雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第八十五回

2015-07-24 10:36:48 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 十一 )

九月の御供花の行事は、いつもより立派に行うということで、早くから大騒ぎになっておりました。
姫さまは、懐妊中の身であり遠慮すべきだとお考えになり、お暇をいただくように申し出られましたが、それほど目立たないから、人数をそろえるためにも参加するようにとのお言葉がありました。

当日姫さまは、薄紫色の衣に、赤色の唐衣、朽葉色の単衣襲(ヒトエガサネ)に青葉の唐衣で夜の当番を勤めておられましたが、
「阿闍梨様がご参上になりました」
という声が聞こえて参りました。
姫さまは予期されておられなかったご様子で、少し緊張されたように見受けられました。御供花の御結縁ということで、御堂に御参りされたのです。

姫さまが此処においでだということは、法親王はご存知でないはずなので、お逢いすることはないと姫さまはお考えになっておられましたが、法親王にお仕えしている法師がやってきて、
「御所からの御使いでございます。『御扇が御堂に落ちているかどうか、お探しになり、お届けするように申せ』と仰せでございます」
と言う。

姫さまは、何だかおかしな御用だと思いながらも、中の襖を開けて見てみましたが見当たりません。少しばかり探された後、襖を閉め直して、「ございません」とお答えして、使いの法師を返しました。
すると、その襖を少しばかり開けて法親王がお顔をお見せになられたのです。
「あまりにも逢えない日が続き、心の鬱屈が増すばかりです。不都合でない人を頼って、あなたの里を訪れましょう。決して人に漏らすようなことはないので心配ありません」
などと仰られます。

このようなことは、たとえどのような人の力を借りるとしても世間には漏れてしまうものですから、姫さまは、それにより法親王というお立場が悪くなることを心配なされましたが、その切なげな表情を見るにつけ、「だめです」などと強く拒絶することなど出来ず、「世間に漏れないのであれば結構です」と、お答えされてしまいました。
法親王がお帰りの後、祈祷の時間も過ぎたので、姫さまが御所さまの御前に参られますと、
「扇の使いはいかかであった」
と、お笑いになられるので、先ほどの扇の一件は御所さまの心配りのおつもりだったのだと、姫さまは納得されたようでした。

さて、十月の頃になりますと、時雨がちな空模様が多く、姫さまのお心も沈みがちのようでございました。
特に今年は、身重のお体でもあり、心細さが増すばかりなので、嵯峨に住んでいる継母の所に下がって、法輪寺にお籠りになられました。
嵐山の紅葉も憂き世を吹き払う風に誘われて、大井川の瀬々に波となって打ち寄せる錦のように見えるのも、姫さまには懐かしい事々を思い出させるものでありました。
公私にわたる数々の思い出の中でも、後嵯峨院の宸筆の御経供養の時の、人々の姿や捧げ物の品々までが思い浮かんできたのでしょうか、ひと筋ふた筋と涙を流されるのでした。

「ああ、このあたりで鳴く鹿の声は、誰と共に鳴いているのだろうか」
などと呟かれて、御歌を詠まれています。
『 わが身こそいつも涙の隙なきに 何を偲びて鹿の鳴くらむ 』

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二条の姫君  第八十六回

2015-07-24 10:35:52 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 十二 )

いつもより物悲しく感じられる夕暮れ時に、由緒ある殿上人のお出でがありました。何方かと出てみますと、楊梅(ヤマモモ)の中将兼行殿でございました。
いつもとは少し様子が違うものですから姫さまにお出まし願いますと、
「急に大宮院(後深草・亀山両院の生母)のご様子がよろしくないということで、今朝から嵯峨御所に御幸がありましたので、あなたのお里をお尋ねしましたところこちらだということなので、尋ねて参りました。女房方もお供していない急な御幸なのです。宿願ならば、後でまた籠ればよい。何はともあれ参上されよ、との御申し付けでございます」
という、御使者だったのです。

