火の車を追い返す ・ 今昔物語 ( 15 - 4 )
今は昔、
薬師寺に済源僧都(サイゲンソウズ・(882-964) 後に薬師寺別当。)という人がいた。俗称は源氏(ミナモトノウジ)。
幼くして出家し、薬師寺に住んで、[ 欠字。師僧名が入るが未詳。]という人を師として法文を学び、優れた学僧となった。その後しだいに位が上がって、僧都にまでなりこの寺の別当(ベットウ・特別な大寺に置かれた位で、寺務を統括した。)として長年勤めていたが、格別に仏道心が深く、別当という高位になっても、寺の物を私用することなく、常に念仏を唱えて、極楽に生まれることを願っていた。
やがて老境に至り、まさに命が終わろうとして、念仏を唱えて息絶えようとする時に、突然起き上って、弟子たちを呼んで言った。「お前たちが長年見て来たように、この寺の別当だといっても、寺の物を勝手に私用したことはなく、他念なく念仏を唱えて、命が終われば必ず極楽からのお迎えがあるものと思っていたが、極楽のお迎えは見えず、不本意なことに火の車(火が燃えさかる車で、罪人を乗せて地獄に連れて行く車。)がここに寄せてきている。私ははそれを見て、『これはどういうことだ。全く不本意な事だ。こんなことは思いもかけなかった。何の罪によって、地獄の迎えを受けなくてはならないのか』と言ったら、この車についている鬼どもは『先年、お前はこの寺の米五斗を借りて使った。それなのに、未だにそれを返していない。その罪によって、このような迎えを得たのだ』と言うので、私は『そのくらいの罪によって、地獄に堕ちるはずがない。その米は返却します』と言うと、火の車は隅に寄せたが、まだここにいる。されば、速やかに米一石を寺にお返ししてくれるように」と言ったので、弟子たちはこれを聞いて、急いで米一石を寺にお返しした。
弟子たちは、米を返却し誦経を始めたが、その鉦(カネ)の音が聞こえてくる頃、僧都が「火の車は返って行った」と言った。
その後しばらくして、僧都は「火の車は返り、たった今、極楽のお迎えがあった」と言って、掌(タナゴコロ)を合わせて、それを額に当てて涙を流して喜び、念仏を唱えて息絶えた。
その往生を遂げた僧房は、薬師寺の東門の北の脇にある僧房で、今もその僧房は失せずして存在している。
これを思うに、寺の米を五斗借用して返さなかったというほどの罪であっても、火の車が迎えに来たのである。まして、勝手気ままに寺の物を私用するような寺の別当の罪がどのような物であるか、想像すべきである。
その往生した日は康保元年(964)という年の七月五日のことである。僧都の行年は八十三歳であった。
薬師寺の済源僧都というのはこの人である、
となむ語り伝へたるとや。
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