗装などは変更されているものの下段のアンチクライマーが短い、連結面が丸みを
帯びているなど、京急1000形初期車の特徴をよく残しており、本家の京急で引退の日が
近づく中、貴重な存在となりつつある。
1081+1082の編成は昨年(平成21年)、他の編成は今年(平成22年)に登場50周年を迎えた。


○車内。写真の編成では優先席のモケットの色を赤色に変更している。


○運転台。マスコンやブレーキ、計器類がオリジナルと大きく異なる。

富山地方鉄道 14720形電車

2009-12-27 14:39:38 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
富山地方鉄道オリジナルの車両で輸送力増強と車両の体質改善のために
登場したものである。
昭和37年に3両編成1本が製造され、後述の改造で2連2本になった。

車体は普通鋼鉄製で当時、日本車輌が地方私鉄向けに開発した
日車標準車体(長野電鉄2000系や母体となった名鉄5000系に準じた設計)を
採用している。
正面は2枚窓でいわゆる湘南フェイスだが折り目の無いものとなっている。
塗装は立山と雷鳥をイメージした白に窓周りをグレー、窓下に臙脂色の細帯を
入れたものとなった。
この塗装は後に地鉄の高性能車両の標準塗装とされ、14750系まで
採用されている。

車内は扉と扉の間が転換クロスシートで車端部とドア付近はロングシートである。
当初、冷房は取り付けていなかったが、昭和61年~62年にかけて
冷房化されている。
また、平成9年よりワンマン化を実施し、料金表と運賃箱、整理券発券機などを
運転席後部仕切り戸の部分に設置した。
また、後方監視がしやすいように運転室から扉までの間の座席を撤去している。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは抑速・耐雪ブレーキ機能付き発電ブレーキ併用
電磁直通ブレーキである。
台車は空気バネ台車である。
形態的に10020形に近いが、搭載されているモーターの出力を向上させたため、
2両ユニット式から単独方式に代わり、編成がある程度自由に組める。

登場時の編成は富山側からモハ14721+サハ222+モハ14722で3両編成であった。
この3両編成時代の末期には富山県で行われた全国植樹祭で、当時最新の
電車である本形式がお召し列車に抜擢され、サハ222号に天皇・皇后両陛下が
ご乗車になった。
その際、車内の座席が撤去され、ソファとテーブルが置かれ、編成前後には
菊の紋と日章旗が掲げられた。

昭和44年に輸送力見直しで2両編成になることになり、10020形第1編成に
連結されていたサハ220形221号と、本形式の中間車であるサハ222号に運転台を
取り付けてクハ170形171号、172号としてそれぞれモハ14721号とモハ14722号に
連結した。
当初は、編成の向きが逆であったが、後に14722+172を方向転換して向きを
揃えている。
その他、14721+171の編成は塗装を上半分オレンジ、下半分グリーンの新塗装に、
14722+172の編成は車体下部の曲面部分を直線化している。

現在、通常の営業に就く車両の中では最古参となったが、路線や運用の区別無く、
富山地方鉄道鉄道線全線で運行されている。


旧塗装で残る第2編成。雪が残る岩峅寺駅にて。

上田電鉄 1000系電車

2009-12-20 17:32:26 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
登場後40年を経過し、走行機器や車内の陳腐化が進んだ7200系電車
置き換えのため、東京急行電鉄より1000系電車を譲り受けたものである。
平成20年~21年にかけて2両編成×4本=8両が導入された。
編成は上田側からモハ1000形+クハ1100形で組む。
東急1000系のうち、これらは全て池上線で運行されていた車両である。

車体はオールステンレスで基本的に手は加えられていない。
帯色も東急時代の赤帯のままで特徴である方向幕周りの塗りつぶしも
そのままである。
行き先表示は字幕のままでローマ字併記の上田電鉄使用のものに変更された。

車内はロングシートで、ワンマン運転対応のため、運転席と客室の仕切り戸の
窓ガラス除去とカーテン設置、運賃箱設置、液晶ディスプレイ式の旅客案内装置
兼用の運賃票設置、整理券発券機取り付け、ドア回路の変更とドアチャイム設置、
優先席付近の黄色吊革の廃止(普通の吊革と交換)、クハ1100形への車椅子スペース
設置などの改造が行われている。

主制御装置はVVVFインバータ制御で回生ブレーキの使用が可能であるが、
上田電鉄では回生ブレーキが有効に使えないため、機能をオミットし、
電気指令式空気ブレーキのみを使用している。
台車はボルスタレス台車である。
集電装置はモハ1000形に装備され、通常型のパンタグラフから
シングルアーム式になり、連結側のほかに運転台側にも増設している。
東急時代は電動車2両:制御車1両の3両編成(デハ1300+デハ1200+クハ1000)で
あったが、こちらでは電動車+制御車1両ずつになったため、起動加速度が
3.5km/h/sから2.6km/h/sに低下している。

