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雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

詩が結ぶ不思議な契り ・ 今昔物語 ( 10 - 8 )

2024-05-20 14:43:39 | 今昔物語拾い読み ・ その2

     『 詩が結ぶ不思議な契り ・ 今昔物語 ( 10 - 8 ) 』


今は昔、
震旦の[ 欠字。王朝名が入るが不詳。]の御代に、呉の招孝(ショウコウ・伝不詳)という人がいた。勝れた心の持ち主である。
その人がまだ若かった頃、宮殿から流れ出ている河の辺(ホトリ)に行って遊んでいたが、木の葉が流れてくるのを見て、取って見てみると、柿の葉の赤く紅葉したものに詩が書かれていた。
招孝がこれを見たところ、女の手によるものであった。
「これは、如何なる人が作って書いたのだろう」と思うに、誰だか分らないが、人柄や容姿が思いやられて、恋う気持ちが大きくなった。
そして、遂には、その恋いる思いを成就させる方法が思い浮かばず、その詩に唱和してそれも柿の葉に書いて、その河の水上(ミナカミ)に行って流したので、柿の葉は宮殿の中に流れ入った。
招孝は、どうしても恋しさに堪えられない時は、あの柿の葉の詩を取り出して、それを見ては泣いていた。

さて、このようにして何年か経ったが、宮殿の中には、束縛を受けてむなしく年を重ねてしまった女御が数多くいた。しかし、皇帝がお召しになることもなかったので、皇帝は、「この者たちは、我を頼みにして虚しく年を送っている、極めて気の毒なことである。少しばかりの者を親に返し、あるいは男性に嫁がせよ」と仰せになり、少しばかりの者をお返しになった。

その中に、一人の女御がいた。容姿は美しい。
親元にお返しになったので、親はあの招孝をその女御に娶せて婿とした。しかし、招孝は、あの柿の葉に詩を書いた人のみを、誰とは知らないままに恋しく思い続けていて、どうしても別の人と結婚しようとは思わなかったが、親が決めたことなので、心ならずも婿になったのである。
しかし、この妻になった女は、理想的ですばらしい女性だったので、愛おしくいじらしく思われて、あの夜も昼も恋い焦がれていた柿の葉に詩を書いた人のことも、ようやく忘れかけていたところ、妻が招孝に言ったことは、「あなた、何かしきりに物思いにふけっている様子に見えますのは、何事でございますか。その事を、わたしに隠すことなくお話し下さいませ」と訴えた。
招孝は、「実は、私はずっと前に、宮殿の外で河の流れで遊んでいた時に、水の上に木の葉が浮かんでいたのを取って見てみますと、柿の葉の赤く紅葉した物に、女の筆跡で一つの詩が書かれていました。それを見てからは、その筆跡の主に会いたいと思いましたが、誰とも分らず、尋ねる手段とてなくて、会うことが出来ないままですが、今日になっても、忘れることが出来ません。ですが、あなたと一緒になってからは、ずいぶん慰められています」と答えた。

妻は、それを聞くと、「その詩はどういうものですか。また、その詩の唱和はお作りになりましたか」と尋ねた。
招孝が「これこれといった詩でした。想像してみますと、宮殿内の女性が作ったものと思いましたので、その河の水上に行って詩を作り、もしか見てもらえることがあるかも知れないと思って流しました」と答えると、妻は、それを聞くや涙を流して、前世からの因縁のただならぬ事を知って、招孝に語った。「その詩は、このわたしが作って書いた物でございます。唱和の詩は、その後にわたしが見つけましたので、今、手許にございます」と答えて、それぞれが取り出して見てみると、どちらも自分の筆跡による物なので、今結ばれているのが、決して浅い契りなどではないことを知って、泣きながらますます愛情を深めた。

妻は、「わたしがこの詩を作りましたのは、わたしは皇帝のお召しに随って宮中に参りましたが、皇帝に見え奉ることもなく、虚しく月日を送ることを嘆いて、河の辺で遊びました時に、一つの詩を作り柿の葉に書いて、河に流した物でございます。後にまた、その河の辺に行きましたところ、岩の間に流れ来て留まっている木の葉を取り上げて見てみますと、一つの詩が柿の葉に書かれておりました。もしかすると、あの時のわたしの詩を見つけた人が、唱和して下さったのだと思って、取り置いていたのでございます」と語った。
招孝は、これを聞いて感慨無量であったことだろう。