籠ってから五日目なので、あと二日というところで宿願を果たせなのは御仏に後ろめたい気持ちもされたようですが、車まで用意されている上は、姫さまもお断り出来るはずもありません。
それに、姫さまが嵯峨に下がっておいでなのをあてになさって、他の女房をお連れしていないとなれば、ともかくも参上されないわけにはまいりません。
そのまま、嵯峨殿内の大井殿の御所に参りますと、女房たちは皆里へ退出などしていて、ちゃんとした人の姿は見えません。
どうやら、姫さまが嵯峨に居ることをあてにされて、御所さまばかりでなく新院(亀山上皇)にも女房が伺候されておらず、御二人が同車されていて、後ろには西園寺実兼大納言殿が乗っているだけでした。

到着したのは、大宮院から両院に御食事を差し上げる時分でした。
大宮院の御病気は脚気で、大したこともないご様子でございました。たいへん結構だということで、両院は御快気祝いをしようということになり、まず御所さまが主催される分としては、春宮大夫でもあります西園寺実兼大納言殿に御下命がありました。
彩絵(ダミエ・彩色された絵)を描いた破籠(ワリゴ・食物を入れる籠)十合(十個)に、御食事、御酒肴を入れて、それぞれの御前におかれました。伺候の方々にも同様に振る舞われました。
これで三献召し上がった後お盃を下げて、ご飯となり、その後で再び様々な御酒肴で御酒を召し上がられました。

大宮院の御方へ、紅梅と紫の布で、腹の部分を練貫で仕上げた琵琶、染物で作った琴を差し上げられました。
新院の御方には、方磬(ホウキョウ・打楽器の一種)の台を作り、紫の布を巻いて、色とりどりの濃淡のある染物で方形に作って、守り袋のひもで下げて打楽器の鉄板に見立てて、沈(ジン・香木)の柄に水晶を入れて撥(バチ)にしたものを差し上げられました。
女房たち一同には、陸奥紙を百帖に、染物でいろいろなものを作ったものを置かれ、廷臣方には、鞦(シリガイ・牛車の牛の尾につける組紐)・色革とかいう物を積んで置くなど、おびただしい贈り物が用意され、夜通しの御遊びとなりました。

姫さまは、いつものように両院や大宮院の御酌などのお世話にあたられました。
その間も途切れることなく楽器の演奏が続きました。
御所さまは御琵琶、新院は御笛、洞院中納言殿は琴、大宮院にお付きの姫君は御琴、春宮大夫実兼大納言殿は琵琶、公衡(キンヒラ・実兼の子)中納言殿は笙の笛、兼行中将殿は篳篥(ヒチリキ)を演奏なさるなど、華やかな宴会が続きました。

     * * *

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二条の姫君  第八十七回  

2015-07-24 10:34:54 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 十三 )

夜が更けてゆくにつれて、嵐山の松風が雲居に響く音も物寂しい上に、浄金剛院の鐘の音がここまでも聞えて参るのです。

御祝宴もたけなわの中、御所さまが、『都府楼はおのづから・・・』とかいう朗詠を始められますと、皆さま感興は極まって座が静かになりました。すると、大宮院の御方から、
「ただ今、盃はいずれにありますか」
とお尋ねになられました。
新院の御前にございますとお答えがありますと、盃のある新院の朗詠で御酒をいただこうとの御意向でしたので、新院は畏まっておられましたが、御所さまがお盃とお銚子とを持って、母屋の御簾の中にお入りになり、大宮院の御方に一度お勧めした上で、『嘉宸令月歓無極・・・』と朗詠され始めますと、新院も御声を合わせられました。

大宮院は、
「年寄りの憎まれ口を申しましょう。
私はこの濁世の末世末代に生まれたのは悲しいことだとは申せ、もったいなくも后妃の位について、両上皇の親として、二代にわたっての国母であった。齢はすでに六十を超え、この世に思い残すところはない。ただ次の世で、九品のそれ以上がないくらいを望むだけであるが、今宵の御楽は上品蓮台の暁の楽の音もこのようなものかと思われ、今の御声は、極楽の迦陵頻伽(カリョウビンガ・極楽にいるという鳥)の御声もこれ以上ではありますまいと思うにつけても、願わくば今様を一返拝聴して、今一度御酒をあがりましょう」
と申されて、新院をも御簾の内に入られるよう申されました。

