『 今日は冬至 』
今日は冬至ということで
「ナンキン」などを入れた 煮込み「うどん(ウンドン)」をいただいた
このあと ゆず湯に入って わが家の冬至の行事は終了
明日からは 昼の時間が少しずつ長くなるので
活動時間も 少しずつ増やしなさいと 言うことらしい
ただ 今年は どうやら寒さが厳しそうなので
自然のご要望には 応えられそうもない
☆☆☆
『 なげきの森 』
題しらず 作者 さぬき
ねぎごとを さのみ聞きけむ 社こそ
はてはなげきの 森となるらめ
( 巻第十九 雑躰歌 NO.1055 )
ねぎごとを さのみききけむ やしろこそ
はてはなげきの もりとなるらめ
* 歌意は、「 参拝者の願いごとを それほど沢山聞き届けられた 神様ならば しまいには嘆きという木で 森になってしまうでしょう 」といった、機知に富んだ歌のように思われます。
なお、「ねぎごと」は、神仏への願いごと。「なげき」は、「嘆き」と「祈願で火に投げ入れる木」を掛けています。
* 作者の生没年などは未詳です。
ただ、父の安倍清行の生年は 825 年、没年は 900 年であることが分かっており、清行は 886 年に讃岐守に任じられています。
おそらく、作者名の「さぬき」が女房名、あるいは通称名だとすれば、当時の習慣からして、父が讃岐守に就いてからのことと思われます。従って、乱暴な推定ですが、886 年頃には、作者は成人に達していたのではないでしょうか。
* 「讃岐」という著名な歌人がいます。「二条院讃岐」とも呼ばれていますが、この人は、本歌の作者である「さぬき」より二百年以上後世の女性で、源三位頼政の娘です。二条院讃岐は多くの歌を残し、小倉百人一首にも選ばれていますが、この女性は本歌の作者「さぬき」とは別人です。
* 残念ながら、作者「さぬき」の消息を全く探ることが出来ませんでしたが、父の安倍清行は従四位下まで昇っていて、数カ国の守護職も歴任しています。さらに、祖父の安仁は大納言に就いているので、「さぬき」は中級以上の豊かな貴族の姫として育ったものと推定できます。
しかし、やはり、これだけ面白味のある歌を残した作者の足跡が伝えられていないことは惜しい限りです。いつの日にか、この作者の研究者が、埋もれた宝箱から家集でも見つけ出してくれると嬉しい、などと夢想しています。
☆ ☆ ☆