されば、夫婦の契りは、前世からの宿命なのだと互いに思ったのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆ 

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孔子と童たち ・ 今昔物語 ( 10 - 9 )

2024-05-20 14:43:13 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 孔子と童たち ・ 今昔物語 ( 10 - 9 ) 』


今は昔、
震旦の周の御代に、魯の孔丘(ロのクキュウ・孔子のこと)という人がいた。
父は淑梁(シュクリョウ)と言う。母は顔の氏(ガンのウジ)である。この孔丘とは、世間で孔子(クジ)と呼ばれているのはこの人のことである。
身の丈は、九尺六寸である。賢明で理解力に優れていた。

幼稚の頃には、老子に付いて学問を学んだが、理解できない物はなかった。
成長してからは、身につけた才能は広大で、弟子の数は大変多い。されば、公(オオヤケ)に仕えて、政を直(タダ)し、個人的には出掛けて行って人を教えた。あらゆる学問について劣ることがなかった。それゆえ、国の人は皆、頭を垂れて尊ぶこと限りなかった。
(但し、諸国の朝廷にはあまり受け入れられなかった、というのが定説となっている。)

ある時、孔子が車に乗って道を進まれていると、その途中に、七歳ばかりの童が三人遊んでいた。その中で一人の童は、仲間と遊ばず、道を防ぐかたちで土で以て城(ジョウ)の形の物を作っていた。
そこで、孔子はその近くまで行くと、童に話しかけた。「お前たち、速やかに道からのいて、我が車を通しなさい」と言った。
童は笑いながら言った。「未だ聞いたことがない。車を避ける城など。ただ、城を避ける車があることは聞いている」と。
それを聞いて孔子は、車をその所を避けさせて、城の外側から通り過ぎられた。

そして、孔子は童に訊ねた。「お前の姓名は何という」と。
童は、「姓は長(チョウ・伝不詳)と申します。私は年が八歳なので、字(アザナ・元服してからつける名。)はありません」と答えた。
孔子は、「お前は知っておるか。いずれの樹に枝が無いか。いずれの牛に子牛が無いか。いずれの馬に小馬が無いか。いずれの夫に妻が無いか。いずれの女に夫が無いか。いずれの山に石が無いか。いずれの水に魚が無いか。いずれの人に字が無いか」と訊ねられた。
童は、「枯れ木には枝無し。土牛(土で作った牛。儀礼用に使う。)には子牛無し。木馬には小馬無し。仙人には妻無し。玉女(神仙の女か?)には夫無し。大山には石無し。井の水には魚無し。空城には吏無し(この部分質問と合わないが、元になる話には、もっと多くの質問があり、誤ったようだ。)。小児には字無し」と答えた。
孔子はこれを聞いて、「この童は、只の者ではあるまい」と思って、過ぎ去って行った。

また、孔子が道を行かれていた時、七、八歳の二人の童に出会った。その童たちが共子(クジ・孔子のこと。)に尋ねた。
一人の童は、「日が始めて出ずる時は日が近いが、日中になれば日が遠くなる」と言った。もう一人の童は、「
日が始めて出ずる時は日が遠いが、日中になれば日が近くなる」と尋ねた。
先の童は、また質問して、「日の出ずる時は熱くて、湯の中に手を入れる
ようだが、日中になれば涼しい」と。すると、もう一人の童も質問して、「日の出ずる時は涼しい。日中になれば熱くて、湯の中に手を入れるようだ。どうして、日の出ずる時は近く、日中になれば遠いと言えるのか」と。
このように二人の童は言い争って、質問すると言っても、孔子はどちらが正否か裁定することが出来なかった。

