第一章 萩の咲く村 ( 7 )
昭和三十四年春。
史郎は大阪市東部にある小さな鉄工所に就職した。
皇太子殿下と美智子さまのご成婚を控え、日本中が沸きあがっていた。
わが国が敗戦後の困難を乗り越えて、高度成長期のスタートに立とうとしている時でもあった。
しかし、史郎が中学を卒業したこの年は、まだこれまでの不況を引きずっていて就職が楽な時ではなかった。
史郎が就職に志望を変更した時には、大企業の採用試験はすでに終わっていた。家を出たいという希望にそって担任教師がようやく見つけることができたのがこの鉄工所だった。
当時の職場環境には、前近代的な部分もまだ多く残されていた。
中堅以上の規模を持つ企業では労使間の対立が激しく、労働争議が報じられることも少なくなかった。その一方で、小規模な職場においては労働基準法さえ満足に守られていない例も珍しくなかった。
史郎が就職した鉄工所も小規模なもので、いわゆる町工場と呼ばれる中でも零細な部類に属していた。
社員構成は、主人と妻女と社員が四人で、そこに史郎が加わって総勢七人である。社員のうち一人は年配の人だが、あとの三人は若く、会社が借りている古い民家で共同生活をしていた。
史郎も入社と同時にそこで生活することになった。民家は主人の自宅に隣接していて、朝夕の食事はそこへ食べに行くことになっていた。
鉄工所がどういう仕事をする所なのか史郎には知識がなかったが、鋼材を中心とした材料や製品を運んだり、機械の周りを片付けたり掃除をしたりの繰り返しで、機械を触ることなどなかった。
まだコンピューター化はもちろんのこと自動制御される部分もない機械ばかりで、何年もの経験を積んでゆかねばならない職人の世界だった。
史郎は入社して一か月が過ぎた頃から辞める方法を考え始めた。
最初から仕事に面白さなど期待していなかったが、共同生活をする先輩社員とうまくやっていけるとは思えなかった。
両親の顔さえ知らない中で育った史郎だが、いざ離れてみると池之内家の人々のあたたかさや、世間に対する力の強さが痛感された。
世間というものを知らな過ぎたともいえるが、共同生活を長く続けられるとは思えなかった。
自分の態度がそれほど悪いとは思えないのだが、史郎に対する陰険ないじめのようなことが続けられていた。
そして三か月目に入った頃、共同生活をしている社員のうち史郎に対していつも辛くあたっていた男を殴り倒してしまったのである。
四歳年上の男だが、退屈な共同生活のうっぷんを晴らすように史郎をからかっていた。
他の社員もいる前で、殆んど一方的に殴り倒したもので、顔の腫れが三日ほど引かなかったが、事の起こりは史郎の金を巻き上げるようことで、明らかにその男に非があったので主人の耳に届くことはなかった。
このことを機にいじめはなくなったが、史郎は完全に孤立してしまった。
しかし、史郎が鉄工所の退職を決意したのには他にも理由があった。千草のことである。
就職することを知らせようと、勤め始める直前に千草の大学を訪ねたが、春休みになっていた。仕方なくおぼろげな記憶を頼りに下宿を訪ねたが、千草はそこを引き払っていた。
一度会ったことがある大家は史郎を覚えていて、学校も辞めて結婚する、といって出て行ったことを気の毒そうに教えてくれた。
さらに、史郎が五月の休みを利用して池之内の家に帰った時、千草が駆け落ちした、とナカが教えてくれた。
すでに別の大学の上級生と一緒に生活していて、「旦那さんは、お嬢さんのことは諦めたらしい」ということを、幾つもの噂を交えてくどくどと話してくれた。
史郎が鉄工所の先輩を殴り倒したのは、ナカの話を聞いてから間もない頃である。少々あくどい悪さをしても黙っている史郎に対して、その男がやり過ぎてしまったこともあるが、その時の史郎が自分を抑制できない状態になっていたことにも原因があった。
そして、その事件の少しあと、史郎は会社を休んで再び京都を訪れた。
恥ずかしさに耐えながら校門を出入りする女子大生に千草の消息を尋ねたが、教えてくれた何人かの話は史郎にとって絶望的なものばかりだった。
千草は、四月になってから大学に殆んど顔を見せていなかった。別の有名大学の男子学生と一緒に暮らしているようで、生活のために働いているはずだとも言っていた。