春宮大夫が御簾の側に召されて、小几帳を引き寄せて、御簾を半ばまで上げられました。
『 あはれに忘れず 身に染むは
  忍びし折々 待ちし宵
  頼めし言の葉 もろともに
  二人有明の 月の影
  思へばいとこそ 悲しけれ 』
と、両上皇が歌われましたのは、何にたとえることも出来ないほど情緒溢れるものでございました。

最後は、酔い泣きでしょうか、次々と昔の話などが出て来まして、皆様しんみりとなされ、やがて退出されて行きました。
御所さまは大井殿にお戻りになられることになり、新院も同じ御所にお泊りになるご様子でした。
春宮大夫実兼大納言殿は、その場の雰囲気を察せられてか退出されました。
御所さまには、まだ若い殿上人が三人ばかり伺候されているだけですので、姫さまも退出するわけには参りませんでした。 

     * * *


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二条の姫君  第八十八回

2015-07-24 10:32:33 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 十四 )

「たいそう人が少ないので、御宿直を申し上げよ」
ということになり、姫さまはそのまま宿直されることとなりました。

御所さまと新院の御二人は御一緒にお休みになることになられましたが、こういうことなどめったにないことでございましょう。
姫さまがただお一人で伺候されておりますと、御所さまが「足をさすれ」とお命じになられました。
御所さまお一人であれば当然の御役目でございますが、すぐ近くに新院もいらっしゃるのですから、姫さまも少し当惑なさいましたが、このお役目を他の人に任せるわけには参りませんから、御命令に従っておりますと、
「この人を、二人の近くで寝ませて下さい」
と、新院はしきりに御所さまに申されるのです。

「実は、二条は懐妊中の身ということで里に下がっていたのを、急に、女房がいないということで召し出して仕えさせているのです。立居振舞いも苦しげでありましょう。このようでない時でなければ、仰るようにするのですが」
と御所さまが御返事されましたが、
「一院(後深草院)のお側でございますから、間違いなど起こりますまい。源氏物語の朱雀院は、源氏に女三の宮さえお許しになったのに、どうしてこの人に限ってお許しにならないのですか。
私は、『女房は誰でも、一院のお心にかなえばお好きになさるように』と申しておりました。その私の誓いも甲斐なくなってしまいます」
などと、くどくどと仰せになられるのです。

ちょうどその頃、按察の二品(アゼチノニホン・新院の乳母)のもとにお出でだった、『斎宮に入られるだろう』と噂されていた新院の姫君を自分に後見させるよう御所さまがいろいろと申し入れされていることも指していると思われますが、御所さまは姫さまに、「お側にいなさい」と仰ることもなく、ひどく酔い過ごしておられましたので、お寝みになってしまわれました。
御前には、これといった女房もいないので、新院は「他のところへ行けないのか」と仰られて、姫さまを御屏風の後ろに強引に連れて行かれたのですが、御所さまは全くお気付きでない様子でした。

明け方近くになったので、新院は御所さまの側にお戻りになって、お目を覚まさせるようにお声を掛けますと、御所さまは初めて目覚められました。
「寝坊していたので、添臥しにも逃げられてしまったようだ」
などと仰られますと、新院は、
「つい先ほどまで、ここに居りましたよ」
などと仰られているのを、姫さまは少し離れてお聞きになっておられました。

姫さまのお心に後ろめたいものがなかったわけではありませんが、昨夜来の両院の御話などを聞いておりましたので、それほど深刻に罪の意識を感じることはなかったようでございます。
姫さまは、そのままお近くで伺候されておられましたが、特別なご用もなく、また夕方になりますと、今度は新院がご饗応されるということで、藤原景房殿が御下命を受けました。