すると、二人の小児は笑って言った。「孔子は知識が広大で、知らぬことなど存在しないと聞き奉っていたが、極めて愚かであられることだ」と。
孔子はこれをお聞きになって、この二人の童の知恵に、「只者ではない童たちだ」と言ってお誉めになった。
昔は、小児もこのように賢かったのである。

さて、孔子が多くの弟子たちを引き連れて道を行かれる時に、道の辺(ホトリ)にある垣から馬の頭が差し出ているのをご覧になって、「あそこに牛の頭が差し出ている」と仰せになったので、弟子たちは、「まさしく馬なのに牛と仰せになる、不思議な事だ」と思ったが、何か分けがあるのだろうと、道を行く間ずっと各々が師の真意を知ろうと考えていたが、顔回という第一の御弟子が、一里(中国では400mの事が多いが、わが国では4kmとなる。)を行って気付いたことは、「暦の午という字を、頭を差し出して書けば、牛という字になるので、師は、あの馬が頭を差し出していたので、人の心を試すとて、『牛』と仰せになったのだ」と思って、師にお尋ねすると、「その通りだ」とお答えになった。
次々の御弟子たちは、順々に十六町(1町は109m程だが、距離感はよく分らない。)を行く間に気付いた。

されば、これによって各人の理解力は明らかである。孔子はこのように知識の広いお方だったので、世の人は皆、頭を垂れて貴び敬ったのである、
となむ語り伝へたるとや。 
 
     ☆   ☆   ☆

 

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三楽話 ・ 今昔物語 ( 10 - 10 )

2024-05-20 14:42:42 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 三楽話 ・ 今昔物語 ( 10 - 10 ) 』


今は昔、
震旦の孔子(クジ・孔子(コウシ
)のこと)、[ 欠字。地名が入るが不詳。]いう所に行き、林の中の丘のようになっている所に行って逍遙(ショウヨウ・気ままに歩き遊ぶこと。)なさった。孔子は、琴(キン・現在の琴とは違う。)を弾きなさった。弟子を十余人ばかり連れていて、周りに座らせて書物を読ませていた。

その時、海の方から小船に乗った帽子を着た翁が、漕いでやって来て、船を葦に繋いで陸に登り、杖を突いて来て、孔子が弾いている琴の調べが終るまで聞いていた。
孔子の弟子たちは、この翁を見て怪しく思っていると、翁が弟子の一人を招いている。けれども、弟子たちは、目にも留めず知らん顔をして行こうとしない。翁はさらにしつこく招くので、一人の弟子が近寄った。
翁は、弟子に尋ねた。「この琴をお弾きになっている人はどなたですか。もしかすると、国王でしょうか」と。
弟子は、「国王ではありません」と答えた。
翁は、「それでは、国の大臣ですか」と尋ねた。
弟子は、「大臣ではありません」と答えた。
翁は、「それでは、国の司ですか」と尋ねた。
弟子は、「国の司でもありません」と答えた。
翁は、「それでは、どういう人ですか」と尋ねた。
弟子は、「只、国の賢人として、公の政を直し、悪しき事を止め、善き事[ 欠字。「を勧め給う」といった言葉らしい。]人です」と答えた。
翁は、これを聞くとあざ笑って、「この人は、とんでもない愚か者だ」と言って、去って行った。

弟子は、翁の言葉を聞くと、元の場所に返って、孔子にこの事を話した。
孔子はそれを聞いて、「その人は、大変な賢人に違いない。速やかに呼び返しなさい」と言った。
弟子は走って行き、翁が今まさに船に乗って漕ぎ出そうとしているのを呼び返した。
翁は、呼ばれて引き返し、孔子と会った。

