先週末の土曜日、岩国市に出かけてきました。
全野党と市民が共闘することの意義を話し合う市民集会へ参加したのですが、やはり岩国の方々の話を聞いていると、主権者として選挙に出かけること、投票所へしがらみや利権、私利私欲を持ち込まないことの大切さを改めて痛感しました。
当日の岩国市は、両陣営の遊説スケジュールから外れていたようで選挙戦が繰り広げられているがとは思えないほどの静けさ。
しかし、聞こえてくる噂は平岡氏に関する怪文書が出回っているとか、山本氏の陣営が組織ぐるみの、まるで沖縄知事選で仲井間知事陣営がとったような戦略で票固めをしているというきな臭いもので、まさに選挙戦の真っ最中。
日刊ゲンダイによれば、安倍晋三氏が家族ぐるみで山本氏を支援し、福田首相の山口入りも懇願したとか。ところが、週明けの世論調査では平岡氏がややリードで山本氏が猛追しているというもので、官邸筋が掴んでいた横一線とは状況が違っていたとかで、福田首相は騙されたと感じているとかいないとか。
山本氏が国交省の後輩に岩国基地の民間路線供用に関して口利きしたことで、道が開けたと地方議員が口走った件で、国交省は火消しに躍起らしいとも。しかし、道路特会だけでなく空港整備の特別会計でも無駄遣いが指摘されるようになっているだけに、地元への便宜供与で票を稼ぐという従来の選挙手法が批判される状況になりつつある。
しかし、選挙区の当事者の方々にとってはそれぞれの生活がかかっているだけに、仕事に直結するような公約を聞けば、票を入れたくなるのも人情。
加えて、票を取りまとめているところから締め付けがあったりすればなおさらだろう。
何処の選挙区でもある話だが、こうした立場の違いを盾にしての票集めがまかり通る選挙戦が続く限り、日本に民主主義の社会は訪れないのではないかと、暗くなってくる。
主権者一人一人が、公共の福祉(みんなの幸せ)を基準に議員を選出するようになるには、どのような働きかけや圧力にも屈しない強い心や覚悟が、主権者一人一人に求められるだけに、一筋縄ではいきそうも無い。
どのような暮らしをしたいのか、どのような社会で暮らしたいのか。そのビジョンが主権者一人一人に無いと、しがらみや私利私欲にとらわれてしまうことになる。
本来ならば、民主主義の社会とはどのようなものなのか、国と自分との関係はどんなものなのか、個人と個人の関係は、社会と個人の関係は、など主権者として社会で生きる、いわゆる社会の成員(主権者)となるための教育(成人となるための教育)を行うのが公教育であり、その根底には国の目指す方向やあり方を記したその国の憲法があるはずなのだが、日本は憲法遵守義務を負う国会議員をはじめとする公務員が、憲法をないがしろにしてきた歴史がある。
他国に無理やり押し付けられた憲法なんて守らなくてもいいんだと考えているのかもしれないが、そこにこそ今のあれた世情の原因があるのではないかと思えてならない。
しかし、健康で"文化的"な最低限の生活すら送れない人が多数いる今の日本を結果的に容認してきてしまったのは、自民党に政権をゆだねることを選択し続けてきた主権者自身。まず変わらなければならないのは、政治ではなく主権者一人一人だということが身に染みてくる。
選挙のときだけ主権者に媚を売り、日ごろは企業やアメリカに媚を売る。
連立政権を組む公明党は、道路特定財源に関して造反しようとしている自民党議員に対して次回の衆院選で推薦しないとまで言い放ち、多くの支持者が望むのとは反対に自民党への影響力を誇示して政権にしがみつくことしか考えていない。
手段を選ばず政権にしがみつき、自分たちとその仲間のための政治を行う今の政権与党には、一度政権の座から降りてもらいたいものなのだが、それを決めるのは主権者。だからこそ、早急に解散総選挙を行ってもらいたいと思うのだが。
権力は必ず腐敗する。そのために政権交代可能な選挙制度があるわけで、補選とはいえ次の日曜日に投開票となる山口2区の衆院補選は重要な意味を持ってくる。
保守地盤といわれる山口県、しかも福田政権となって初の国政選挙の結果は自民党が考えているほど軽くないはずだ。
↓いろんな意見を知るのに役立ってます。
皆様のポチッに元気をいただいております。ありがとうございます。
テクノラティプロフィール