     * * *




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二条の姫君  第八十九回

2015-07-24 10:30:47 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 十五 )

「昨日は西園寺大納言殿がお接待役であったのに、今日は景房殿が新院の御代官さながらに並んでいるのは、接待役として格が劣る」
などと仰る方がおいででした。
確かに、景房殿は殿上人に過ぎませんから、西園寺実兼殿と比べるのはお気の毒です。ただ、御祝宴は、ごく普通の仕方で御食事・御酒盛りなどと、いつも行われていることでもあるのです。

大宮院の御方へは、染物で岩を作り、地盤には水の紋を描いて、沈香の舟に丁子香を積んだ作り物を差し上げられました。
御所さまへは、銀の柳筥に沈香の枕を据えて差し上げられました。
女房の方々には、糸綿で山や滝の景色などを作った物を差し上げられました。
廷臣の方々へは、色革・染物で柿を作って差し上げたりされましたが、その後で新院からわざわざお言葉があり、
「たった一人で、一院に伺候されている人に」
ということで、唐綾・紫村濃十ずつを五十四帖の草子に作って、源氏物語の巻の名を書いた物を姫さまに差し上げられました。

御酒盛りは、昨夜で十分満足されたご様子で、今宵は大したこともなく終わりました。
春宮大夫実兼大納言殿は、風邪気味だということで今日は出仕されておられませんでした。
「わざとそう言っているのだろう」「いや、本当らしい」
などと皆さまが噂されておりました。
今宵も嵯峨殿内の桟敷殿に両院ともお渡りになられ、御食事もこちらで召し上がられました。
姫さまは御二人の御陪膳をお勤めになられました。

夜も、両院は御一緒に御寝みになることになり、姫さまは添臥しとして伺候されることになりました。
さすがに姫さまは、昨夜のこともありお気が進まない様子でございましたが、逃れるわけにもいかず、やむごとなき身にお生まれになり、格別の美しさに恵まれた御方の宿命とでもいうのでしょうか、あるいはこれを憂き世の習いとでもいうのでしょうか・・・。
姫さまは、真っ直ぐに御顔をあげられて、御寝所に向かわれたのでございます。

翌日は、両院は還御なさいますので、姫さまは、「法輪寺の宿願も残っておりますし、ただ今はこのような体ですので」ということで、こちらに残って実家に退出することになっておりました。
両院の御還御は、御幸と同じように御一緒で、御所さまには春宮大夫西園寺実兼大納言殿が、新院には洞院中納言殿が後部に同乗されました。
「賑やかに還御された後は、あまりに寂しいので、今日はここに伺候してください」
という大宮院の御意向があり、姫さまは残ることになりました。
すると、東二条院からだというお手紙が届きました。

姫さまは、御所さまがすでに御還御なされているのに、御所さまの正室である東二条院からどのようなご用のお手紙が届いたのかと不自然さを感じられたようでございました。
大宮院がお手紙をご覧になられましたが、
「これはまた何事ですか。正気の沙汰ではあるまい」
と、激しい口調で申されました。

「何事でございましょうか」
と、姫さまがお尋ねになられますと、
「そなたをここで、『女院の待遇として、その披露の意向として、管弦の御遊びなど様々な催し事があると聞くにつけ、とてもうらやましい。私は年老いた身でありますが、一院(後深草院)がお見捨てになることはないと思っておりましたのに』と、繰り返し言っておられるのよ」
と、仰ってお笑いになられました。
姫さまは、この御所に留まりますと、さらに問題を複雑にしてしまうと思われたのでしょう、大宮院の御意向を振り切るようにして、四条大宮にある乳母の所に退出なされたのです。

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二条の姫君  第九十回

2015-07-24 10:29:45 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 十六 )

それからほどなくして、法親王からの御手紙がありました。
ここからすぐ近い所に愛弟子の稚児がいるので、そちらを訪れているのでこちらに参るようにとの御手紙でございました。
姫さまの法親王に対するお気持ちは、なかなかに複雑なもののようでございましたが、何分お腹にはその御方の子を宿しておられるのですから、お誘いの便りに心が揺れるのは無理ないことでございます。

