第四章 ( 二 )
正応二年(1289)の春二月、三十二歳となられた姫さまは、まだ慣れぬ墨染のお姿での旅立ちを決意なさいました。
二十日余りの日のことで、山深い庵にも春爛漫の季節を感じさせる頃でございますが、ここしばらくは生活の拠点としていた庵をたたみ、旅に必要なもの以外はすべて里人に与えられて、再びこの地に戻らぬ決意を示されていました。
内裏から遠く離れた山里暮らしといっても、いざ都に戻るのは牛車さえあればそれほど造作もないとの思いがどこかにありましたが、その山里さえ霞むほどに来てみますと、さすがに姫さまも感慨深げに振り返り、慣れぬお袖で涙を隠されておりました。
「『宿る月さへ 濡るる顔にや』と、あの伊勢が詠んだという古歌が思い浮かぶ」
と姫さまは、早くも心細げなご様子でございました。
やがて、逢坂の関だと教えてくれる人がある辺りまで参りますと、姫さまの御覚悟も固まって来られた様子でありましたが、
「『宮も藁谷(ワラヤ)も 果てしなく』という蝉丸の歌が思いだされる」
などと呟かれました。
「宮殿に住もうが、あばらやに住もうが、人の望みは果てしない」などという歌を思い出されるのは、やはり、御所を退出されて久しいとはいえ、ついつい思いだされてしまうのでしょうか。
和歌の上手として、また琵琶の名手とも伝えられている蝉丸ですが、もちろんその住みかは跡かたもなく、都にも知られている関の清水に姫さまはお姿を映されて、物思いにふけっておられました。
何分にもそのお姿は、里暮らしが久しかったとはいえ、宮中を住みかとされていたお方でございますから、水に移るご自分の旅装というお姿がさらに感慨深くさせていたようでございます。
姫さまは、お疲れということではないのですが、立ち去り難いお気持ちらしく、さらに、そこには今を盛りと咲き誇る桜がたった一本だけあるのも、姫さまのお心に何かを訴えかけているようでございました。
折から、このあたりの人と見える者たちが馬上に四、五人、それもこぎれいな様子の人たちが桜の花の下で立ち去り難い様子を見せているのが、姫さまには興味深く見えたようでした。
『 行く人の心をとむる桜かな 花や関守逢坂の山 』
と詠まれましたが、桜が人を止めているので、まるで関守のようだという意味なのでしょうが、この御歌を聞きますと、大丈夫、姫さまのお心は都への思慕を捨て切れていないとはいえ、冷静な観察が出来るのだと思われました。
やがて、鏡の宿(中世の宿駅の一つ。滋賀県蒲生郡)という所に着きました。
ちょうど夕暮れ時だったので、遊女たちが男との一夜の契りを求めて歩いている姿は、姫さまには、おそらく初めてご覧になる光景だったでしょうから、とても辛い世の習いとして悲しく感じられた様子でございました。
その夜はその宿に泊り、翌朝、明けゆく鐘の音に促されるように出立しましたが、この時にも姫さまは歌を詠まれております。
『 立ち寄りて見るとも知らじ鏡山 心の内に残る面影 』
さあ、この面影とは、どなたのことを意識されたのでしょうか。
* * *
正応二年(1289)の春二月、三十二歳となられた姫さまは、まだ慣れぬ墨染のお姿での旅立ちを決意なさいました。
二十日余りの日のことで、山深い庵にも春爛漫の季節を感じさせる頃でございますが、ここしばらくは生活の拠点としていた庵をたたみ、旅に必要なもの以外はすべて里人に与えられて、再びこの地に戻らぬ決意を示されていました。
内裏から遠く離れた山里暮らしといっても、いざ都に戻るのは牛車さえあればそれほど造作もないとの思いがどこかにありましたが、その山里さえ霞むほどに来てみますと、さすがに姫さまも感慨深げに振り返り、慣れぬお袖で涙を隠されておりました。
「『宿る月さへ 濡るる顔にや』と、あの伊勢が詠んだという古歌が思い浮かぶ」
と姫さまは、早くも心細げなご様子でございました。
やがて、逢坂の関だと教えてくれる人がある辺りまで参りますと、姫さまの御覚悟も固まって来られた様子でありましたが、
「『宮も藁谷(ワラヤ)も 果てしなく』という蝉丸の歌が思いだされる」
などと呟かれました。
「宮殿に住もうが、あばらやに住もうが、人の望みは果てしない」などという歌を思い出されるのは、やはり、御所を退出されて久しいとはいえ、ついつい思いだされてしまうのでしょうか。
和歌の上手として、また琵琶の名手とも伝えられている蝉丸ですが、もちろんその住みかは跡かたもなく、都にも知られている関の清水に姫さまはお姿を映されて、物思いにふけっておられました。
何分にもそのお姿は、里暮らしが久しかったとはいえ、宮中を住みかとされていたお方でございますから、水に移るご自分の旅装というお姿がさらに感慨深くさせていたようでございます。
姫さまは、お疲れということではないのですが、立ち去り難いお気持ちらしく、さらに、そこには今を盛りと咲き誇る桜がたった一本だけあるのも、姫さまのお心に何かを訴えかけているようでございました。
折から、このあたりの人と見える者たちが馬上に四、五人、それもこぎれいな様子の人たちが桜の花の下で立ち去り難い様子を見せているのが、姫さまには興味深く見えたようでした。
『 行く人の心をとむる桜かな 花や関守逢坂の山 』
と詠まれましたが、桜が人を止めているので、まるで関守のようだという意味なのでしょうが、この御歌を聞きますと、大丈夫、姫さまのお心は都への思慕を捨て切れていないとはいえ、冷静な観察が出来るのだと思われました。
やがて、鏡の宿(中世の宿駅の一つ。滋賀県蒲生郡)という所に着きました。
ちょうど夕暮れ時だったので、遊女たちが男との一夜の契りを求めて歩いている姿は、姫さまには、おそらく初めてご覧になる光景だったでしょうから、とても辛い世の習いとして悲しく感じられた様子でございました。
その夜はその宿に泊り、翌朝、明けゆく鐘の音に促されるように出立しましたが、この時にも姫さまは歌を詠まれております。
『 立ち寄りて見るとも知らじ鏡山 心の内に残る面影 』
さあ、この面影とは、どなたのことを意識されたのでしょうか。
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