雅工房 作品集

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孔子倒れし給う ・ 今昔物語 ( 10 - 15 )

2024-05-20 13:50:07 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 孔子倒れし給う ・ 今昔物語 ( 10 - 15 ) 』


今は昔、
震旦の周の御代に、柳下恵(リュウカクエイ・高徳の人物であったらしい。)という人がいた。世の賢人として人々に重く用いられた。

ところで、その弟に、盗跖(トウシャク・伝説上の大盗賊。)という人がいた。
ある山の奥深くを住処として、大勢の荒々しい武人を招き集めて、自分の家来として、他人の物を事の善悪を選ぶことなく奪い取って我が物とした。遊び歩く時には、この荒々しい猛者共を引き連れること、二、三千人に及んだ。道で出会う人を滅ぼし、あるいは辱め、諸々の悪行を好んで行うのを常としていた。

ある時、兄の柳下恵が道を歩いていて、孔子(クジ・「こうし」のこと。)にお会いになった。
孔子は柳下恵に、「あなたは、どちらへ行かれるのですか。直接お会いして申し上げたいことがありますが、うまくお会いすることが出来ました」と言った。
柳下恵は、「何事でございますか」と言った。
孔子は、「お会いしてお話ししたいと思っていた事は、あなたの御弟の盗跖が諸々の悪事の限りを尽くして、大勢の猛々しい悪者たちを招き集めて仲間にして、多くの人を苦しめ世間を乱していることです。どうしてあなたは、兄として忠告なさらないのですか」と言った。
柳下恵は、「盗跖は、弟とはいえ、私の忠告を聞くような者ではありません。そのため、長年、嘆きながらも諫めることが出来ていません」と答えた。
孔子は、「あなたが忠告しないのであれば、私が、あの盗跖の所に行って忠告したいと思うが、いかがですか」と言った。
柳下恵は、「あなた、決して悪跖の所に行って忠告などしてはいけません。あなたが、いくら立派な御言葉を尽くして忠告なさっても、決して、耳を貸すような者ではありません。返って悪い事が起こるでしょう。決してそのような事はなさらないで下さい」と答えた。
孔子は、「悪者だとはいえ、盗跖も、人の身を受けた者であるから、善い事を教えれば自然と従うこともあるでしょう。それを、最初から聞くまいと言って、あなたは兄として忠告もしないで、知らぬ顔をしてそのままにして見ているのは、極めて悪い事です。よくよく見ていて下さい。私自ら訪ねて行って、教え直(タダ)してご覧に入れましょう」と言い放って、去って行った。

その後、孔子は、盗跖の所に出向かれた。
馬から下りて、門前に立って中を見てみると、集まっている者は皆、ある者は甲冑を着て弓矢を帯びている。ある者は刀剣を差し槍や鉾を手にしている。あるいは、鹿や鳥など諸々の獣を殺す道具が隙間なく置き散らかっている。このように、諸々の悪事が集まっていた。
孔子は、人を呼んで、「魯の孔丘(クキュウ・孔子のこと)という者が参った」と伝えさせた。
その使いに立った者が返ってきて、「音に聞き及ぶ人だ。そのような人が、ここに来たのはどういうわけか。と聞かれましたので『出掛けて行って、人を指導する者です』と答えますと、もしや、わしを指導するために来たのか。そうであれば、指導してくれ。わしの心に叶うものであれば従おう。そうでなければ、肝を膾(ナマス)にしてやろう」と言い、盗跖も出てきた。

すると孔子は、盗跖の前に進み出て、庭において、まず盗跖に拝礼なさった。それから、部屋に上がって席に着いた。
盗跖を見ると、甲冑を着ている。剣を帯び鉾を持っている。頭の髪は三尺ばかり逆立っている。まるで蓬(ヨモギ)のように乱れている。目は大きな鈴をつけたように辺りを見回し、鼻息は荒々しく、歯をくいしばって、髭を厳めしく生やしていて座っている。
そして、盗跖は、「お前がやって来たのはどういうわけだ。はっきりと申すのだ」と言った。その声は怒っているように大きく、恐ろしいことこの上ない。

孔子は、これを聞いて、「前から聞いてはいたが、これほど怖ろしげな者とは思っていなかった。姿や有様を見、声を聞くと、とても人間とは思えない」と思った。そして、心も肝も砕けてしまいそうになった。
しかし、その気持ちをこらえて、孔子は仰せになった。「人の世にあるということは、皆、道理を身の飾りとして、心の[ 欠字あるも、よく分らない。]とするものである。今日、天を頭にいただき、地を足に踏まえ、四方をしっかりと固め、公(オオヤケ)を敬い奉り、下々を哀れみ、人に情けを掛けることを心情とするものです。ところが、あなたは、承るところによれば、心の赴くままに悪事を行っているとのこと。悪い事は、当座は心に叶うようであっても、結果はやはり悪事です。だから、やはり、人は善に従ってこそ善き事をなせるのです。されば、今申し上げてるように行動なさい。この事を申すためにやって来たのです。(このあたり、正しく訳せてないかもしれません。孔子が、しどろもどろになっている状態でもあります。)」と。

盗跖はあざ笑って、雷(イカズチ)のような声を挙げて、「お前の言っている事は、一つとして当たっていない。そのわけは、昔、尭・舜(ギョウ シュン・中国古代の伝説化された聖天子。)と申す二人の国王がいらっしゃったな。世に尊ばれること大変なことだ。ところがな、その子孫は、落ちぶれているではないか。また、世に名高い賢人といえば、伯夷・叔斉(ハクイ シュクセイ・殷の頃の人)だろう。だがな、[ 欠字。山の名で、諸説あるらしい。]の山に臥せっていて、飢え死にしてしまった。また、お前の弟子に顔回という者がいたな。お前が立派に教えて一人前にしたといっても、不覚にも若くして死んでしまったではないか。また、お前の弟子に子路という者がいただろ。それも、衛の東門において殺されてしまった。どうだ、賢き事も終りには賢き事ではないではないか。また、悪しき事を我等が好むといえども、何も災いを受けていない。誉められる事も四、五日に過ぎず、誹られる事も同じだ。だから、善き事も悪しき事も、永く誉められ、永く誹られることもない。このように、善き事も悪しき事も、ただ自分が好むように振る舞うべきなのだ。お前も、また、木を刻んで冠とし、皮を持って衣としている。世を恐れて公に仕えても、再び魯に追われ、跡を( 欠字あるも不詳。)に削られたではないか。どこが賢いのか。されば、お前が言っていることは、どれもこれも愚かなのだ。さっさと、逃げ帰るがよい。一つとして役に立つものなどないわ」と言うと、孔子は、言い返すことが思い浮かばないので、席を立って、慌てて逃げ出した。

馬にお乗りになったが、よほど怖ろしかったのか、轡(クツワ)を二度取り外し、鐙(アブミ)を何度も踏み誤りなさった。
これを世間の人は、「孔子倒れし給う」と言った、
となむ語り伝へたるとや。    

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