雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第百五回

2015-07-24 08:35:40 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 三十一 )

姫さまは複雑なお気持ちのようでございましたが、御賀の行事が始まりました。
後深草院と亀山院、春宮(トウグウ)、大宮院と東二条院のお二方の女院、今出川院(亀山天皇の中宮)、姫宮、春宮大夫西園寺実兼殿と続かれます。
誦経の鐘の響きも一段と高く聞こえてきます。

階(ハシ)の東側には、関白鷹司兼平殿、左大臣二条師忠殿、右大臣九条忠教殿、花山院大納言長雅殿、土御門大納言定実殿、源大納言通頼殿、大炊御門の大納言信嗣殿、右大将源通基殿、春宮大夫と続き、春宮大夫はすぐに席をお立ちになられましたが、さらに、左大将鷹司兼忠殿、三条中納言実重殿、花山院中納言家教殿、家奉行の院司左衛門督と居並んでおられます。
階の西側には、四条前大納言隆行殿、春宮権大夫源具守殿、権大納言洞院公守殿、四条宰相隆康殿、右衛門督藤原基顕殿と居並んでおられます。
そうそうたる御身分の方々でございますが、例えば、源通基殿は姫さまのいとこにあたり、四条隆行殿は叔父に当たられますが、またいとこなど、縁戚を少し広げれば、姫さまに繋がる御方が多く伺候されておられます。

天皇は御引直衣に生絹(スズシ)の御袴をお召しになり、後深草院は御直衣に青匂いの御指貫、亀山院は御直衣に綾の御指貫、春宮は御直衣に浮織物の紫の御指貫をお召しになられています。
皆様、御簾の内においでになられ、左右の大将、右衛門督は弓を持ち、矢を負っています。

楽人・舞人が鳥向楽(チョウコウラク・雅楽)を演奏を始めました。
まず、鶏婁鼓(ケイロウコ・小太鼓に似たが楽器)が先に立ちます。乱行(ランギョウ・雅楽の笛の曲)にのって、左右の舞人が鉾(ホコ)を振って舞い始めます。
このあと、壱越調(イチコツチョウ・雅楽の調子の一つ)の調子を吹いて、楽人・舞人たちは衆僧が集まっている所に向かい、左右に別れて参上します。
中門を入って、舞台の左右を過ぎて、階の間を通って昇り、着座します。

     * * *

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二条の姫君  第百六回

2015-07-24 08:34:41 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 三十二 )

講師法印憲実、読師僧正守助、呪願の僧正が座に昇りますと、堂達(ドウタツ・法会の際に願文を導師に、呪願文をを呪願師に捧げる役僧)が磬(ケイ・打楽器。石板で作るが仏教では銅板)を打ち鳴らします。
堂童子(ドウドウジ・宮中などの法会で花筥を配る役の公家の子息)は、高階重経・藤原顕範・平仲兼・藤原顕世・勘解由小路兼仲・五辻親氏たちで、左右に分けて伺候しています。
唄師(バイシ・法会で声明を唄う僧)の発声の後、堂童子たちが花筥を配り始めました。
楽人は渋河鳥(シンガチョウ・雅楽の一つ)を演奏して、散華行道(サンゲギョウドウ・清めのために読経しながら樒や紙製の花をまき散らす仏事)が一度行われ、楽人が鳥婁鼓を演奏して、御前にひざまずきました。楽人の一番手は多久資で、院司の藤原為方殿が録を与えられました。

その後、机を片付けて、舞が奏せられました。
ほんの少しばかり降り注ぐ春雨が、まるで糸を身にまとっているかのようですが、それを厭う様子もなく、居並ぶ様子は壮観ではありますが、姫さまには、いつまで続くのかと少し覚めたご様子に見えました。
左方には、万歳楽・楽拍子・賀殿・陵王(いずれも雅楽と舞)、右方は地久・延喜楽・納蘇利(いずれも雅楽と舞)が奏せられています。
二番手として多久忠が勅禄の手とかいうものを舞いました。
この間に、右大臣が席を立って、左の舞人狛近保を召して、禄をお与えになりました。
うけたまわって再拝すべきでありますのに、右の舞人多久資、楽人豊原政秋も同じように禄を頂戴しました。
「政秋が、笙の笛を持ちながら拝舞して起き伏すさまは、すばらしかった」などのお沙汰がありました。

