さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
わたしには三人の姉がいたが、みんなにずいぶんと世話になった。
一番上の姉は、当時大阪南部に住んでいて、わたしが里を離れるときに連れて行ってもらった人。後に和歌山に住み着いたので「和歌山の姉さん」と呼ぶようになる。
二番目の姉は、終戦直前まで神戸に住んでいたが、戦後は主人の実家である里の近くに移った。この姉さんにも一方ならぬ世話になった。
三番目の姉は、大阪に住んでいた。つれあいの人は建築関係の人で、よく稼いだそうだが姉さんは苦労もさせられたようだ。
この姉さんには、戦後の苦しいときにずいぶん助けてもらったよ。
わたしは おとんぼだから、誰の力にもなれなかったなあ。あっちの姉さんに子供が生まれるとなると、そこへ手伝いに行き、子供が病気だといっては呼ばれていた。
まあ、子守りか女中みたいなことをさせられていたが、食べさせてもらっていたし、ちょっとした着るものを買ってもらったり、小遣いももらっていた。
みんな それぞれに可愛がってくれたが、誰もいなくなってしまったよ。
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