白玉か 露かと問はん 人もがな
もの思ふ袖を さして答へん
作者 藤原元真
( NO . 1112 巻第十二 恋歌二 )
しらたまか つゆかととはん ひともがな
ものおもふそでを さしてこたへん
* 作者は、平安時代中期の貴族、歌人。生没年ともに未詳。
* 歌意は、「 草の上に光っているものは 白玉なのか 露なのかと 尋ねてくれる人が欲しいものだ 尋ねてくれれば 恋い慕う涙で濡れた袖を さして答えましょう 」といった恋歌であるが、この和歌は、「白玉か 何ぞと人の 問いしとき 露と答へて 消えなましものを(在原業平)」の本歌取りとされている。本歌取りは、当時の技巧の重要な一要素であるが、同時に、この和歌は「恋歌」に区分されているが、少し意味合いが違うような気がする。
* 作者 藤原元真(モトザネ)は、藤原南家の出自であるが、父の最終官職は従五位下甲斐守であり、元真の最終官職も従五位下丹波介(次官)であることを考えると、貴族としては最下級に近いクラスである。
この時代、生年が不詳ということは珍しいことではないが、没年も不詳となると男性貴族としては社会的地位はそれほど高くなかったのかもしれない。
ただ、職歴は幾つも残されており、活躍した時代は分かる。
935 年に加賀掾(ジョウ・三等官)、961 年に従五位下叙爵、966 年に丹波介、などの記録が残されているので、朱雀天皇・村上天皇・冷泉天皇の御代に生きた人物である。
* 筆者は、この項を書くまで、藤原元真という人物をほとんど知らなかった。アマチュア歴史ファン程度の人にとっては、なじみの薄い人物ではないだろうか。
しかし、官職などの足跡はともかく、歌人としては多くの実績を残している。新古今和歌集には8首採録されており、勅撰和歌集全体では29首選ばれている。歌会などに数多く出ており、歌集「元真集」には330余首が現在まで伝えられている。また、三十六歌仙の一人でもあり、歌人としては一流ともいえるが、歴史上の人物としては著名とは言えない気がするのは、個人的な知識不足かもしれない。
ただ、和歌以外の元真の足跡を尋ねることは、残念ながら筆者の力では及ばない。
☆ ☆ ☆
源氏物語は勉強していないのですが、明石の部分は地元のことでもあり、由緒の土地(いずれも江戸時代に造られたものらしいですが)を見に行ったりはしました。
新古今の撰歌につきましては勉強させていただきます。
ありがとうございました。
を踏まえ、明石の入道は、ただ「あたら夜の」と源氏に文を送り、明石の上との娶せした。
1000年経って、歌を今でも知っているというのはすごい事だなと思う次第です。
新古今の撰歌は小生のブログをご訪問頂ければ幸いです。
拙句
あたら夜を少ない桜見ておかむ
を踏まえ、明石の入道は、ただ「あたら夜の」と源氏に文を送り、明石の上との娶せした。
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あたら夜を少ない桜見ておかむ