講師が座を降りて、楽人は楽を演奏しています。
その後、衆僧にお布施が下されました。
頭中将藤原公敦殿・左中将京極為兼殿・少将源康仲殿などは、闕腋(ワキアケ・武官の束帯用の上着)に平胡籙(ヒラヤナグイ・矢を差して背に負う道具)を負っています。その他にも、縫腋(モトハシ・文官の束帯用の上着)に革緒の太刀を、多くは細太刀ですが警備の人が居並んでいます。
やがて、衆僧たちが退出する時には、雅楽が演奏され、楽人・舞人は退出していきました。

大宮院・東二条院・准后方の御膳を差し上げることになり、姫さまも伺候なさいました。
准后の陪膳は四条宰相殿、役送(ヤクソウ・膳部を運んで陪膳役に取り次ぐ役)は左衛門督でございました。

     * * *
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二条の姫君  第百七回

2015-07-24 08:33:35 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 三十三 )

次の日は三月一日にあたっておりました。
天皇・春宮・後深草院・亀山院の御膳に姫さまも伺候されました。
舞台を取り払って、母屋の四面に壁代(カベシロ・壁の代用として垂らす帷)を掛けていて、その西の隅に御屏風を立てて、中の間に繧繝縁(ウンゲンベリ)の畳二畳を敷いて、その上に唐錦の茵(シトネ)を敷いて、天皇の御座が設けられています。

後深草院・亀山院の両院の座は、母屋に設けられています。
東の対の一の間に繧繝縁の畳を敷き、その上に東京(トウギョウ・トンキン、現在のベトナム)産の錦の茵を敷いているのは、春宮の御座のようです。
天皇・両院の御簾の役は関白殿、春宮には傅の大臣師忠殿の遅参で、春宮大夫が御簾の役に参られました。

天皇は常の御直衣に、紅の打御衣に綿の入れられたものを出だし衣にされています。
後深草院は固織物の薄色の御指貫、亀山院は浮織物の御直衣に同じ御指貫をお召しになり、これも紅の打御衣に綿の入れられたものを出だし衣にされています。
春宮は浮線綾の御指貫で、打御衣の綿の入っていないものを出だし衣にされています。

御膳が参りました。
天皇の陪膳は花山院大納言、役送は四条宰相と三条宰相です。
後深草院の陪膳は大炊御門の大納言、亀山院の陪膳は春宮大夫です。
春宮の陪膳は三条宰相で、役送は四条隆良殿です。この御方は、姫さまの叔父にあたりますが、桜襲の直衣、薄色の衣、同じ色の指貫、紅の単衣、壺胡籙・老懸(ツボヤナグイ・オイカケ・・武官の装束)までも付けていて、今日を晴れがましい日と思っておられるのが伝わってきます。

御膳が終わった後、管弦の御遊がございました。
天皇の御笛として、柯亭(カテイ)という御笛を箱に入れて平忠世殿が差し上げました。関白が受け取って御前に置かれました。
春宮の御琵琶は、玄上という名器だそうです。土御門親定殿が持って参上したのを、春宮大夫が受け取って御前に置かれました。
臣下の笛の箱は別にあります。笙は土御門大納言、同じく左衛門督。篳篥(ヒチリキ)は藤原兼行殿、和琴(ワゴン)は大炊御門大納言、笙の琴は左大臣、琵琶を春宮大夫、拍子は徳大寺大納言、洞院三位中将は筝の琴、中御門宗冬殿は付歌。
催馬楽の呂の歌で安名尊・席田。演奏は鳥の破急、律で青柳、万歳楽などが奏せられました。
そして、三台の急(雅楽で舞も加わる)もございました。

お祝の行事は、まだまだ続くのですが、思い返してみますと、姫さまにとって、これほど華やかで、貴き御方々が集われる会は、これが最後になられたのでございます。

     * * *




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二条の姫君  第百八回

2015-07-24 08:32:32 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 三十四 )

御遊が終わりますと、和歌の御会が行われました。
六位の殿上人が文台・円座の準備をします。身分の低い順に懐紙を置いてゆきます。
藤原為道殿は武官の装いです。弓と一緒に懐紙を取って、昇って、文台に置きます。残りの殿上人の分を取り集めて、平信輔殿が文台に置きました。
為道殿より先に、春宮権大進が春宮の御円座を文台の東に用意されました。

