これは「終戦の日」の朝刊。
かと思っていたら、真新しい刷りたての紙面。
8月15日付けの特集記事でした。
「私たちの平和論」として戦後80年を考えるものは、暫くシリーズで掲載されていたものですがね。
現代の視点で紙面化したと注意書きが添えられた1面。
満州事変から15年。
「日本敗戦 無条件降伏」の大きな見出し。
日本人の犠牲310万人、アジア諸地域では2千万人。
そして広島、長崎に落とされた原爆に3発目があったことも…。
そりゃ本当かい…、もう前期高齢者なのに。
自分はどこまで知っているんだろう。
「堪え難きを堪え…。」
昭和天皇の肉声は、正午のラジオ放送の4分30秒。
終戦を告げる玉音放送でよく使われていた声のところは「時世の移り変わりはやむを得ないところで、耐えがたいことを耐えて、忍び難いことも忍んで、未来の平和を実現するために道を拓いていきたい。」と言った意味合いを表現したものとか。
原文のままだと難しいので、現代語訳のものを何度が読み込んでみました。
後半には「全国民が家族のように仲良く分かち合い、長く子孫に受け継ぎ、わが国が不滅であることを固く信じ、国の再建と繁栄への任務は重く、その道のりは遠いことを心に刻み、持てる力の全てを未来の建設のために注ごう。」と。
そして「道義心を大切にし、志を強固にして、わが国の美点を発揮して、世界の進歩に遅れないよう努力しなければならない。わが国民よ、私の意のあるところを十分汲み取って身につけてほしい。」
なるほど、国の繁栄には全国民が家族のように仲良くする必要があるのですか。
自ら分裂を促すようなことをしてはいかんのです。
多少の荒れつきがあったとしても、最後まで話し合って…。
どんな時もそんな世の中でありますように。
紙面は複数ページに渡って様々な記事が掲載されています。
戦争は終わったハズなのに、攻撃され続けるとは…。
しかも日本に戻ろうとするだけの戦う意思の無い人たち。
そう書いてはみたものの、当時その日付だと樺太からの北海道上陸を阻止するため南樺太での戦闘が継続中…。
そのためなのか、樺太からの疎開船のうち最初に出航した宗谷丸を除き、小笠原丸と第二号新興丸、泰東丸の3船が潜水艦攻撃を受けてしまいます。
第二号新興丸は大破し、小笠原丸と泰東丸は沈没。
1700名以上が犠牲となった事件。
当時の人たちには、どれほどの情報が渡っていたのでしょう。
そして、北方四島はソ連に占領されてしまいます。
終戦の日付の記事が、どこまでその日のことなのかもわかりませんけど。
天皇の玉音放送があったとしても、戦いは終わらなかったってことがわかりました。
そりゃスポーツゲームとは違いますから。
ピーッと笛が鳴ったらノーサイドってことも無いのでしょう。
フェアなんて誰も判定出来ないし、誰もが命がけで逃げるだけのこと。
これは何ページ目だったのでしょう。
当時の紙面そのものが掲載されていました。
それを読まずに済んだんだから。
いい時代に生まれました。
ありがとうございます。