その男子学生は、京都の学生の中では有名な人物で、幾つかの活動のリーダー的な存在で、警察に追われているようなことを言う女子大生もいた。
大学は退学していないようだが、妊娠しているはずなので当分大学には出席できないだろうとの話もあった。
得られた情報はいずれも史郎を苦しめるもので、肝心の居所を知る人には会えなかった。
千草に対する切ない思いが史郎の心を苛んだ。
それは、裏切られてしまったようなものと、苦しんでいるのではないかという心配と、助けることができない自分の無力さを恨む気持ちが入り混じったようなものだった。
そして何よりも、自分の無力さが情けなかった。
まだ少年ともいえる史郎の悶々とした日々は、千草がすでに自分から離れ去っているのだと自身に認識させるための時間でもあった。
千草があの時言った「思いっきり生きるのよ」という言葉は、独り立ちせよという別れのメッセージだったのだとようやく思い至った。
こんな所に居てはいけない。
三年も四年も下働きしている時間は自分にはないのだと史郎は思った。小さなことで足を引っぱりあうような所にいて、うじうじしている時間はないのだと自分自身に言い聞かせた。
「思いっきり生きるのよ」と言った千草の言葉を無駄にしてはいけない。早く力をつけなくてはならない・・・。
高校進学を断念して働くことを選んだ史郎にとって、力とは即ち「金」だった。
「金」を稼ぐことこそが力を持つことへの一番の早道だと、十六歳になったばかりの史郎は考えていた。
鉄工所の給料は五千円だった。
主人の家での食事や家賃が無料なので、当時としては特に低いというものではなかった。しかし、食事は主人の家のものだけでは足らなかったし、会社が休みの日は自分で賄わなければならない。三か月働いてみても、金を残すどころか手元に持っていたものを使い込んでいた。
中学を出たばかりの少年が、自分の給料だけで生活することに無理があるのか知れないが、史郎には我慢がならなかった。先輩たちの生活を見ていても、給料前になると史郎の金さえあてにするほどなのだ。
二年や三年頑張ってみたところで、金が貯まるどころか自分の大切な貯金まで無くしてしまう可能性が高いと思った。
その時史郎は十万円余りの貯金を持っていた。
そのうちの十万円は、お吉婆さんが必死になって残してくれた金である。その他にもアルバイト料の残りや、家を出る時惣太郎からもらった餞別を貯金していた。
大学生の初任給が一万二千円位の頃なので、少年にとって少ない金額ではなかった。鉄工所に勤め始めて間もない頃から、その貯金を使いたい誘惑に何度も襲われたが、その度に懸命に耐えてきた。自分が力をつけて行くためには、お吉婆さんが残してくれた金に簡単に手を付けてはならないと、何度も何度も自分自身に言い聞かせていた。
史郎は主人や先輩に内緒で鉄工所を辞める準備を始めた。
史郎の仕事は相変わらず工場内をうろうろするだけで、一番力持ちだということ以外には必要とされていなかったので、いつ退職しても会社が困ることなどない。
しかし、史郎自身の方はそういうわけにはいかなかった。次の日からの生活を考えなくてはならないからである。
それに、いざ転職するとなると簡単なものではなかった。十六歳の少年にそれほど有利な転職先が簡単に見つかるはずもなかった。
それでも史郎はあれこれと考えを巡らし、お盆前に賞与が貰えることを聞いていたので、八月の末に退職するのが一番有利だと計算していた。
盆休みに史郎は池之内の家に帰った。
一か月分の給料にも満たない額だったが賞与をもらっていた。女中のナカは、史郎の心ばかりのお土産品を大変喜び懐かしんでくれた。
「いつでも帰ってきてよい」と言ってくれていた惣太郎の言葉に甘えて、この夜もお吉婆さんと暮らしていた部屋を借りた。ナカは夜遅くまで史郎の部屋で話し込み、千草に関する断片的な情報も伝えてくれたが、史郎にとって喜ばしいものではなかった。
その後も千草から池之内家へは何の連絡もないようだった。
今頃は、大きなお腹を抱えて、一緒になった大学生と共に警察の目から逃れるような生活のようだ、とナカは声をひそめるようにして話した。