姫さまは、法親王を有明の月殿と心の内で思われたこともあるのですから、激しい離別のやり取りはありましたが、里暮らしの侘しさも手伝って、その稚児のもとをお訪ねになりました。
しかし、それも度々のこととなるにつけ、やがては世間の噂になる可能性があり、そのことが御立場を悪くしてしまうことを申し上げられましたが、法親王は耳を貸そうともされませんでした。

「この身がどのようになろうとも、どうだというのだ。そうなればなったで、片山里の柴の庵を住みかとして暮らそうと思う」
などと申されて、稚児の所に通ってきて、その度に姫さまをお召しになるのです。

そのような日が続いているうちに、やがて十月も末の頃ともなれば、姫さまの体調にも変化がみられるようになり、御気分の優れないことが多くなりました。
その上、御所さまの御指示があって、姫さまの母方の祖父である兵部卿(四条隆親)がご出産のお世話に当たられていることも、姫さまには気の重いことでございました。

姫さまがそのような状態に悩まれておられた頃、たいそう夜更けて、そっと世間を忍んだ様子の車の音がして、門を叩く者がありました。
「富小路殿(後深草院の御所の一つ)より、京極殿の御局のお渡りでございますぞ」
と、口上がある。
どういうことなのか、姫さまにもお心当たりがない様子でございましたが、富小路殿からとなれば無視することなど出来ませんので開けますと、網代車(アジログルマ・四位・五位クラスが常用する車)に、御所さまが質素なご装束を召された姿でお乗りになっていたのです。

予期せぬことに驚き立ちすくんでおりますと、姫さまも異様な雰囲気を感じられてお出ましになられました。
「特に話しておくことがあって、忍んで来たのだ」
と仰せになられました。
姫さまはすぐにお部屋にお迎えし、家の者も遠ざけてお話をされました。

「ところで、阿闍梨とのことは、世間に知れ渡ってしまったよ。それも、私に身の覚えのないことまで噂され、いろいろと妙なふうに誤解されているということも聞いている。
実は、他にも気になっていた人がいたのだが、今宵死産となってしまったと聞いたのだが、その方へは『決して他言するな』と申しつけて、まだお産は済んでいないことにしている。
そこで、間もなくそなたが出産する子をあちらに渡し、こちらの子は死産したことにする。そうすることで、阿闍梨とそなたとの噂も、何かと取りざたすることも静まってゆくだろう。
面白おかしく噂されることは、余りに興ざめなので、このように計らったのだ」
などと仰せになられ、夜明けを告げる鶏の声と共にお帰りになられました。

姫さまは、御所さまの苦心の御配慮はありがたく思われましたが、それにしても、わが子を人の子としてその成長を聞くことになるのかと思いますと、法親王との道ならぬ契りゆえの宿命かなどと、いっそうお心は沈むばかりでございました。
そんな姫さまのもとに、早速御所さまから御手紙が届きました。

「今宵の訪れ方は珍しい形であったことも忘れがたくて」
などと、細やかに御書きになられており、御歌は、
『 荒れにけるむぐらの宿の板廂 さすが離れぬ心地こそすれ 』

姫さまの御返書は、「離れられない間と仰せになられますが、それでもわたくしは、いつまで続くかと心細く」などと綴られた上で、御返歌を添えられました。
『 あはれとて訪はるることもいつまでと 思へば悲し庭の蓬生(ヨモギフ) 』

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二条の姫君  第九十一回

2015-07-24 09:29:42 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 十七 )

この日の夕暮れには、法親王がお近くまで来られていることを姫さまはお聞きになっておりましたが、出産も間近となりとてもお訪ね出来る様子ではございませんでした。
すると、夜更けてから法親王が訪ねて来られました。
姫さまは、御所さまのお話を聞いていたこともあり、噂がたっているなかの大胆な訪問にあきれられた様子でしたが、事情が分かっている二、三人以外には誰もいなかったので、お部屋にお入れになられました。