公卿方は、関白・左右大臣・儀同三司・兵部卿・前藤大納言・花山院大納言・右大将・土御門の大納言・春宮大夫・大炊御門の大納言・徳大寺の大納言・前藤中納言・三条中納言・花山院中納言・左衛門督・四条宰相・九条侍従三位、とそうそうたる方々でございます。

公卿方は皆さま直衣姿でありますが、右大将源通基殿だけは上着に魚綾(ギョリョウ・綾錦の一種)の山吹襲の衣を出だして太刀を帯びておられました。笏と一緒に懐紙を持っています。
これ以外の御会に関係ない公卿方は、弓を持ち矢を負っておられます。

花山院中納言が、講師を召されますと、頭中将藤原公敦殿が参上されました。
読師(ドクシ・歌会を統括し、懐紙・短冊などを講師に渡す役)は左大臣に仰せがありました。しかし、故障を申し上げられましたので右大臣が参られました。兵部卿・藤中納言もお召しにより参上しました。

権中納言の局の歌が、紅の薄様の紙に書いて簾中から出されますと、
亀山院が「雅忠卿(二条の父)の娘の歌はどうして見えないのですか」とお尋ねになりました。
大宮院は「体など悪いのでしょうか。誦じたくないと申しまして」とご返事なさいました。
「どうして、せめて歌だけでも差し上げないのか」
と、春宮大夫西園寺実兼殿が姫さまにお尋ねになられましたので、
「東二条院より『二条の局の歌をお召しにならないように』と准后さまにお申し入れなさったと聞いておりますので」と、小声でお答えになられました。
 『 かねてより数に漏れぬと聞きしかば 思ひもよらぬ和歌の浦波 』
 (初めから歌人の数に入っていないと聞いておりましたから、和歌を詠もうとは思いもよりません)
これは、その時の姫さまの悔しさが溢れるご心境でございます。

天皇と亀山院の御歌は、関白殿下が頂戴なさいました。
春宮の御歌は臣下と同列で、同じ講師がお読みになられました。
天皇と亀山院の御歌は、左衛門督公衡殿が読師で、関白殿下がその都度披露なさいました。
歌会はまだまた続きましたが、幾つかの御歌を記しておきましょう。

「従一位藤原朝臣貞子九十の齢を賀する歌」
天皇の御歌
 『 行く末をなほ長き世とよするかな 弥生にうつる今日の春日に 』
亀山院の御歌
 『 百色と今や鳴くらむうぐひすの 九返り(ココノカエリ)の君が春経て 』
春宮の御歌
 『限りなき齢は今は九十(ココノソヂ) 千代遠き春にもあるかな 』

その他の多くの御歌の中でも、春宮大夫実兼殿の
 『世々のあとになお立ち昇る老いの波 よりけむ年は今日のためかも 』
という御歌がたいそう評判となりました。
かつて藤原実氏の大臣が催された一切経の供養の折の御会で、後嵯峨院が『花もわが身も今日さかりかも』とお詠みになり、大臣が『わが宿々の千代のかざしに』とお詠みになったのは実にすばらしかったが、春宮大夫の今回の御歌はそれに劣らない、ということでございました。

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二条の姫君  第百九回

2015-07-24 08:31:21 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 三十五 )

御歌会の後には、御蹴鞠が行われるということで、皆さま色とりどり袖を出だし衣として出されました。
天皇、春宮、亀山院、関白殿、内の大臣方をはじめとして、思い思いのお姿は、それは華やかなものでございました。
後鳥羽院の建仁年間の例にならって、亀山院が御上毬(アゲマリ・最初に毬を蹴上げる役で、貴人や名人がする)をなさいました。

御蹴鞠が終わりますと、天皇は今宵還御なされます。
なお、まだお楽しみになられたい御様子に見受けられましたが、春の除目があるということで、還御を急がれたそうでございます。

次の日は、天皇還御の後でございますから、六衛府の官人の姿も見えず、全体に打ち解けた様子でございました。
正午の頃、北殿より西園寺にかけて筵道が敷かれました。両院は御烏帽子に直衣、春宮は御直衣に括りをあげておられます。
あちこちの堂を御巡礼され、西園寺邸内の妙音堂に御参拝になられました。
いかにも今日の御幸をお待ち申し上げたかのような桜がたった一本見えますのも、「ほかの散りなむ後に咲くのがよい」などと、誰が教えたのかとゆかしく思っておりますと、
「管弦の御遊が始まります」
ということで騒ぎ立てるものですから、衣被きの女房たちに交じって大勢人が出てきますと、両院・春宮は建物の内に入られました。

