雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

自然の姿 ・ 小さな小さな物語 ( 1685 )

2024-02-21 13:34:22 | 小さな小さな物語 第二十九部

わが家からすぐ近くにある池に、ヨシゴイが来ているということで、このところ立派なカメラを持った人たちが十数人集まってきています。
その池は、灌漑用の池として今も利用されている物ですが、一辺が100mにも満たない正方形に近い長方形ですが、その一辺は、片側2車線と3m程の歩道を持った交通量の多い道路に面しているのですが、池の4分の1位が葦原のような状態になっています。灌漑用の池としては葦などの雑草はない方がいいのでしょうが、おそらく、コウノトリが餌を取りに来たりすることから、池の管理者がある程度の繁茂を黙認しているようです。
ふだんはカイツブリの天下のような状態ですが、数年前からコウノトリが時々姿を見せるようになり、夏にはヨシゴイが来るようになり、今日あたりはヨシゴイの親が2羽・雛が5羽いるそうで、列を作っているところを狙っているようですが、時々2~3羽が姿を見せるだけで、ほとんど葦原の中にいるようです。

今はすっかり数を減らしましたが、当地辺りは、古来雨の少ない地域で、数多くの灌漑用の池が作られてきました。高い山はありませんが、山間には幾つもの池が並んで造られていて、それらの池はそれぞれに村落ごとに所有が決まっていて、多くの小さな水路で田畑に水が供給されていました。かつては、水争いもあり、分岐点などでは寝ずの番をすることもあったと、聞いたことがあります。
ヨシゴイが来ている池も、もともとは低い山際と田畑に囲まれていて、大きさも今の倍以上ありました。二十年ほど前からの大規模な開発により、新しく引かれた準幹線道路と住宅地に囲まれるようになり、周囲の土手も散策できるようになりましたが、魚や亀など水中にいる生き物はともかく、鳥などの住処としては環境が悪くなったように思われます。
ところが、以前は気がつかなかっただけかも知れませんが、コウノトリが姿を見せ、ヨシゴイが雛を育てているとなれば、自然が失われたとは言えず、むしろ自然力が増えているような気さえします。

私たちは、押し並べて自然が好きなようです。自然を守れ、自然を壊すな、環境破壊だ、などという言葉は、よく耳にします。
それほど積極的でなくても、自然に触れたいという気持ちは多くの人が持っていると思われます。本格的な山歩きでなくても、少し郊外に出たり、樹木の多い公園などでも、自然に触れたという感覚を頂戴できるような気がします。
ちょっとした庭であっても、樹木を植えたり草花を育てるのは、単に花の美しさを楽しむだけが目的ではなく、何か、自然に接しているような気持ちが心地よい面も有るのではないでしょうか。ベランダなどで園芸を楽しまれる方も、同様ではないでしょうか。

「自然」という言葉は、ちょっとした辞書で調べるだけでも、多くの意味、広い範囲の状況説明に使われています。
ここで使っている「自然」は、「天然に近い状態」「あまり人の手が入っていないこと」程度の意味で使わせていただいています。 
その範囲での自然ですが、私たちの心身は自然の持つ何かを必要としており、私たちが自覚している以上に影響を受けているのかも知れません。
そして、その自然は、何も堂々たる大自然でなくても、ちょっとした緑、一茎の花、鳥の声、水の流れ、風の感触・・、そうしたものも、こちらの気持ちしだいで、私たちの心身に安らぎを与えてくれるように思うのです。しかも、そうした身近な自然は、まったく天然である必要などまったくなく、近くの池のように、身近な自然にはむしろ適切な人工が必要なのかも知れません。
そう思って、わが家の庭を見回しますと、どうやら、今少し人工が必要な気がつくづくしてしまいます。

( 2023.08.28 ) 


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