そして、昨夜来の御所さまのお話の趣旨を申し上げますと、
「とても、わがもとでは育てられないことは分かっているが、そなたのもとでも無理だということはまことに残念だ。世間には、もっと違う形もあるものを」
と、とても口惜しげでございましたが、
「御所の御計らいである以上、どうしようもあるまい」
などと、なお残念な口振りでしたが、やがて出産が間近となって参りました。

夜明けを告げる鐘の音と共にお生まれになったのは、男の子でございました。
その顔だちもまだ見分けがつかず、不憫な気がするその赤子を法親王は膝に抱いて、
「前世の因縁ゆえにこのようなことになったのであろう」
などと、止まることもなく涙を流しながら、まるで大人に話をするかのように繰り返し繰り返し語り続けられました。
時間は無常に過ぎてゆき、夜も明けゆけば、名残を残しながら法親王は帰って行きました。

生まれた赤子を、御所さまがお命じになるままにお渡しいたしましたが、その後は何の音沙汰もございませんでした。
「露が消えるようにお亡くなりになったのであろう」などという噂も聞えて参りましたが、そのこともあってか、生まれてくる父親についてのとかくの世間の噂はおさまって行ったようでございます。
御所さまの細々としたご配慮が役立ったということなのでしょうが、姫さまの御気持ちはそうそう安らかなはずがありません。
さらに、姫さまの懐妊を知っておられ、出産したらしいという噂を聞いた心ある方々からは、いろいろとお言葉や御進物が送られてくるものですから、さらに姫さまは傷つかれているご様子でございました。

お産は十一月六日のことでございましたが、その後は目に余るほど頻繁に法親王は通って参られました。
十三日の夜更け頃にも、いつものように忍んで参られましたが、御出産を知った方々からの使いなどもあり、姫さまはお部屋に入れようとはされませんでした。
しかし、法親王は、
「去年より春日大社の御神木である御榊が京に渡っておいでだったが、近いうちに春日へお帰りになるだろうと騒いでいたが、どうしたことか、『かたわら病』という病気がはやって、かかって幾日も経たないうちに亡くなってしまうと聞いていたが、私のごく身近な者までが突然亡くなったと聞いて、いつわが身も死者の中に入るかと思うと心細くなり、こうしてやってきたのだ」
と訴えられるものですから、姫さまもそれ以上拒み続けることも出来ませんでした。

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二条の姫君  第九十二回

2015-07-24 09:28:24 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 十八 )

お部屋に入られた法親王は、いつもより頼りなげで、いつものように末々までもの愛情を約束する様子も少しなげやりのように見えました。
「形は世を変えるとともに変わるとしても、お互いに逢うことさえ絶えなければそれでよいと思う。どれほどすばらしい上品上生の台(ジョウボンジョウショウのウテナ・仏教における極楽往生の最上位)であっても、そなたと逢えないのであれば辛いだろうから、たとえどんな藁屋の床であっても、そなたと一緒に居られさえすればよいと願っている」
などと、夜もすがらまどろみもせず、語り続けられるのでした。

夜がすっかり明けてしまい、いざお帰りになろうとされると、その方向は垣根続きでこの家の主人が住んでいる所に当たり、人目が多く、世間を忍ぶ姿がさらされてしまうことになり、この日はそのままお留まりになることになりました。
空恐ろしいことではありますが、わけを知っている稚児一人の他はこのことを知らないはずですが、この家の主である姫さまの乳母の家族たちが、まったくご存知ないとも思われず、どのような噂をされているのかと姫さまはお気にされていましたが、法親王がほとんど無頓着なご様子なのは、いったいどういうことなのでしょうか。