廂には、笛が花山院大納言、笙が左衛門督、篳篥(ヒチリキ)が藤原兼行殿、琵琶が春宮の御方、春宮大夫は琴、太鼓は源具顕殿、羯鼓(カツコ・鼓の一種)は藤原範藤殿、調子は盤渉調にて採桑老・白柱・千秋楽などが演奏されました。
兼行殿が、「花上苑に明らかなり・・」と朗詠されました。
楽器の音色が調和して素晴らしかったうえに、二度繰り返して終わった後に、「情けなきことを機婦に妬む・・」と後深草院が朗詠されましたのに、亀山院と春宮が御声を加えられましてのが実に見事でございました。
演奏が終わりますと還御なさいましたが、集まった人々はまだ名残が尽きないご様子で、豪華であった催しの数々を繰り返しお話されておりました。

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二条の姫君  第百十回

2015-07-24 08:30:02 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 三十六 )

豪華な催しの数々が果てた後は、それでなくとも寂しいものですが、姫さまにはそのお気持ちが特に強いご様子でございました。
演奏や舞などをお楽しみにはなられておりましたが、心の内では、何か場違いなものを感じられていたようで、やはりこのような場所には出るべきではなかったと、つい先ほどまでのことを思い出されながら感じられているようでした。

妙音堂では、御所さまの御声が間近に聞こえ、懐かしさに胸が詰まるご様子でしたが、すぐに御蹴鞠が始まるということで、親しくお話しする機会がないままに、御所さまは場所をお移りになり、姫さまだけは取り残されたように堂内に残っておられました。
すると、姫さまの叔父にあたります隆良殿が、「お手紙です」と言ってお持ちになられました。
「宛先が違うのでは」と、姫さまは申されましたが、強く差し出されるものですから姫さまは受け取り開けてみますと、
「『 かき絶えてあられやすると試みに 積る月日をなどか恨みぬ 』
やはり忘れられないというのは、別れられないということだろうか。長い年月の鬱積した気持ちを、今宵こそ晴らしたい」
などとございました。

姫さまの御返事は、
『 かくて世にありと聞かるる身の憂さを 恨みてのみぞ年は経にける 』
と、御返歌のみでございました。
すると、御蹴鞠が終わった後の酉の頃(午後七時頃)に、休息されておりました姫さまのもとに御所さまが入って来られました。

「これから船に乗るのだ。一緒に参れ」
と御所さまが仰せになられましたが、姫さまはあまり乗り気のご様子ではありませんでした。
長らく華やかな場所から離れておられたこともあって、今一つ馴染めないご様子で、ぐずぐずとなさっておられますと、
「ふだんの衣装のままでよいから」
と、御所さま自らが姫さまの袴の腰紐を結んだり、上に着るものをとお付きの者に命じられたりと何かとお世話され、これには姫さまのかたくななお心も少しは和らいだご様子でございました。
この二年ばかり、おそらく御所さまのつれなさをお恨みになったこともございましたでしょうが、御所さまの以前にも増したお心遣いに、これ以上拒むわけには参らないと思われたのでしょう、涙を拭われて立ち上がられました。

あたりはすでに暮れておりましたが、釣殿より御舟に乗る準備がされておりました。
まず最初に春宮、続いてその女房方。大納言殿・右衛門督殿・高内侍殿の三人で、この方々は、礼装をされております。
小さな御舟に両院がお乗りになりました。
姫さまは、三つ衣に薄衣・唐衣だけの御衣裳で御供されておられましたが、春宮の御舟よりお召しがあり乗り移られました。
管弦の楽器などが乗せられ、小さな舟に公卿方が乗り、本戦の端船に付けられました。

     * * *




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二条の姫君  第百十一回

2015-07-24 08:28:40 | 二条の姫君  第三章
          第三章 ( 三十七 )