孔子は、翁に言った。「あなたは、どういうお方でしょうか」と。
翁は、「私は、何と言うほどの者ではありません。只、船に乗って心のままにあちらこちらへ行っている翁です。ところで、あなたは、何事を仕事となさっているお方ですか」と言った。
孔子は、「私は、世の政を直し、悪しき事を止め、善き事を行うために歩き回っている者です」と答えた。
翁は、「それは、まことにつまらないことです。世間には、影を嫌う人がいます。日向に出て、影から離れようとして走っても、影から離れることは出来ません。影に寄り添って、心静かに居れば影は離れるものを、そうはしないで、日向に出て影から必死に逃れようとする時には、身の力は尽きてしまうけれど、影が離れることはありません。また、犬の死骸が水に流れ下っていると、これを取ろうとして走る者がいます。そして、水に溺れて死んでしまいます。つまり、これらの例えのように、あなたのなさっていることは、極めて無駄なことです。ただ、然るべき所に居所を示して、静かに一生を送ること、これが今生の望みです。それなのに、その事を考えずに、心を世事に煩わされて騒ぎ回ることは、極めてつまらないことです。私には、三つの楽しみがあります。人として生まれたこと、これがその一つです。人に男女がありますが、男として生まれたこと、これが二つ目です。そして、私は今、九十五歳になりました。これが第三の楽しみです」と言うと、孔子の答えを聞くこともせず、返って行き、船に乗って漕ぎ出し去ってしまった。

孔子は、その漕ぎ行く翁の後ろ姿を見て、二度礼拝された。船に乗って行く棹(サオ)の音が聞こえなくなるまで、礼拝していらっしゃった。棹の音が聞こえなくなってから、ようやく車に乗ってお帰りになった。
この翁の名を、栄啓期(ヨウケイゴ・伝不詳。「三楽話」は知られているらしい。)と言うとある人が、
語り伝へたるとや。

☆☆☆

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後の千金 ・ 今昔物語 ( 10 - 11 )

2024-05-20 13:52:56 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 後の千金 ・ 今昔物語 ( 10 - 11 ) 』


今は昔、
震旦の周の御代に荘子(ソウジ・中国戦国時代の思想家。)という人がいた。賢明で知識は豊かである。一方で、家は極めて貧しく貯えは全くなかった。

そのため、今日食べる物さえなかった。どうすれば良いか思い悩んでいたが、隣に[ 欠字。「かんあとう」という人名らしい。]という人がいたので、今日食べるための黄色い粟を請うたところ、[ 欠字。「かんあとう」らしい。]は「あと五日経ったら、我が家に千両の金が届く。その時にいらっしゃい。その金を進呈しましょう。どうして、あなたのように賢く立派なお方に、今日の糧として僅かな粟を進呈すれば、かえって私の恥になります」と言った。

これに対して荘子は、
「私は昨日、道を歩いていますと、後ろで呼ぶ声が聞こえました。振り返ってみますと、誰も見当たらない。不思議に思ってよく見ますと、車輪の跡の窪んでいる所に大きな鮒が一匹いて、生きていて動き回っている。『どうして、こんな所に鮒がいるのか』と思って、さらに近付いてみると、水が少しばかり溜まっている所に生きていて動いていたのだ。私は、その鮒に訊ねました。『どうしてお前は、ここに居るのか』と。すると鮒は、『我は、河伯神(カワノカミ・河の守護神。)の使者として、高麗に行く途中である。我は東の海の波の神であるが、思い掛けず飛びそこなって、この窪みに落ちてこの様だ。水は少なく喉が渇き、もう死にそうだ。「助けてもらおう」と思って、あなたを呼んだのです』と言いました。
私は、『あと三日後に、[ 欠字。池か湖らしいが不詳。]という所に、私は遊びに行きます。そこに、お前さんを連れて行って放してやろう』と言いますと、鮒は、『我は、もう三日も待つ事は出来ない。それよりも、今日、一滴の水を与えてくれて、とりあえず喉の渇きを潤わせてくれ』と言うので、鮒が言う通りに一滴の水を与えて助けてやりました。
されば、あの鮒が言ったように、私の命は、今、何も食べなければ、生きてはおれません。後の千金など、役に立ちません」
と言った。

これから後、「後の千金」という事はこういう事を指すのだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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長命の所以 ・ 今昔物語 ( 10 - 12 )

2024-05-20 13:52:27 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 長命の所以 ・ 今昔物語 ( 10 - 12 ) 』


