雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

引き算の論理 ・ 小さな小さな物語 ( 1767 )

2024-05-15 07:59:21 | 小さな小さな物語 第三十部

先日、珠算の全国大会の様子をドラマ風に編成された番組を見ました。
ごく断片的に見ただけなので、番組の全体像は理解していないのですが、子供たちの能力の高さに驚きました。
全日本珠算選手権大会は、毎年、そろばんの日である8月8日に行われているそうで、その大会に向けた練習や過去の大会の様子なども伝えられていましたが、何とも凄い能力です。
じつは、私も子供の頃に、ある期間、かなり熱心にそろばんを習ったことがあります。当時の子供としては、そこそこのレベルまで学んだつもりですが、紹介されている子供たちの様子を見ますと、とても信じられないほどのレベルの高さでした。しかも、一人や二人の天才児が成し遂げたものではなく、かなり広い会場に居並んでいる子供たちが、順位はともかく、大会に参加するだけのレベルに達しているのでしょうから、さらなる驚きでした。

かつて、子供たちの教育の基本を、「読み書きそろばん」としたようです。
当然、「読み」は文字が読めるようになることから始まるのでしょうが、その先には、読本から学ぶことに繋がっていたことでしょう。
「書き」も同様で、最初は文字が書けるようになるのが目的でも、その先には、美しい文字、相手に訴える事が出来る文章と、意思疎通の重要な部分を学ぶことになります。
そして「そろばん」ですが、当然、計算を学ぶことになりますが、単なる加減乗除を習得するだけでなく、厳しい世間での駆け引きに耐える力も学んだのではないでしょうか。

ある人が、こう教えてくれました。「一歩、一歩、しっかりと地面を踏みしめて前に進みなさい」と。
また、ある人は、「時には、引くことを考えなさい。大切なのは、引き際を見極めることと、決断すれば、果敢に引き下がることだ」と。
また、ある人は、「チャンスと思ったときには、一気に駆け上れ。人は、成長するときには、階段を昇るように成長し、あっという間に数倍大きくなる」と。
また、ある人は、「グルーブをまとめるためには、割り算の論理が必要だ。いかに公平に分配するかが、リーダーに絶対必要な知恵だ。おそらく、ヒトが始めて群れをなしたときのリーダーも、仕事や獲物をどのように割り振るかを考えたはずだ」と。

人の生き様を、むりやり加減乗除に照らし合わせることもありませんが、私たちが、一日一日と時間を積み重ねていることは確かです。一年経てば一歳年齢が増え、二年経てば二歳年を取ります。これは厳然たる事実です。引いたり、掛けたり、割ったりすることもあるような気もしますが、それらはすべて、積み重なっていく時間の流れをどうこうできるものではないでしょう。
しかし、考えてみますと、年月を積み重ねていくという考え方は、誕生の時を出発点とした考え方です。私たちが積み重ねる事が出来る時間は無限ではなく、有限のものなのです。それも、何人を問わず終焉の時を抱えながら歩んでいるわけです。
そう考えますと、一日一日と日を重ねるというのは「足し算の論理」と言えますが、誰もが背負っている終焉の時を起点と考えますと、私たちは、一日一日と持ち時間を無くしているということになります。つまり、「引き算の論理」という考え方も成立するわけです。
私たちは、一日一日と持ち時間を失っているわけです。日々の生活をそのようなことを考えながら送れませんよ、という声もあるでしょうが、そこそこ飯を食ってきた方々であれば、「引き算の論理」に立ち向かう勇気を持ちたいものです。
ただ、「引き算の論理」であれ「足し算の論理」であれ、終着点たる「起点」が、はっきりしていないのが、少々厄介なのです。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« テレビ向け液晶パネル 国内... | トップ | やはり去年は暑かったそうだ »

コメントを投稿

小さな小さな物語 第三十部」カテゴリの最新記事