この日は、姫さまはご養生を兼ねてゆったりとお過ごしになられました。
しかし、法親王のお心は、激しい怨念と戦っておられたのでしょうか。
「あの出雲路での有明の夜の辛い別れから、そなたが急に雲隠れしてしまったと聞いたが、愚痴を言う術もなく、五部の大乗経を自分の手で書き写したが、自然のうちに一巻に一字ずつそなたの筆跡をまねて書き加えたのは、必ず次の世界で今一度そなたと契りを結ぼうとの大願あってのことだった。ひどく情けない心だと思うだろう。
この経の書写は終わったが、まだ供養を果たしていないのは、この次そなたと同じ世界に生まれた時に供養をしようと思うからなのだ。竜宮の宝蔵にお預けしておけば(仏教説話からの引用か)、二百余巻の経の供養を、きっとこの次生まれてくる時まで延期することが出来るのだ。
だから、私が死んだ後、荼毘に付す時には、この経を薪に積み添えてもらおうと思うのだ」
などと申されるのです。

さすがに姫さまも、あまりにも激しい妄念に身の竦む思いのようでございましたが、
「ただ一つの御仏の蓮台のもとに往生できることをお祈りください」
と申し上げられました。
しかし、法親王の御心には届かない言葉のようでございました。

「いや、私はなおそなたとの契りが名残惜しいので、今一度人間として生を受けたいと心に決めて、死んでしまえば空しく空に立ちのぼる煙となるのが世のならいだが、そうなっても、そなたの近くからは去らないつもりだ」
などと、真剣に話されていましたが、突然、たった今目覚めたかのような表情になり、汗もぐっしょりとかいているのです。

「どうなさったのですか」
と、姫さまも驚いて声をかけられますと、
「私の体が鴛鴦(オシ・おしどり)という鳥になって、そなたの体の中へ入ったと思ったが、このようにひどく汗をかいているのは、あまりに思いつめたため、私の魂がそなたの袖の中に留まっていたのだろうか」
などと申され、
「昨日も帰らなかったのに、今日もこのままというわけにはゆくまい」
と仰って、お出になられました。

月が沈もうとする方角の山の端には横雲がたなびいて白んでゆき、東の山は、ほのぼのと明るくなって来る頃でございました。

     * * *



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二条の姫君  第九十三回

2015-07-24 09:27:21 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 十九 )

明けゆく鐘の音に忍び泣きの声を添えて、法親王は帰って行かれました。
法親王のあまりにも激しい思いのたけは、姫さまには怖ろしささえ感じるものでございましたが、そうとはいえ、有明の月殿と心に刻んだ御方でもありますだけに、いつも以上に寂しげな後ろ姿は姫さまのお心を強く打つものでもございました。

そのような姫さまのお気持ちが静まる間もなく、すぐ近くの所から、いつもの稚児がお使いとして御手紙が届けられてきました。
『 あくがるるわが魂は留め置きぬ 何の残りて物思ふらむ 』
などと書かれた御手紙に、いつもとは違う悲しさと哀れさを感じられた姫さまは、早速に御返歌をされました。
『 物思ふ涙の色をくらべばや げに誰(タ)が袖かしをれまさると 』
「思い悩んで流す血の涙の色を比べてみたいものです。ほんとうに、あなたとわたしの、どちらの袖がたくさんしおれているものかと・・」といった、姫さまの御返歌も激しいものでございました。

その日は、法親王はそのまま御所に入られたということでしたが、十八日からでしょうか、「世間ではやっているかたわら病の疑いがある」ということで、医師をお呼びになったということが伝わって来るようになりました。
そして、そのすぐ後には、「しだいに重くなっている」とも伝わってきましたので、姫さまも気掛かりにされておりました。
すると、二十一日のことでしたか、御手紙が届きました。

「この世で対面するのが、あれが最後だなど思ってもいなかったが、このような病魔に取り籠められてしまって、死んでしまうであろう命よりも、さまざま思い残す事の多いことこそ罪深いと思われる。先日見たあの夢も、どのようなことを意味しているのだろうか」
などと書き続けられていて、最後に、
『 身はかくて思ひ消えなむ煙だに そなたの空になびきだにせば 』
とありました。
姫さまが法親王の元気なお姿をご覧になったのはつい先日のことでございますから、御手紙の内容をそのまま受け取ればよいのかどうかと戸惑われておられましたが、御仏に仕える御方の言葉だけに、お心は複雑に揺れ動いておられました。