今は昔、
震旦に荘子(ソウジ)という人がいた。賢明で知識が豊富である。
その人が道を歩いていたが、ある杣山(ソマヤマ・植林された山。)に通りかかった。すると、その山の多くの木の中に、曲って歪んでいる木があるのが目に付いた。かなりの老木である。
荘子はこの木を見て、杣人に「この木が、これほど老木になるまで伐られずに生きているのはどういうわけか」と訊ねた。
杣人は、「私たちは、真っ直ぐの良い木を選んで伐りますので、この木は歪み曲っていますので役に立たたず、材木にも適していないので、このように長年そのままになっています」と答えた。
荘子は、「なるほど」と聞いて、通り過ぎた。

また別の日に、荘子は知人の家を訪ねたが、家の主人はご馳走を準備して食べさせた。
まず、酒を飲もうとしたが肴がなかったので、家の主人は、その家に雁二羽を飼っていたので、「その雁一羽を殺して、御肴にしなさい」と命じると、その雁を預かって飼っている人は、「良く鳴く雁を殺すべきでしょうか。それとも、鳴かない雁を殺すべきでしょうか」と尋ねた。家の主人は、「良く鳴くのは生かしておいて鳴かしなさい。鳴かないのを殺して御肴にしなさい」と答えた。
主人の言葉に従って、鳴かない雁を殺して調理して、御肴とした。

その時、荘子は、「昨日の杣山の木は、役に立たないので命を保っている。今日のこの家の主人の雁は、才能がある故に命を保っている。これを以て考えられることは、賢い者も愚かな者も、命を保つことは賢愚によるものではなく、ただ、自然とそうなるものなのだ。されば、『才能があれば死ななくてすむぞ。役に立たなければ死ぬぞ』と定められているものではない。役に立たない木も長命であり、一方で、役に立たない雁もたちまちに死ぬ。これを以て、様々な出来事を知るべきである」と言った。
これは荘子の言葉だ、
となむ語り伝へたるとや。 

     ☆   ☆   ☆

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荘子の妻 ・ 今昔物語 ( 10 - 13 )

2024-05-20 13:51:59 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 荘子の妻 ・ 今昔物語 ( 10 - 13 ) 』


今は昔、
震旦に荘子(ソウジ)という人がいた。賢明で知識が豊かであった。
この人が道を歩いている時、沢の中に一羽の鷺(サギ)
がいて、獲物をうかがって立っていた。
荘子はこれを見て、密かに鷺を打とうと思って、杖を取って近寄ったが、鷺は逃げようとしない。荘子はそれを不思議に思って、さらに近寄って見ると、鷺は一匹の蝦(エビ)を食らおうとして立っていたのである。それで、人が打とうとして近寄るのに気がつかなかったのだ。
また、その鷺が食らわんとしている蝦を見ると、逃げようともせずにいる。その蝦もまた、一匹の小虫を食らおうとしていて、鷺がうかがっていることを知らない。

そこで、荘子は杖を棄ててその場から逃げ出し、心の内で思った。「鷺・蝦、どれも自分を害しようとしている事を知らず、それぞれが他の者をやっつけることばかり考えている。私もまた、鷺を打とうとしていたが、自分より強い者がいて、私を狙っていることを知らなかった。それゆえ逃げるに限ると思って、私は逃げるのだ」と。
そして、走って逃げ去った。これは、賢い事である。人はこのように考えるべきである。

また、荘子が妻と共に水面を見ていると、水面に大きな魚が一匹浮かんできて泳いでいる。
妻はそれを見て、「あの魚は、きっと嬉しいことがあったのでしょう。自由気ままに泳いでいます」と言う。
荘子はそれを聞いて、「お前はどうして魚の心が分るのか」と言った。
妻は、「あなたは、どうして私が魚の心が分るかどうかを知るのですか」と答えた。
すると荘子は、「魚ではないので、魚の心は分らない。また、お前ではないので、お前の心は分らない」と言った。
これは、賢い事である。いくら親しい関係だとしても、人は、他の人の心を知ることなど出来ない。
されば、荘子は、妻も賢明で知識が豊かだったのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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神仙の術を伝授される ・ 今昔物語 ( 10 - 14 )

2024-05-20 13:51:37 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 神仙の術を伝授される ・ 今昔物語 ( 10 -14 ) 』