それは、断片的な情報をもとにしてナカが作り上げた話だと思われたが、警察が千草の消息を池之内家へ照会してきたことは事実のようだった。
ナカは千草の話をしながら史郎の悲しげな表情に気付いたのか、
「お嬢さんは苦労をしているかもしれないが、いやな結婚をして安楽な生活をするより、今の方がずっと幸せなんですよ」という言葉を付け加えた。
史郎が知りたかった千草に関する情報はそのくらいのものだったが、ナカにとってもっと大きな関心事は、池之内家の商売の行く末だった。
営業を続けていくかどうかという状態になっている様子で、場合によっては、ナカの問題にもなる可能性があったからである。
池之内家の食品問屋としての商売は、確かに曲がり角に来ていた。
この数年は全く利益が出ない状態が続いていたし、大都市を中心にスーパーマーケットが出現するなど、食品に関する流通経路に大きな変化が起きていた。それは単に食品業界だけということではなく、あらゆる業界において流通革命と呼ばれる大きな波が起ころうとしていた。
地方の小さな町や村においても、旦那商売と陰口をたたかれるような問屋商売が成り立つ時代が終わろうとしていたのである。
商売面の不振だけでなく、この十年間をみても池之内家はかなりの資産を減らしてきていた。
このあたりでは有数の資産家といわれてきたが、その資産の中心となるものは貸家と貸地だった。
表面上は大きな資産のように見えるが、古くからの貸家や貸地の賃料は極めて低いもので、固定資産税などを差し引けば手元に残るものは殆んどなかった。
公共団体による土地買い上げなどで手放してきた不動産もかなりあるが、敷金や権利金など受け取っていなくても借家人などに支払われる額は小さなものではなかった。当然、池之内家が受け取るものは表面上の資産より遥かに少なかった。
さらに、千草が出奔したような状態になったことで、惣太郎の気力の衰えが目立つなど池之内家の衰運の兆しが表面化してきていたのである。
池之内家で一泊したあと、史郎はふたたび京都を訪れた。
断ちがたい千草への気持ちを整理するのに、故郷の村は役に立たなかった。
盆休みが終われば鉄工所に退職を申し出るつもりだが、その前に千草に対する思いを整理しなくてはならないと、気持ばかりが焦っていた。
これまでと同じ道順で大学を訪れたが、夏休み中ということで学生の姿は少なく何も得ることができなかった。
史郎は重い足取りで銀閣寺に向かった。
京都の街は碁盤の目のようになっているから便利だといわれるが、土地に暗い史郎には分かりやすい街ではなかった。
およその見当をつけて東の方向に歩いた。銀閣寺への標識を頼りに進み、ようやく疏水添いの道を見つけた。
千草が哲学の道だと教えてくれた、思い出の道である。
あの日は、所々に雪が残っていた。
今は、灼熱の太陽が照りつけていた。
歩き続けてきた全身は、水を浴びたように汗にまみれていた。
京都の冬は寒いが、夏も暑さが厳しい土地である。
史郎は木陰に身をおいて、タオルで汗をぬぐった。顔から首にかけて、拭っても拭っても汗はひかず、タオルを絞ってからまた拭った。
疎水の水は、あの日と同じように流れていた。
史郎は水の流れを見続けていた。
いくら見続けたとて何の解決にもならないことは分かっていたが、千草への思いを断ち切る方法が見当たらなかった。
「思いっきり生きるのよ」
史郎は、千草の言葉を思い起こしていた。
あの時千草は、自分に対して、一人で生きて行けと励ましていたのだ。千草から離れて、一人で生きよと言っていたのだ、と思った。
大人になれない自分が悔しかった。
どうすることもできない、千草との四歳の年齢差が悲しかった。
東京へ行こう、と史郎は思った。
流れてゆく疎水の水を見ながら、史郎は決心した。
あの日、千草と共に見た疎水の水は、遥か彼方に流れていってしまったのだ。自分もこのあたりに居てはいけない。
東京へ行こう。
史郎は、小石を一つ力まかせに疎水に投げ込んだ。そして、汗と涙をタオルで拭い、疎水に背を向けて走りだした。
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