運転台はワンハンドルマスコンでワンマン運転に対応するため、ドアスイッチや
インターホンマイク、車内監視用のミラーが設置されている。

新製後、20年未満(全車が平成3年製でこの記事を書いているのは平成21年)で、
長野県を走る私鉄の車両としてはかなり新しい電車でVVVF車となれば
長野の私鉄で唯一の存在である(JRは北陸新幹線「あさま」E2系のほか
特急「しなの」383系、特急「あずさ」E257系、「スーパーあずさ」E351系、
大糸線E127系100番台、中央西線・飯田線313系などがある)。
平成21年初頭までに7200系2両編成×6本のうち「まるまドリーム」号2本を除く
4本を置き換えた。
1002編成と1003編成は「自然と友だち号」のラッピングを施し、1002編成が
白を基調とした1号、1003編成が黒を基調とした2号となっている。
東急時代との番号比較は以下の通り。

1001編成:モハ1001+クハ1101/東急デハ1315&クハ1015
1002編成「自然と友だち1号」:モハ1002+クハ1102/東急デハ1318&クハ1018
1003編成「自然と友だち2号」:モハ1003+クハ1103/東急デハ1314&クハ1014
1004編成:モハ1004+クハ1104/東急デハ1016&クハ1016

なお東急時代、各編成に組み込まれていた中間車のデハ1200形(1215、1218、
1214、1216)は全車廃車され、解体処分されている。


車内。3人分ずつに仕切りのあるオレンジとブラウンのロングシートも
変わらない。ちなみに上田電鉄では下之郷と別所温泉での長時間停車時に
ドア回路を切って手動で開け閉めできるようにしている。

運転室後方の仕切り部分。運賃箱と液晶ディスプレイが設置された。
扉部分には窓が無く機器保護のため乗務員不在時は白い板で塞がれる。
上田電鉄ではワンマン運転を実施しており、有人駅以外では最前部のドアからのみ
乗降できる。

「自然と友だち」号。こちらは白基調の1号。

下之郷車庫で休む「自然と友だち」2号。

智頭急行 HOT3500形気動車

2009-10-09 20:33:06 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
智頭急行が自社線の普通列車用に導入した気動車である。
平成6年の開業に備え、一般用9両(3501~3509)、貸切用1両(3521)の
10両が製造された。
形式の「HOT」は沿線の県名からで、「H」=「兵庫県」、「O」=「岡山県」、
「T」が「鳥取県」である。

車体は富士重工が地方ローカル線向けに製造していたLE-DCシリーズに準じた
鋼鉄製で前後に運転室のある両運転台構造として1両で走ることが
可能である。
正面は貫通構造で連結時は運転室を閉鎖して通路を形成することが出来る。
また、正面窓をパノラミックウィンドウとして左右の視界を確保している。
なお、運転室は半室構造で進行方向右半分は客室として開放されている。

塗装は一般用が上半分がブルー下半分がホワイトでドアの戸袋部分がレッドで
窓周りはブラックである。貸切用の3521号は正面から側面ドア付近までが
レッド、窓周りはブルーとなっている。
ドアは車体前後に配置され、片引き戸でありボタン操作による開閉が可能である。

車内は一般用がドア付近をロングシート、それ以外を4人向き合わせの固定クロス
シートのセミクロスシート、貸切用がオール転換クロスシートである。
貸切用にはカラオケ設備も設置されている。
単行ワンマン運転にも対応しており、運転席後に運賃箱、ドア付近に
整理券発券機を設置している。トイレは和式のものが設置されている。
行き先表示は字幕式である。

台車は空気バネ台車で機関は特急「スーパーはくと」用のHOT7000系と同じものを
1基搭載し、普通列車用ながら最高速度110km/hまで出せる高速性能を有している。

登場以来、1両ないし2両で智頭急行線の普通列車で運用されているほか、
JR西日本因美線にも乗り入れて鳥取まで顔を出している。
なお、貸切用の3521号車も予約がない限りは普通列車と共通で
運行されており、運がよければ乗車することが可能である。

伊予鉄道 300系電車

2009-10-06 22:53:04 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
郡中線(松山市~郡中港間)の電化に伴い登場した車両である。
昭和25年にモハ301~304の4両が製造された。本形式は昭和46年に導入された
中間車のサハ500形と組んで使用されたが、両者は成り立ちが大きく異なる。
また、本項においてサハ500形についても紹介する。