今は昔、
震旦の漢の御代に、費長房(ヒチョウボウ・仙人らしい。)という人がいた。
その人が道を歩いていると、その途中に、野ざらしにされた連なった死人の骨があった。行き交う人に踏みにじられていた。
費長房は、これを見て、哀れに思って、この骨を集めて、道から遠ざけて、土を深く掘って埋葬してやった。

その後、費長房の夢に、誰とも知らない人で、姿がふつうの人とは違う人が現れて、費長房に語った。
「私は、死して後、死骸となって道の中に放置され、行き交う人に踏みにじられていた。取り隠してくれる人もなく、あのように踏みにじられて嘆き悲しんでいたが、あなたが、あの死骸を見て、慈悲の心で以て埋葬して下さったので、私はたいそう嬉しく思っております。私のほんとうの魂は、死んですぐに天上界に生まれて、幸せな日々を受けています。ただ、死骸を守るために、もう一つの魂が死骸の辺りから去ることなく、付き添っておりました。ところが、あなたがあのように埋葬して下さいましたので、そのお礼を申し上げるために参ったのです。私には、ご恩に報いる手段がありません。ただ、私は昔、生きていた時に、神仙の術を習っておりました。その習った術は、今も忘れておりません。されば、それを伝授しましょう」と。

費長房は、「私は、あの死骸がどなたかは知りませんでしたが、道に放置されていて人に踏みにじられているのがお気の毒であったので、埋葬させて頂きました。ところが、今、そのご本人がやって来て、神仙の術を伝授して下さるとは、大変ありがたいことです。すぐに習わせて頂きます」と答えた。
そして、夢の中でそれを習った。習い終ったと思った時、夢が覚めた。
その後、夢の中で習ったように術を行うと、たちまち身が軽くなって、即座に大空を自在に飛べた。
これより後、費長房は仙人となった。

されば、当然のことながら、道端に死骸があって、哀れにも踏みにじられていれば、埋葬してやるべきである。
その魂は、きっと感謝することだろう、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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孔子倒れし給う ・ 今昔物語 ( 10 - 15 )

2024-05-20 13:50:07 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 孔子倒れし給う ・ 今昔物語 ( 10 - 15 ) 』


今は昔、
震旦の周の御代に、柳下恵(リュウカクエイ・高徳の人物であったらしい。)という人がいた。世の賢人として人々に重く用いられた。

ところで、その弟に、盗跖(トウシャク・伝説上の大盗賊。)という人がいた。
ある山の奥深くを住処として、大勢の荒々しい武人を招き集めて、自分の家来として、他人の物を事の善悪を選ぶことなく奪い取って我が物とした。遊び歩く時には、この荒々しい猛者共を引き連れること、二、三千人に及んだ。道で出会う人を滅ぼし、あるいは辱め、諸々の悪行を好んで行うのを常としていた。

ある時、兄の柳下恵が道を歩いていて、孔子(クジ・「こうし」のこと。)にお会いになった。
孔子は柳下恵に、「あなたは、どちらへ行かれるのですか。直接お会いして申し上げたいことがありますが、うまくお会いすることが出来ました」と言った。
柳下恵は、「何事でございますか」と言った。
孔子は、「お会いしてお話ししたいと思っていた事は、あなたの御弟の盗跖が諸々の悪事の限りを尽くして、大勢の猛々しい悪者たちを招き集めて仲間にして、多くの人を苦しめ世間を乱していることです。どうしてあなたは、兄として忠告なさらないのですか」と言った。
柳下恵は、「盗跖は、弟とはいえ、私の忠告を聞くような者ではありません。そのため、長年、嘆きながらも諫めることが出来ていません」と答えた。
孔子は、「あなたが忠告しないのであれば、私が、あの盗跖の所に行って忠告したいと思うが、いかがですか」と言った。
柳下恵は、「あなた、決して悪跖の所に行って忠告などしてはいけません。あなたが、いくら立派な御言葉を尽くして忠告なさっても、決して、耳を貸すような者ではありません。返って悪い事が起こるでしょう。決してそのような事はなさらないで下さい」と答えた。
孔子は、「悪者だとはいえ、盗跖も、人の身を受けた者であるから、善い事を教えれば自然と従うこともあるでしょう。それを、最初から聞くまいと言って、あなたは兄として忠告もしないで、知らぬ顔をしてそのままにして見ているのは、極めて悪い事です。よくよく見ていて下さい。私自ら訪ねて行って、教え直(タダ)してご覧に入れましょう」と言い放って、去って行った。