御舟での演奏は、花山院大納言が笛、左衛門督が笙、兼行殿が篳篥(ヒチリキ)、春宮の御方は琵琶、女房の右衛門督殿が琴、具顕殿が太鼓、春宮大夫が羯鼓(カツコ)と、妙音堂での昼の御遊そのままの調子を引き継がれ、何度も何度も繰り返され演奏されました。
兼行殿が、「山また山・・」と朗詠を始めますと、両院が声を加えられ、それはそれは素晴らしく、水の中にいる生き物たちが驚いているのではないかと思われるほどでございました。

やがて、釣殿から遠くに漕ぎ出してみますと、苔むした年を経た松が枝を交差させている有様など、御庭や池水の眺めはたとえようもございません。
漫々たる海の上に漕ぎ出したかの心地がして、「二千里の果てにまで来てしまったのだろうか」などと亀山院が申され、
「『 雲の波煙の波を分けてけり 』
管弦での演奏は、一切しないという誓いを立てているというので無理強いをしなかったが、これは断れまい。この後を付けよ」
と、姫さまを指名されました。

予想外のことで、一瞬姫さまは困った表情はされましたが、連歌の句を付けるのに引けを取るような姫さまではございません。
『 行く末遠き君が御代にて 』
とお詠みになられました。そうしますと、すかさず春宮大夫が続けられました。
『 昔にもなほ立ち越えて貢物 』
次は源具顕殿です。
『 曇らぬ影も神のまにまに 』
春宮の御方も、
『 九十(ココノソヂ)になほも重ねる老いの波 』
そして、亀山院は、
『 立ち居くるしき世のならひかな 』
と続けられました。

そして、
『 憂きことを心一つに忍ぶれば 』
と姫さまが詠まれますと、
「そのように申される心のうちの思いは、私が知っている」
と、御所さまは申されて、
『 絶えず涙に有明の月 』
と付けられました。
すると亀山院は、
「はて、ここに有明の月が出てくるのは、よく分かりませんねぇ」
などと仰っておられました。

夜も深まりましたので、春宮の行啓に御供している掃部寮の官人たちが、あちらこちらに松明を立てて還御を急がせている様子は、いつもとは違ってあやしく美しく見えます。
間もなく釣殿に御舟が着けられますと、皆さまが次々と下りられましたが、まだお楽しみの余韻が残っている様子が伝わって参ります。
その中にあって、あたかも水鳥の浮寝の床のような不安定な境遇にお暮らしの姫さまは、それぞれのお立場をお持ちの方々にはご理解いただけるはずもなく、どなたもお気遣いを見せて下さらないのが、何とも切ないものでございました。

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二条の姫君  第百十二回

2015-07-24 08:27:19 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 三十八 )

そういえば、この御船遊びの日の昼頃でございましたが、かねてよりご装束の見事さで評判の帯刀清景殿が、この日は二藍打ちの上下で、松と藤が刺繍されてあるものを着て内裏に参上されましたが、入れ違いに内裏からは、蔵人頭大蔵卿平忠世殿が参られるなど晴れがましいさまと慌ただしさが行き交っている様子でした。
祝賀に関わった方々への恩賞などのお手配なのでしょうか。

この度の祝賀の御贈物は、天皇へは御琵琶、春宮へは和琴だそうでございます。
また、官人たちへの報償も行われました。
後深草院の御給(オンキュウ・年給。上皇・女院などが推薦した一定数について任官・叙爵させることが出来る権利。それによる謝礼が所得の一部になる)では、藤原俊定殿が正四位下に、春宮の御給として平惟輔殿が正五位下に任ぜられました。
春宮大夫の琵琶の賞は二条為道殿に譲られることになり、為道殿が従四位上に昇進されたそうです。その他にも、数多くの恩賞が出されたそうでございます。

春宮の行啓も還御されましたので、すっかり寂しくなり、名残も惜しくありました。
御所さまは、これから西園寺の方角に御幸なされるということで、姫さまにお誘いの使いをたびたび寄こされました。
しかし姫さまは、「憂き身はいつも同じだ」などと申されて、二度と出仕なされるお気持ちはないようでございました。
この度の御祝宴におきましても、常に控え目であり、御立場も軽輩に近い御扱いが見えましたが、それでもその美しさと、知性溢れる御振舞いは自ずから際立っておりました。お仕えする者としては、このまま内裏を離れてしまわれるのは残念な限りなのですが、姫さまの憂き世を離れたいという思いは、極めて強いものでございました。

そしてほどなく、さるご縁を求めて、その宿坊に身を寄せることになったのでございます。

                                          ( 第三章 完 )

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