みやっちBlog

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グローバリズムの敵は民主主義

2007年11月06日 18時48分38秒 | 政治・社会
家屋内での携帯電話の繋がりにくさを解消するために、家庭用基地局が導入されることになったという。



携帯電話の家庭用基地局はブロードバンドにつなげて利用するもので、通話が困難な地域に大規模な基地局を建設しなくても済むため設備投資が抑えられることから、通話料金の引き下げにも繋がるのではないかといわれているが、固定電話がIP電話に移行されることとあわせて、電話の通話内容を非常に簡便に捕捉できるようになるという危険性が付きまとっている。

政府と諜報機関による盗聴に関する規制を的確に行わなければ、個人の言動がすべて監視される事態が起こらないとも限らない。

すでに、行動の監視に関しては警察によるNシステムや各地域に設置された監視カメラで捕捉されているだけでなく、必要とあればETCやスイカなどの情報も利用することで丸裸とされている。

言論と思想信条、移動が監視され統制されるばかりか、政府の情報は隠されている状況がはたして民主主義といえるのかどうか。

2001年9月11日のニューヨーク・テロ後にドイツのシュピーゲル誌が「グローバリゼーションは日々のテロである」と書いたというが、金融市場に支配される地球は、各国の政府といえどもその支配から逃れることはできず、国民の多くをグローバル企業の奴隷として管理統制する政策を推し進めている。

政治的民主主義を破壊する支配者である金融市場の住人であるハンス・ティートマイヤーは1996年2月のダボスで行われた世界経済フォーラムにおいて「金融市場が世界を支配する」と宣言したのだとか。

しかし、グローバリゼーションはタコが自らの足を食べているようなもの。実体経済と遊離したバーチャルな経済は、バーチャルなペーパーマネーをリアルマネーへとマネーロンダリングするために大衆からリアルマネーを収奪し続けている。
企業や商品、資源の価値を偽装し実態よりも高額に見せかけリアルマネーを強奪する。しかし、搾取され続ける大衆相手の製品やサービスが売れなくなれば実体経済は縮小する。
にもかかわらず一部の企業利益が伸びつつけているのは、紛争の自作自演による消費の創出と強権的な市場開放、地球温暖化の恐怖を煽ってのエコ市場創出、政策による税金の優遇と人件費削減による利潤拡大が行われているからだろう。

軍需産業とグローバル企業からの要求を拒めないアメリカ政府はつねにどこかで米軍が参加する紛争を起こし続けなければならないジレンマに陥っているのではないだろうか。

そんなアメリカ政府に忠誠をつくしてきた小泉元首相は、マスコミを最大限利用し大衆を扇動、党内では独裁的な手法で批判を封じ込めてきた。しかし、民主政治にあってそのトップは独裁者であってはならないはず。
小泉内閣時代にそれを許してきた自民党は、まさに日本の民主政治をぶち壊したといえるのではないだろうか。一方、小沢民主党代表も党内では独裁者のつもりでいたのだろうが、役員会で大連立を否定されたところを見ると党内は民主的に運営されていたということなのかもしれない。

民主党にまず行って欲しいのは、全党員とサポーターに詫びて意見を聞くことなのではないだろうか。

それにしても、王政などの独裁政治に対して資本家などが自由な経済活動を求めて生まれたブルジョワ民主主義が、その後に富の集中を批判し民衆が自由を求めた民主化により普通選挙制敷かれたものの、資本主義社会に対する社会主義や共産主義の衰退によって、ふたたび資本家などのブルジョワや支配者層、富裕層が富の集中を目的に、労働者をはじめとする大衆から搾取し、安い賃金で働かせるために政界をコントロールすることで、世界規模での資本家ブルジョワ独裁統治が行われている。

その手段が金融市場と穀物や石油などの市場コントロールということなのだろう。

そうした流れにはむかうものは、政府やマスコミを通じて社会的に抹殺することもいとわない。

政治的民主主義を破壊し、大衆を奴隷として働かせ搾取し続ける新たな時代の経済的奴隷社会を作り出しているのがグローバリゼーションの本質なのではないだろうか。

グローバリゼーションに対抗する手段は民主主義の基本である多様な価値観を認めめ、軍需産業を解体し、話し合いでの紛争解決を目指しつつ、微力でも地産地消をすすめて域内でカネを循環させることしかないのではないかと思うのだが。

反グローバリズムが、実は民主主義の政治を実現することだったとは、なんとも皮肉な話だ。




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2 コメント

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悪魔の証明 (Chic Stone)
2007-11-08 21:19:15
こんにちは。

一つの言葉だけに対する揚げ足取りのような
気もしますが、一つお伺いします。

「政府と諜報機関による盗聴に関する規制を的確に行わなければ」

とおっしゃいますが、どんな法があっても、「本当はやられているんじゃないか」と疑いだしたらどうしようもないのでは?
盗聴がなされていないことを証明することはできません。
そしてもう少し技術が発達したら、今後ろでうるさく飛んでいる蚊が、カメラマイク内臓のサイボーグ虫ではないことを証明することはできないようになります。

ではどうすればいいか…僕は、盗聴・監視技術を一般に開放し、「みんながみんなを監視している」状況のほうが「ビッグブラザーがみんなを監視している」状態よりもましだと思います。
ビッグブラザーがいても、ビッグブラザーも監視され、その映像が全員の目に届いていれば…まだましでは。

それから連想した問題ですが、政府や警察が法を守る、となぜか誰もが信じていますが、その保証はあるのでしょうか?
政府・警察・自衛隊が法を破ったらいつでも武力革命を起こせる武力を国民が持っていない限り、ある日「もう民主主義なんてやめた、逆らう者・気に入らない者は家族ごと串刺しだ」と警察・自衛隊が言えばどうしようもなくなります。
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コメントありがとうございます (みやっち)
2007-11-09 11:41:12
Chic Stoneさん御指摘の点はもっともだと思います。

法律により運用の規制を行うとしても、その法律を作る国会が主権者の意思をどれほど尊重するのかという点もありますし、法律を運用する側が国家保安上の機密だとして法律を無視して手続きを踏まずに広く一般を対象とした盗聴や監視をしている事実を隠し続ける可能性も高いと思っています。

しかし、運用上の規制を設けた法律がなければ、国民が法律を盾に盗聴をやめさせることも出来ない事態となるのではないでしょうか。
もちろん、訴訟を起こしても相手は国家権力ですから今の最高裁の判決などを見ていても、勝てる可能性は低いそうですが。

大切なのは、Chic Stoneさんが指摘している通り、監視している側も国民に監視されているんだと思わせることなのではないでしょうか。
そのために重要なのは、国民が徹底して政府に対し情報開示を要求することなのかなと思っています。

その上で、そうした行為を働く行政機関を放置している政府を選挙により交代させる。そうした行動を有権者が起こせるのかどうか。そこがポイントでしょうが、「民主主義なんかやーめた」と都合が悪い勢力を俊滅するようなことがあっても、権力を恐れて迎合すればかつての治安維持法下、隣組による密告が行われたような社会となってしまうのではないかと思っています。

便利さの陰に隠れた危険性をどれほど意識できるのか、その危険性をできるだけ排除する方法を考えることも必要なのではないでしょうか。

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