雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

始皇帝の最期 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 10 - 1 )

2024-05-20 14:47:55 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 始皇帝の最期 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 10 - 1 ) 』


今は昔、
震旦の秦の御代に、始皇という国王が在(マ)しました。
勝れた知性と勇猛な心で以て世を治めたので、国内で従わない者はいなかった。少しでも自分の命令に従わない者がいれば、その首を切り取り足や手を切った。されば、人民は皆、風になびく草の如く服従した。

始めて、感楊宮(カンヨウグウ・感陽宮とも。)という宮殿を造って都とした。
その都の東に関所があった。感谷関(カンコクカン・函谷関に同じ。)と言う。櫃の迫(ヒツのハザマ・大きな箱の角)のようであったので感谷関と言うのである。
また、王城の北には高い山を築いた。これは、胡国(ココク・北方遊牧民の国)と震旦との間に築き並べた山である。胡国の遊牧民が侵入してくる道を防ぐためである。(万里の長城のこと。)震旦側は普通の山のようで、人が登って遊んだ。遙かに高い山の頂上に登って胡国の方を見ると、さえぎる物がない。胡国側は垂直の高い壁を塗ったようになっていて、人が登ることなど出来ない。
山の東西の長さは、千里ある。高いことは雲の如し。されば、雁が渡る時、この山並みが高くて飛び越えることが出来ないので、山に雁が通れるほどの穴を開けていて、そこを飛んで通った。雁は、それが習性となって、大空であっても、列を作って飛ぶのである。

これは、胡国の襲来を恐れて築いた物で、始皇帝は「わが子孫は、代々引き継いでこの国を治めるべきで、他者の統治を認めない」(このあたり、破損による欠文が多く、推定した。)と、「又、これまでに代々踏襲されてきたことを皆廃止して、我が新しく政を定める。又、過去の代々の書籍(ショジャク)をすべて取り集めて焼き棄てて、我が新しく書籍を作って世間に留め置くこととする」と。
されば、孔子の弟子などには、大切に書籍などを密かに隠して、壁の中に塗り込めて後世に残そうとした。

ところで、始皇帝には昼夜に寵愛している一頭の馬がいた。名を左驂馬(ササンマ)と言う。この馬の体は、竜と違わないほどである。
これを朝暮に可愛がって飼っていたが、始皇帝の夢の中で、この左驂馬を海に連れて行って体を洗ってやっていると、高大魚(コウタイギョ・鮫のような物か?)という大きな魚がにわかに大海より現れて、左驂馬を食い付いて海に引き入れようとしたところで、夢から覚めた。
始皇帝は、心の内で極めて怪しいことだと思った。「どうして、我が宝として大切に育てている馬を、高大魚は喰らおうとするのか」と大いに怒り、国じゅうに宣旨を下した。「大海に高大魚という大きな魚がいる。その魚を射殺した者には、望み通りの賞を与えよう」と。
そこで、国じゅうの人はこの宣旨を聞くと、それぞれが大海に行き、船に乗って遙か沖に漕ぎ出して、高大魚を探し回ったが、わずかに高大魚の姿を見る者もいたが、とても射ることなどできなかった。
そこで、帰って王に申し上げた。「大海において高大魚の姿を見ることは出来ましても、とても射ることなど出来ません。これは、竜王に妨げられているためです」と。

始皇帝は、これを聞くと、わが身への祟りを恐れて、それを除くために方士(ホウジ・道士。道教の術者。)と言う人に、「お前は、速やかに蓬莱の山に行って、不死薬という薬を取ってこい。蓬莱は未だ知られていな所だといえども、昔より今に至るまで、世間に多く伝承が伝わっている。すぐに行くのだ」と命じた。
方士は、この宣旨を受けて、すぐに蓬莱に向かった。
それから後、還って来るのを待っているうちに、数ヶ月が過ぎ、ようやく還って来ると、王に申し上げた。「蓬莱に行くのはたやすいことでした。しかしながら、大海に高大魚という大きな魚がおります。これが怖ろしいために、蓬莱に行き着くことが出来ませんでした」と。
始皇帝は、この事を聞くと、「その高大魚、我に対して様々に悪事を働く。されば、やはり、あの魚を射殺すのだ」と宣旨を下したが、誰も大海に行って高大魚を射ようとはしなかった。

すると、始皇帝は、「我自らが、速やかに大海に行って、高大魚を見つけて射殺してやろう」と言って、忽[ 欠文。「大軍を調えて」といった文章らしい。]彼の所に行き、始皇帝自ら船に乗って、遙かに大海[ 欠文。「高大魚を発見した経緯など]らしい。]見る事を得たり。
そこで、始皇帝は喜んで、これを射ると、魚は矢に当たって死んだ。始皇帝は大いに喜んで帰還する途中、天の罰を蒙ったのであろうか、[ 欠字。史実としては「平原津」らしい。]という所において、重病となった。
その時、始皇帝は、我が子の二生(ニセイ・二世。「胡亥」のこと。)という人、並びに大臣の超高(チョウコウ)という人を呼び寄せて、密かに申し渡した。「我は、突然重病となった。きっと死ぬだろう。我が死んだ後は、大臣・百官は一人として相従って王城に返ってはならない。この所に全員を棄てて、還るのだ。そこで、我が死んでも、この所において我が死を公表しないで、なお生きていて車の中にいるようにして、王城に連れ帰ってから正式に葬送を行うべし。王城に還る途中で、大臣・百官が離反することを恥じるからである。決して、この事を違えてはならない」と。こう言い残すと同時に死んだ。
その後、彼の遺言の如く、この二人は、始皇帝が生きているように取り扱って帰還したが、その途中で命令すべき事があれば、王の仰せのようにして、この二人で相談して命令を下した。
                ( 以下 ( 2 ) に続く 


     ☆   ☆   ☆


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