曇りから晴れへ。14-8℃
午後からは、時折、家が揺れる程の突風が吹く。庭のフェイジョアの枝も折れる。
猫が騒いでも起きれなかった、全くという程、身体が動かなかった、しかし、寝坊しながらも一日は始まる。
昨夜。
昨夜から今日にかけて、音楽教室の先生のメールが入る。発表会の件だ、どちらにせよコロナ騒ぎで、これから先、どうなるのかわからない。今夏は出ない、秋は迷う。
今日。
家事をし、楽器を練習し、某宿題の復習をし、提出しに出かける。家が揺れる程の突風の中、向かい風に負けないように歩く。
いつの間にか、向かい風を相手に「もっと、もっと強く、」と歌っている。うん?DIY中にかけていた、小田さんの『真夏の恋』の一部だった。
もっと もっと 強く 迷いも不安もため息も
何もふたりをもう離せないように
君を連れて行く 君を抱きしめる
塾は学校と同じく休みなのだが、やった宿題を提出し、次の宿題を持ち換える。試しに見せてもらう数学の高1あたりは既に忘れている! 講師の先生とお話しし、大学教材迄ある事を知り、「一生やります!」と帰宅する。
何時もの散歩コースを辿る。
金魚草や、盛りを過ぎた菜の花や、
空の月と一緒に歩いた…。
私は、人生が美しいと感じた。取り戻せなくてもだ。
今見ているもの 感じていること なにからなにまで伝えて
見上げる空も 通り過ぎる風も すべて君が染めていく
やがて訪れる秋も 終わる夏のたそがれも
雨の夜も 夢の中も どこにいる時もふたり
猫が待っている、帰ろう。
その後、小田さんのCDと共に、大工仕事開始!
巾木を切り出したり、ここでデジカメの電池切れ、
あちこちパネルを継ぎ足したり…。
9時までして、今これを書いている。
※これが『真夏の恋のサビ』部分だ、イェーイ!
小田和正の真夏の恋のギターソロ弾きました。
ええ、この曲、このドラマのエンディングの曲だったのかぁああ。
遠山金志朗 美容室 エンディング
コメントでは初めましてですね、
こちらも、そちらに、大きくいいね
ではまた
Of splendour in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind;
ご存知WordsworthのSplendor in the grassの一節です。
みゃー大工様の「私は、人生が美しいと感じた。取り戻せなくてもだ」に、この詩の一節を思い出しました。それにしてもなんときれいな心の休まるお散歩コースでしょうか。
決して元気エネルギ一杯とは言えないお身体なのに、手がかかる状態の猫ちゃんたちのお世話し、大工さんまがいの大仕事をなさる・・・。
更に、バイオリンを習い続け発表会にも参加されておられ、さらに宿題までもとは。驚きです。尊敬です。頑張ってください。
ここは、この前、認定された『チバニアン』同様、
ある遺跡で、世界には、この形と大きさはたった一つしか類を見ないもので、
それを保存している場所で、詳しく書くと、身バレをするので書けませんが、、、
地元民ですら興味が無い模様です、
私は会員になりましたが、幽霊部員ですしwww
ワーズワースの湖水地方の「鳩の家」は子供部屋の防寒の壁に新聞紙が貼ってある事に、数日前に触れたばかりでした。
「水仙」が有名ですが、
ままちゃん様の詩は映画にも使われた詩ですね。
私は観ていないのですが、あらすじだけでも切ないですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E5%8E%9F%E3%81%AE%E8%BC%9D%E3%81%8D_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
この映画のあらすじ、青春時代の恋愛模様を読むと、何て、切ないのだろうと思いますし、
現実的に、仮に、初恋の人とか、
思った人と結ばれたとしても、最後まで愛情が消えないという事はない、愛情は変化する、そこで終わりというわけではない
ゆえに、
良い思考に変わる、悪い方に転ばない努力は、相手に愛想つかされない為にも必要か?
愛が当たり前になり、新鮮でなくなり、やがて所帯じみ、容姿は衰えるのですからw
あの時、こうしていれば、、、そう思いますが、
失敗だったような人生でも、身近に美は溢れています。
やはり自然を味わうと、生きていて良かったと思う瞬間が訪れます。
ままちゃん様、アメリカからありがとう、私は英米文学が大好きです。
tonnko様は私に出来ない事、
お子様を育て、お母様を看取り、ピアノを弾き、リコーダーを弾き、地域誌を作られ、パンを焼き、お料理上手で、裁縫をなさる。
これ、
素晴らしい人生だと思いませんか?
私はそう思いますよ。
私には、到底出来ない事です。
自分の出来る事で、一日を精一杯生きる、
ある人は登山などのスポーツや、芸術で、政治、経済、発明で名を残すかもしれません、
市井の我々は、何をしても、しなくても、
我々の代わりはいくらでもいたとしても、
(基本出来るならですが、人になるべく迷惑をかけない方向で、自助努力で)
一日を、その人の出来る力で、一生懸命生きる、
何もしないで、他人をうらやみ、不平不満を言っている人は魅力に欠けます。
また、いくら飾っても、メッキが剥げた時は大変。
私はありのまま、等身大の日常を残していくだけです。
退屈かと思うのですが、いつもお付き合いくださり、ありがとうございます♡
長女からも、そのようなことを言われたことがあります。わたし自身は、確かに一生懸命生きています。
生ある間、なるべく迷惑を掛けない様に、それだけを気を付けています。迷惑を掛けず静かに生き、出来れば夫のように突然姿を消す、これが理想です。
それまで、楽しみながら明るく生活をする、と言うのが目標にしています。あなたのコメント、嬉しいです。ありがとうございました。
健康で、色々な可能性を秘めていても、
敢えて、何もしないで一日過ごしても、その人個人の選択だと思うのですが、、、
私は、「やりたかったのに」という無念の様なもの、
何かをしている人を、羨ましいと思う気持ち、
そういう思いを残していきたくないだけで、
例え開始が遅くても、やれなかったものには挑戦するべきだと思っています。
もう大人なのですから、子供の時に出来なかったとしても、親が最悪でも、
遅すぎても、無念や未練を残さず、自分を育てるべきだと思っています。
私より良い条件なのに、絶対にやれるのに、挑戦しない人は多い。
過去は割り切って、スタートは子供より下手でも、当たり前と割り切って、やりたいことをやればいい。
大工仕事だって、建築家や本業の大工でなくても、出来る範囲でやります。
それは家庭菜園を農家でなくてもする、
洋裁をプロでもないけどやる事に似ていますが、
全てにおいて、
上手でなくても、手を入れた方が、入れないより、
満足のいく空間や物と生きてゆく人生になります。
しなければ、しないところが、人間不満だらけになるものです。
また工作は失敗することによって、諦めもつきますが、
皆せっかちというか、一度で素人が綺麗なものが出来るはずもなく、すぐに諦める、音楽もしかり、
そういうところが、皆さん甘いと思っています。
無理しない範囲の組み方をする、
編み物も複雑でない編み方にするなど、色々自分の能力で、沢山の事が出来ます。
そこから極めても良いし。
私は自己充足している人が大好き、
あとメッキをかけていない、盛っていない素材が好きなだけです。
tonnko様も、自分のやりやすい方法で裁縫なさればいいし、
シーツ交換の回数なども、駄目な時はファブリーズや、布団乾燥機を使うなど、
どんどん楽をされるとイイと思います
お嬢達は、楽しく生きているお母様が大好きなんですよ。
勿論、お孫さん達もです!