『 思ひ消えむ煙の末をそれとだに 長らへばこそ跡をだに見め 』
姫さまは、この御返歌に添えて、「お見舞いの方々などでお取り込みの最中でございますでしょうから」
と、申し上げたいことの殆どを書くのを控えられましたが、法親王の御手紙を見た上だとしても、まさかこれが最後の便りになるとは思われていなかったからなのでしょう。
しかし、十一月二十五日だったでしょうか、儚くなられたとのお報せが参りました。
(日時は、原作者が故意に曖昧にしていると思われる)

姫さまは、訃報をどのように自分自身に納得させればよいのか、ただ茫然とお聞きになっておられました。
まるで、夢の中で夢を見ているような、あるいはそれ以上に何が何だか分からないご様子で、御使者の方にも何も申し上げることが出来ない状態でございました。

     * * *


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二条の姫君  第九十四回

2015-07-24 09:26:23 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 二十 )

「見果てぬ夢」と愚痴を仰ったり、「悲しさ残る」などとお詠みになられた面影をはじめ、出雲路での憂きことを抱いた別れのままであればともかく、その後の様々な思い出は、姫さまのお心に辛く押し寄せておりました。
その夜は、村雨が降りしきっており、雲のありさまもただならぬ様子で、姫さまは暗い空を見上げて、悲しみに耐えておられました。

「そなたの空になびきたい」とあった法親王の水茎の跡は空しく文箱の底に残っていて、生前のままの彼の人の残り香は、僅かに手枕に名残をとどめているようで、これを機会にかねてから望みの道に進むことを姫さまは真剣に考えられたようでございます。
しかし、姫さまがもしそのような行動を取れば、世間の人たちがどのように噂するかと考えますと、亡き御方にどのような汚名をもたらすかと怖ろしくなり、思い止まるしかなかったのです。

すっかり明るくなった頃、
「いつもの稚児が来ました」
と姫さまに伝える声が聞こえてきました。
その声に姫さまは、自らお出ましになられますと、枯野色の直垂で雉を縫い付けた衣装がよれよれになっていて、一晩中泣いていたらしいことが一目で分かる様子でした。その稚児が泣く泣く語ることは、とても筆舌で表せるものではございませんでした。

「あの『悲しさ残る』とお詠みになった夜、着替えなさったあなた様の小袖を細かくたたまれて、いつも念誦を唱えられる床に置いておられましたが、二十四日の夕方になって肌に着られて、『荼毘に付す時にも、このままにせよ』と仰られましたのは、何と申し上げればよいのか、とても悲しゅうございました。
『これを差し上げよ』と、その時仰せでございました」
と言って、稚児が差し出したのは、榊を蒔絵とした一つの大きな文箱でした。

中には、御手紙と思われるものが入っておりました。
まるで、鳥の足跡かと思われるような、とても乱れた筆跡で文字の形にもなっていないほどでした。
「一夜の」と最初に書かれていて、「この世のままでは」とは、あて推量で読めますが、その後はその内容を推し量ることも難しく、姫さまは激しくむせび泣かれて、三途の川の水脈までも追おうとなされているかのようでございました。
『 浮き沈み三瀬川にも逢ふ瀬あらば 身を捨ててもや尋ね行かまし 』
これは、この時お詠みになられた姫さまの御歌でございます。

その大きな文箱の中には、包まれた金が一杯に入っておりました。
そして、形見とてお持ちの姫さまの小袖をお召になったまま灰になられたことや、また、五部の大乗経を荼毘の薪に積み添えられたということなど、細々と稚児は語って、直垂の左右の袖を乾いている所がないほどに泣き濡らしながら帰って行きました。
その後ろ姿をお見送りされている姫さまも、涙に前が見えないほどで、ただ茫然と立ち尽くしておられました。

     * * *


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