その後、孔子は、盗跖の所に出向かれた。
馬から下りて、門前に立って中を見てみると、集まっている者は皆、ある者は甲冑を着て弓矢を帯びている。ある者は刀剣を差し槍や鉾を手にしている。あるいは、鹿や鳥など諸々の獣を殺す道具が隙間なく置き散らかっている。このように、諸々の悪事が集まっていた。
孔子は、人を呼んで、「魯の孔丘(クキュウ・孔子のこと)という者が参った」と伝えさせた。
その使いに立った者が返ってきて、「音に聞き及ぶ人だ。そのような人が、ここに来たのはどういうわけか。と聞かれましたので『出掛けて行って、人を指導する者です』と答えますと、もしや、わしを指導するために来たのか。そうであれば、指導してくれ。わしの心に叶うものであれば従おう。そうでなければ、肝を膾(ナマス)にしてやろう」と言い、盗跖も出てきた。

すると孔子は、盗跖の前に進み出て、庭において、まず盗跖に拝礼なさった。それから、部屋に上がって席に着いた。
盗跖を見ると、甲冑を着ている。剣を帯び鉾を持っている。頭の髪は三尺ばかり逆立っている。まるで蓬(ヨモギ)のように乱れている。目は大きな鈴をつけたように辺りを見回し、鼻息は荒々しく、歯をくいしばって、髭を厳めしく生やしていて座っている。
そして、盗跖は、「お前がやって来たのはどういうわけだ。はっきりと申すのだ」と言った。その声は怒っているように大きく、恐ろしいことこの上ない。

孔子は、これを聞いて、「前から聞いてはいたが、これほど怖ろしげな者とは思っていなかった。姿や有様を見、声を聞くと、とても人間とは思えない」と思った。そして、心も肝も砕けてしまいそうになった。
しかし、その気持ちをこらえて、孔子は仰せになった。「人の世にあるということは、皆、道理を身の飾りとして、心の[ 欠字あるも、よく分らない。]とするものである。今日、天を頭にいただき、地を足に踏まえ、四方をしっかりと固め、公(オオヤケ)を敬い奉り、下々を哀れみ、人に情けを掛けることを心情とするものです。ところが、あなたは、承るところによれば、心の赴くままに悪事を行っているとのこと。悪い事は、当座は心に叶うようであっても、結果はやはり悪事です。だから、やはり、人は善に従ってこそ善き事をなせるのです。されば、今申し上げてるように行動なさい。この事を申すためにやって来たのです。(このあたり、正しく訳せてないかもしれません。孔子が、しどろもどろになっている状態でもあります。)」と。

盗跖はあざ笑って、雷(イカズチ)のような声を挙げて、「お前の言っている事は、一つとして当たっていない。そのわけは、昔、尭・舜(ギョウ シュン・中国古代の伝説化された聖天子。)と申す二人の国王がいらっしゃったな。世に尊ばれること大変なことだ。ところがな、その子孫は、落ちぶれているではないか。また、世に名高い賢人といえば、伯夷・叔斉(ハクイ シュクセイ・殷の頃の人)だろう。だがな、[ 欠字。山の名で、諸説あるらしい。]の山に臥せっていて、飢え死にしてしまった。また、お前の弟子に顔回という者がいたな。お前が立派に教えて一人前にしたといっても、不覚にも若くして死んでしまったではないか。また、お前の弟子に子路という者がいただろ。それも、衛の東門において殺されてしまった。どうだ、賢き事も終りには賢き事ではないではないか。また、悪しき事を我等が好むといえども、何も災いを受けていない。誉められる事も四、五日に過ぎず、誹られる事も同じだ。だから、善き事も悪しき事も、永く誉められ、永く誹られることもない。このように、善き事も悪しき事も、ただ自分が好むように振る舞うべきなのだ。お前も、また、木を刻んで冠とし、皮を持って衣としている。世を恐れて公に仕えても、再び魯に追われ、跡を( 欠字あるも不詳。)に削られたではないか。どこが賢いのか。されば、お前が言っていることは、どれもこれも愚かなのだ。さっさと、逃げ帰るがよい。一つとして役に立つものなどないわ」と言うと、孔子は、言い返すことが思い浮かばないので、席を立って、慌てて逃げ出した。