◇モハ300形◇
車体は車内が木製でフレームや外板が鋼鉄製の半鋼製である。
登場時は車体の長さが14mでドアの数も2箇所片開きであった。
昭和36年に自社の古町工場で車体の延長改造を行い、19m3ドアになった。
正面部分は縦方向に緩やかに曲線を描いたもので非貫通3枚窓である。
塗装は初期が単色であったが、後にクリーム色に窓周りとドアより下の
裾の部分をオレンジとしたものに変更している。
車内は登場時よりロングシートで木製ニス塗りであった。
主制御装置は抵抗制御でブレーキは空気自動ブレーキ、駆動方法は吊り掛け駆動で
あった。
昭和47年にモハ303とモハ304はブレーキの電気指令化、台車の空気バネ化、
駆動装置のカルダン駆動化、窓のアルミサッシ化、運転台のデスクタイプ化
などの大掛かりな更新改造を受けている。
しかし、車内は木製ニス塗りのままで残され、かなりアンバランスな形態と
なっていた。
モハ301とモハ302についてはそのまま使用されたが昭和60年に小田急電鉄より
譲り受けた機器と台車を流用してカルダン駆動化されている。
平成元年にモハ301・302が廃車になった後、モハ303・304は平成7年まで定期列車で
運行された。
同年冬より、新車の610形電車が入ったため、定期運用を失い、専ら朝ラッシュ列車に
使われていたが、これも平成12年以降は無くなった。

◇サハ500形◇
昭和46年に西武所沢工場より新車扱いで導入された無動力の中間車である。
書類上は新車であるが、実際は大正3年製造に鉄道院(鉄道省、国鉄を経て現JR)が
東京駅開業に伴う京浜線(今の京浜東北線の東京駅から南側の区間)電化の頃に
導入した木造電車である。
大正15年まで鉄道省で使用された後、東急の全身である東横電鉄が払い下げ、
モハ30形としてそのまま使用した。
昭和11年に車体の鋼体化とモーターや運転台の撤去を実施し、東急の車両史上
初めての中間付随車東横電鉄サハ1形を経て東急サハ3350形になっている。
車体の長さが短く幅も狭いため、昭和40年に全車が廃車となり、
上田丸子電鉄(上田交通を経て上田電鉄)に譲渡された。
このうちの2両は上田では僅か2年で廃車となりスクラップ扱いで西武建設が
購入して西武所沢工場で窓枠のアルミサッシ化や外板の交換などの車体更新を
実施の上で「新車」として伊予鉄道に入線した。
入線後は上記の通り、モハ300形と組んで使用された。
サハ502は編成を組んでいたモハ303・304と共に機器の更新を受け、台車の
空気バネ台車化、ブレーキの電気指令化などを実施している。
サハ501はそのまま使用され、モハ301・302と共に平成元年に廃車になっている。
以降はモハ303・304と同じである。なお、これら大掛かりな更新や改修を
繰り返してはいるが、車体の大元となる台枠は大正3年当時のものを
使い続けていた。

最後まで残ったのはモハ303+サハ502+モハ304の編成であるが、前述のとおり、
平成12年以降は運用を失い、古町工場に留置されたままとなった。
郊外電車の他系列の塗装変更が行われる中、最後まで旧塗装を維持した。
また、伊予鉄初期の電車のスタイルを残していたが、平成20年末に新車の
導入準備のため廃車解体になった。

高松琴平電気鉄道 1070形電車

2009-09-17 21:00:00 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
京浜急行電鉄の600形電車(先代)を改造の上で譲り受けた車両である。
琴電で初めての冷房車で昭和59年~昭和62年までに2両編成×3本=6両が入線した。

○京急時代
京急では昭和31年~33年にかけて2両編成×20本=40両を製造した車両で
当初は700形を名乗っていた。
車体は鋼鉄製で正面2枚窓の湘南フェイスであった。ドアは片引き戸が片側2箇所で
車内はドア周りをロングシート、それ以外をボックスシートとしたセミクロス
シートであった。
性能面では京急で初めてのカルダン駆動を採用した。しかし、試験的な要素も
若干含んでいたこともあり、機器を製造したメーカーによって互換性が無く、
駆動装置も中空軸平行カルダンとWN駆動の2種類ある。
主制御装置は抵抗制御で多段式電動カム式自動加速制御器を採用し、こちらは
メーカーのわけ隔てなく使えるように加速シークエンスを揃えている。
ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキを採用した。
昭和41年に形式を600形にして、製造メーカーと向きによって分けられた形式を
統一したほか、昭和43年にかけて約半数の車両の運転台を撤去、中間車化して
4両編成に組み替えた。冷房は昭和46年~47年にかけて搭載している。
主に品川~三崎口間の快特を中心に使用されたが、老朽化が進んだため
2000形と置き換えられて昭和59年~61年にかけて引退した。

