雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

原発 危機一髪

2022-03-04 18:19:10 | 日々これ好日

       『 原発 危機一髪 』

     ウクライナの原発 火災発生の報
     ロシアの空爆によるもので 
     隣接の建屋が炎上したが 放射能異常は発生していないようだ
     すでに 無差別攻撃が 始まっているのかもしれない
     同じような事が 
     わが国では起きないという 保証はあるのだろうか
     そう思いたいが 可能性が皆無とは とても言えまい
     さて その時私たちは どのような行動を
     することが出来るのだろうか うーむ・・・

                   ☆☆☆

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人を見ぬ目の

2022-03-04 08:00:10 | 古今和歌集の歌人たち

       『 人を見ぬ目の 』 

 

    下つ出雲寺に人のわざしける日、真静法師の導師にて言へりけることを
    歌によみて、小野小町がもとにつかはしける
                        作者  安倍清行朝臣

  包めども 袖にたまらぬ 白玉は
          人を見ぬめの 涙なりけり

( 巻第十二 恋歌二  No.556 )
     つつめども そでにたまらぬ しらたまは
              ひとをみぬめの なみだなりけり


* 歌意は、「 包み隠そうとしても 袖からこぼれ落ちてたまらない 白玉は 導師が話してくれた永く袖の中にあった白玉と違って あなたに逢えないことの 涙なのです 」といった、恋歌でしょう。
この和歌の詞書(コトバガキ・前書き)にありますように、法会の説教を聞いた後、小野小町に贈った歌です。ただ、「人」は、恋人と「亡き人」を掛けているともされますので、その場合は大分歌意は変わってきます。
なお、下つ出雲寺は賀茂川の近くにあった寺です。また、真静法師は河内国の人で、古今和歌集に二首選ばれていますので、当時は著名な僧侶だったのでしょう。

* この和歌を贈られた小野小町は返歌を贈っていて、その和歌が古今和歌集に並んで載せられています。
『 おろかなる 涙ぞ袖に 玉はなす 我はせきあへず たぎつ瀬なれば 』
( 本心からではない あなたの涙ですから 袖で玉になっているのでしょう 私の涙はとてもせき止めることなど出来ないのです 激流になっていますから )
この返歌も、激しい恋歌と取ることも出来ますが、おそらく、軽く受け流したものだと思われます。
古今和歌集における歌の配列順には、様々な工夫がなされているようですが、この二つの贈答歌の前後には、「つれない恋」や「夢の中のこと」を詠んだ歌が配置されています。その事からも、この二つの歌のやりとりは、真剣なものとしては受け取られていなかったのでしょう。
何せ、小野小町となれば、絶世の美女であり、歌の上手であり、色恋においても当代随一の女性とされています。作者の安倍清行では少々荷が重いのではないかと思ってしまいます。
ただ、これだけの歌を交換するのですから、そこそこの交流があったことは確かなのでしょう。

* 作者の安倍清行の父は、大納言安倍安仁です。つまり上級の貴族の家柄といえます。
清行の生年は 825 年、没年は 900 年ですから、平安京が落ち着き始めた頃の人ということになりますが、同時に、藤原氏が大きく台頭していく時代でもあり、清行にとって難しい時代だったと考えられます。
清行は、十二歳で文章生(モンジョウセイ・大学寮で学ぶ学生)になっています。これがどの程度評価すれば良いのか分からないのですが、若くして才能が認められていたのかも知れません。
その後、官職を歴任していきますが、清行の場合は、中央の官職と地方官を激しく行き来しています。
伝えられているものを列記しますと、大宰大弐・周防守・伊予守・播磨守・陸奧守・讃岐守を務めており、その間には京で左衛門権佐や五位蔵人などに就いています。
最高位は従四位上ですから、公卿にまでは昇ることが出来ませんでした。上級の受領クラスの貴族ということになるのでしょうが、その分、受領は実入りの良い職務ですから経済的には恵まれていたことでしょう。また、これだけ守護職を歴任していますから、地方行政の能力を高く評価されていたとも考えられます。

* 安倍氏の始祖は、第八代孝元天皇の御子大彦命とされています。孝元天皇となりますと、「欠史八代」と呼ばれる天皇の一人で、皇位にあったのは紀元前二百年前後まで遡ります。限りなく神代に近付きます。
また、安倍仲麻呂、安倍晴明、そして安倍晋三元総理も同族ということになりますが、枝分かれしたのは相当古い時代のようです。 

* 作者 安倍清行は、神代まで遡る家柄の貴族として、平安時代の前期に活躍しました。歌人としてよりも、有能な地方行政官として高い評価を受けたのではないでしょうか。官位は思うに任せないものだったかも知れませんが、経済的には恵まれ、小野小町らとの交流などもあり、豊かな生涯を送った人物であったと思うのです。

     ☆   ☆   ☆

 

 

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