全野党と市民が共闘することの意義を話し合う市民集会へ参加したのですが、やはり岩国の方々の話を聞いていると、主権者として選挙に出かけること、投票所へしがらみや利権、私利私欲を持ち込まないことの大切さを改めて痛感しました。
当日の岩国市は、両陣営の遊説スケジュールから外れていたようで選挙戦が繰り広げられているがとは思えないほどの静けさ。
しかし、聞こえてくる噂は平岡氏に関する怪文書が出回っているとか、山本氏の陣営が組織ぐるみの、まるで沖縄知事選で仲井間知事陣営がとったような戦略で票固めをしているというきな臭いもので、まさに選挙戦の真っ最中。
日刊ゲンダイによれば、安倍晋三氏が家族ぐるみで山本氏を支援し、福田首相の山口入りも懇願したとか。ところが、週明けの世論調査では平岡氏がややリードで山本氏が猛追しているというもので、官邸筋が掴んでいた横一線とは状況が違っていたとかで、福田首相は騙されたと感じているとかいないとか。
山本氏が国交省の後輩に岩国基地の民間路線供用に関して口利きしたことで、道が開けたと地方議員が口走った件で、国交省は火消しに躍起らしいとも。しかし、道路特会だけでなく空港整備の特別会計でも無駄遣いが指摘されるようになっているだけに、地元への便宜供与で票を稼ぐという従来の選挙手法が批判される状況になりつつある。
しかし、選挙区の当事者の方々にとってはそれぞれの生活がかかっているだけに、仕事に直結するような公約を聞けば、票を入れたくなるのも人情。
加えて、票を取りまとめているところから締め付けがあったりすればなおさらだろう。
何処の選挙区でもある話だが、こうした立場の違いを盾にしての票集めがまかり通る選挙戦が続く限り、日本に民主主義の社会は訪れないのではないかと、暗くなってくる。
主権者一人一人が、公共の福祉(みんなの幸せ)を基準に議員を選出するようになるには、どのような働きかけや圧力にも屈しない強い心や覚悟が、主権者一人一人に求められるだけに、一筋縄ではいきそうも無い。
どのような暮らしをしたいのか、どのような社会で暮らしたいのか。そのビジョンが主権者一人一人に無いと、しがらみや私利私欲にとらわれてしまうことになる。
本来ならば、民主主義の社会とはどのようなものなのか、国と自分との関係はどんなものなのか、個人と個人の関係は、社会と個人の関係は、など主権者として社会で生きる、いわゆる社会の成員(主権者)となるための教育(成人となるための教育)を行うのが公教育であり、その根底には国の目指す方向やあり方を記したその国の憲法があるはずなのだが、日本は憲法遵守義務を負う国会議員をはじめとする公務員が、憲法をないがしろにしてきた歴史がある。
他国に無理やり押し付けられた憲法なんて守らなくてもいいんだと考えているのかもしれないが、そこにこそ今のあれた世情の原因があるのではないかと思えてならない。
しかし、健康で"文化的"な最低限の生活すら送れない人が多数いる今の日本を結果的に容認してきてしまったのは、自民党に政権をゆだねることを選択し続けてきた主権者自身。まず変わらなければならないのは、政治ではなく主権者一人一人だということが身に染みてくる。
選挙のときだけ主権者に媚を売り、日ごろは企業やアメリカに媚を売る。
連立政権を組む公明党は、道路特定財源に関して造反しようとしている自民党議員に対して次回の衆院選で推薦しないとまで言い放ち、多くの支持者が望むのとは反対に自民党への影響力を誇示して政権にしがみつくことしか考えていない。
手段を選ばず政権にしがみつき、自分たちとその仲間のための政治を行う今の政権与党には、一度政権の座から降りてもらいたいものなのだが、それを決めるのは主権者。だからこそ、早急に解散総選挙を行ってもらいたいと思うのだが。
権力は必ず腐敗する。そのために政権交代可能な選挙制度があるわけで、補選とはいえ次の日曜日に投開票となる山口2区の衆院補選は重要な意味を持ってくる。
保守地盤といわれる山口県、しかも福田政権となって初の国政選挙の結果は自民党が考えているほど軽くないはずだ。
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テクノラティプロフィール
最近はお年寄りに覚悟する人が増えて、若者が長いものに巻かれているような気がします。