馬にお乗りになったが、よほど怖ろしかったのか、轡(クツワ)を二度取り外し、鐙(アブミ)を何度も踏み誤りなさった。
これを世間の人は、「孔子倒れし給う」と言った、
となむ語り伝へたるとや。    

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九つの太陽を射た男 ・ 今昔物語 ( 10 - 16 )

2024-05-20 13:49:39 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 九つの太陽を射た男 ・ 今昔物語 ( 10 - 16 ) 』


今は昔、
震旦の[ 欠字。王朝名が入るが不詳。]代に養由(ヨウユウ・楚の人で、弓の名人。)という人がいた。猛々しい性格で、弓を射ることに勝れ、何を射るのも掌を指すように命中させた。されば、国王はこの養由を武芸者として出仕させたが、何事も怠ることがなかった。その為、国中こぞって、養由に従った。

ある時、天に太陽が十現れた。一つが照らすだけでも、雨が降らなければ干魃になる。そうであるのに、太陽が十も出て照らせば、草木は堪えられるものではない。皆枯れてしまった。
そのため、国王をはじめ大臣・百官及び国民は、皆嘆き悲しむこと限りなかった。

その時、養由は心の中で思った。「天に太陽が一つ出ることは、人間が持っている業の力によるものだ。ところが今、にわかに十もの太陽が出ている。九つの太陽は、きっと国にとって、祟りによるものだろう」と。
そこで、養由は、弓を取って矢をつがえて、天に向かって太陽を射ると、九つの太陽を射落とした。本来の一つの太陽は、天に在(マ)しまして照らしていること、もとのままである。
そこ
で、養由は、自分が射落とした九つの太陽は、国に祟りをもたらすものだということを知った。そして、国中の人は皆、養由を誉め感謝すること限りなかった。

これを思うに、猛々しい性格の人の為には、変化の者も、化けの皮を剥がされることもあるのだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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真心が岩を射る ・ 今昔物語 ( 10 - 17 )

2024-05-20 13:49:13 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 真心が岩を射る ・ 今昔物語 ( 10 - 17 ) 』


今は昔、
震旦の[ 欠字。王朝名が入るが不詳。]代に李広(リコウ・前119 年没。)という人がいた。勇猛な性格で弓芸の道に勝れていた。

ある時、一頭の虎が李広の母を殺した。ある人が、李広にこの事を知らせた。
李広はそれを聞いて、驚いて来てみると、ほんとうに母が虎に殺されていた。そこで李広は、弓矢を持って、虎の跡を捜し追って行った。そして、ある山の入り口の野中まで追ってきて、見ると、虎が臥せっていた。
李広は、
それを見て、喜んで射たところ、矢は虎に命中して矢筈(ヤハズ・矢の上端。)の付け根まで突き立った。李広は、我が母を殺した虎を射たことを喜んで、近寄って見ると、射たところの虎は、すでに虎に似た岩になっていた。
「不思議な事だ」と思って、もう一度この岩を射ると、矢は突き立たず跳ね返った。

そこで李広は、「我が母を殺した虎を射ようと思う心が強かったので、岩にさえ矢が突き立ったのだ。だが、岩だと思って射た時には、突き立たなかったのだ」と思って、泣きながら帰っていった。
その後、この事が世間に広く伝わり、李広が虎を追って射とうとした心を誉め、また哀れんだ。
されば、実の心を尽くす時には、諸々の事がこのようになるのだと世間の人は言い合った、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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