雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

勇気ある人々

2022-03-16 18:51:04 | 日々これ好日

        『 勇気ある人々 』

     ロシアによる ウクライナへの侵略は
     無差別攻撃の様相を 呈してきている
     それどころか 病院を占領し 
     患者などを 人質にしているとの報も
     こうした 惨憺たる状況の中で
     敵国の戦車や軍用車両に 素手で抵抗を示している市民たちがいる
     この状況下のキエフに 
     ポーランド・チェコ・スロベニアの 三か国の首相が入って支援を表明
     ロシアでも テレビのニュース番組放送中に 
     反戦を訴えた 女性ディレクターがいる
     いずれも 生命への危険が心配だが
     多くの勇気ある人々に 世界は 応えることが出来るのだろうか・・・

                           ☆☆☆ 

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暁ばかり

2022-03-16 08:03:48 | 古今和歌集の歌人たち

       『 暁ばかり 』

                       作者  壬生忠岑

   有明けの つれなく見えし 別れより
           暁ばかり 憂きものはなし 

( 巻第十三 恋歌三  NO.625 )
       ありあけの つれなくみえし わかれより
                あかつきばかり うきものはなし


* 歌意は、「 有明の月が 素知らぬ顔をして空にかかっているように見えた朝 あの人は私を拒んだので別れたが あれからは暁ほど 辛く悲しいものは無くなった 」といった、「逢えない恋」として、訳しました。
但し、古来、この和歌は、つれなく見えたのが、月なのか、女なのか、その両方なのか、といった論争があり、受け取り方で歌意は変わってきます。
藤原定家は、月を支持して、同時に大変高い評価がなされました。それ以来、この和歌は、古今和歌集における第一等の名歌とされているのです。

* 作者の壬生忠岑(ミブノタダミネ)は、古今和歌集の撰者です。当然、当代一流の歌人と考えられますが、その出自などは今一つはっきりせず、身分も低い人物だったようです。
父は、従五位下壬生安綱とされているようですが、異説もあり、不詳としている資料もあるようです。壬生氏は甲斐の地方豪族ともされていますが、京においては身分の低い扱いであったようです。

* 忠岑の生没年は不詳ですが、生年は 860 年前後、没年は 920 年頃と推定できます。
官位も、六位摂津権大目とされている資料が多いようですが、あまり確証はないようです。ほぼ間違いないとされるのは、「右近衛府生」に就いていたことのようです。文官というより武官として務めていたようですが、「府生」というのは雑務にあたる下役ですから、とても六位相当の職務ではないようです。

* ただ、歌人としては、当時ばかりでなく、後世においても高い評価を受けいます。古今和歌集には34首、勅撰和歌集全体では81首採録されており、一流の歌人と評価されるべきと思われます。
その中でも、次の和歌は、第三番目の勅撰和歌集である「拾遺和歌集」の巻頭歌に選ばれているのです。
『 春立つと いふばかりにや み吉野の 山も霞みて けさは見ゆらむ 』
そして、忠岑から80年ほど後の時代に活躍した藤原公任は、この歌を最高位の和歌と評価したことから、「古来秀歌中の秀歌」とされたようです。

* このように、忠岑は低い身分にありながら、歌人として高い評価を受け、存分の活躍をしたと思われます。同時に、この時代は、身分制度の厳しい社会と考えられますが、才能ある者に対しては、少なくともその分野においては、相応の評価をする社会だったように思われるのです。
それは、もしかすると、絵画や工芸、あるいは技能や武術などにおいても、官位などに繁栄されないまでも、相応の評価がなされる社会であったのかもしれない、と思われるのです。

     ☆   ☆   ☆

 

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