○琴電への譲渡とその後
琴電への譲渡にあたり、多くの面で改造が行われた。
車体では正面の貫通化、ヘッドライトの移設とアンチクライマー撤去、
車内のクロスシートの撤去とオールロングシート化である。

機器類については在来車との混用を可能にするため、
マスコンを9段式(直列5段・並列4段)手動加速式マスコンに交換、ブレーキの
発電ブレーキ併用空気直通ブレーキ化、主制御装置の回路を変更し、
加速性能の変更と85km/hリミッター取り付けなどが行われた。
この改造は琴電に入る全ての自動加速制御装置車に行われていたが、長尾線に
導入された新鋭の1300形(元京急1000形)では行われていない。

塗装は上半分がクリーム、下半分がピンクのツートンになった。
また、行き先表示は正面貫通扉に設けられた札差に行き先札を差す方式になった。

琴電への入線時は唯一の冷房車ということもあり、最大限に活用された。
しかし、車齢が若く扉の多い車両が増えたことによって、昨今ではラッシュ時での
運用がメインとなっている。


仏生山駅裏の駐輪場から撮ったサイドビュー。

関東鉄道 キハ2100形気動車

2009-08-26 20:46:15 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
常総線に残っていた旧型車の置き換えを進めるため、導入した車両である。
平成5年~8年にかけて2両編成×6本=12両が製造された。
機器類まで完全に新造した車両としては、関東鉄道の前身である
常総筑波鉄道が昭和38年に導入したキハ900形気動車(※)以来、
30年ぶりの新車で初めての新製冷房車となった。

車体は鋼鉄製で塗装はホワイトにブルーとレッドの帯を入れ、窓周りを
グレーとした親会社の京成グループの観光バスに合わせたものとなっている。
正面は分割・併合に対応するため、貫通型で水海道側に幌を装着しており、
連結時は通行が可能である。
なお、基本的なデザインはメーカーの新潟鉄工所(→新潟トランシス)が製造している
地方ローカル線向け気動車のものに準じる。
行き先表示は正面と側面にあり、最初の2本(2101+2102、2103+2104)が字幕式、
それ以降(2105+2106以降)はLED式である。

車内はロングシートでドアは片側3箇所で全て両引き戸である。
床を出来る限り低くしているため、ドア部分にステップはない。
2105+2106の編成以降は車椅子スペースを設けた。
また、導入時は旅客案内装置の類は設置していなかったが、
平成16年に常総線の複線区間である取手~水海道間のワンマン運転開始に伴い、
ドアチャイムとLEDスクロール式の旅客案内装置を取り付けた。

エンジンはターボチャージャー付き直噴式ディーゼルエンジンのDMF-13HZで
変速機は直結2段液体変速式である。
このエンジンはキハ300・350系(JRからキハ30系を譲り受けたもの)の更新の
際にも使用されているが、それらは変速機の都合で出力を抑えているのに対し、
本形式は本来の出力を出せるようになっているため、走行性能は大幅に
向上している。
ブレーキは在来車との混用を考慮して空気自動ブレーキとなっている。
ただし、実際に営業運転で混用されたことはない。
運転台はツーハンドルで当初、変速段から直結段への切り換えを変直ハンドルで
行っていたが、機器の更新でそれらが自動化されたため、撤去された。
台車はボルスタレス台車で関東鉄道では初めての採用となる。

登場時から平成9年までは常総線全線(取手~下館間)で幅広く使用されたが、
同年水海道~下館間のワンマン化に伴い、原則的に取手~水海道間用になった。
また、ラッシュ時には2本を繋いだ4両で運用されることもあったが、
平成17年のダイヤ改正より、ラッシュ時も原則2両で運行されることになった。
以降は2両編成単独で取手~水海道間の運用に就いている。

行き先表示が字幕式の初期車。これは行き先を変えている途中の状態。

※常総筑波鉄道キハ900形気動車
昭和38年に2両が製造された車両で常総筑波鉄道最後の新車である。
正面デザインは国鉄キハ30系と同じで、側面はバス窓に片引き戸という
スタイルとなっている。車内はロングシート。
塗装は登場時がクリームと朱色のツートン、晩期がクリームにオレンジと
ブラックの帯というものであった。
機関は当時の標準であるDMH-17H形ディーゼルエンジンで変速機は液体変速式であった。
ブレーキは空気自動ブレーキである。台車は空気バネ台車を使用していた。
登場以来、常総線で運用されたが、キハ2100形の増備に伴い、
平成7年に廃車となった。